その1・タイタニック号の沈没前から予知していた人物がいた。 | ポポ山に祈りを込めて

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しばしの休憩を。

ポポ山より

あの有名なタイタニック号の沈没事故ですが、

突然の事故で多くの人が亡くなった時に、

もしあなたもその中の一人だとしたら、その瞬間どのような行動を取りますか?

沈没事故で亡くなったウィリアム・ステッド氏は、亡くなった直後に、

いわゆる霊となった人たちの手助けをしていたのです。

いつか私たちも必ず肉体の死を迎えます。

それは明日かもしれないし、何十年も先のことかもしれません。

その時にこの話を思い出してほしいのです。

船でなくても自然災害でも同じようなことが起こります。

もしあなたが死後に暗闇にいたり、どこかを彷徨っているとしても、

そこはあなたが本来の行くべき光の場所ではないのです。

そんな時に、そういえばこんな話があった事を思い出してほしいのです。

The Blue Islandからご紹介します。

長くなるので本当に部分的です。誤字は後で直します。

(現在Amazonで中古が数冊程度)

 

『The Blue Island タイタニック沈没から始まった永遠の旅』

コナン・ドイル/序

エステル・ステッド/編

近藤千雄/訳 発行株式会社ハート出版

 

父からの通信が届けられるまでの経緯 

エステル・ステッドより

 

1912年4月15日不沈をうたい文句に建造されたばかりの英国の豪華客船「タイタニック号」が、皮肉にもその処女航海において北大西洋上で氷山と激突、2000余名の乗客のうち1500余名の生命とともに海の藻屑と消えました。そのころ私は、シェークスピア劇団を引き連れて興演旅行に出ている最中で、父・ウィリアム・ステッドもその犠牲者の中に入っておりました。

 

実は、団員の一人にウッドマンという、霊感の鋭い男性がいて、その悲劇的な事故の起きる少し前の日曜日の午後、みんなで紅茶を飲みながら談笑している最中に、彼がその事故とおぼしきことを口にしていたのです。船の名前も父の名前も言いませんでしたが、犠牲者の中に私と非常に親しい年輩の男性がいる、と述べていました。

 

時間的にみて、その事故が起きたのはその後のことでしたから、ウッドマン氏はこれから起きる出来事を予知していたことになるわけです。

 

そのことを殊さら紹介するのは、父の霊とウッドマン氏とのつながりは、すでにその時点から始まっており、本書に収めたメッセージを父が届けることができたのも、ほかならぬウッドマン氏の霊的能力(自動書記)のお蔭であり、そうしたいきさつは読者の皆さんにとっても興味ぶかいことであろうと考えるからです。

 

大惨事が起きてから二週間後のことです。多才な霊媒として有名なE・リート女史による交霊会において、父が顔だけを物質化して出現するのを見ました。そして語る声も聞きました。その声は、タイタニック号に乗船する直前に私に別れを告げた時の声と同じように、はっきりとしておりました。父との話は30分以上にも及びました。

 

これを突拍子もない話と思われる方が多いでしょう。が、紛れもない事実なのです。出席していた何人もの人が証言してくれております。私はそれを記事にして雑誌に掲載していただきましたが、その時の出席者全員が署名入りで証人となってくれました。

 

その日から、十年後の今日まで、私は父と絶えず連絡を取り合っております。何度も語り合っておりますし、通信も受け取っております。その内容は、父が死後もずっと私たちの生活に関わっている確固たる証拠にあふれております。

 

はっきり申し上げて、タイタニック号とともに肉体を失って霊界入りした十年前よりも、むしろ現在の方が心のつながりは強くなっております。もちろん死の直後は、その姿が見えなくなったということだけで大きな悲しみを覚えておりましたが、その後は別離の情はカケラも感じなくなっております。

 

~省略~

 

父は、生前、ウッドマン氏とは一度しか会ったことがありません。それも父がタイタニック号で英国を発つ少し前に私がウッドマン氏を紹介した時で、その時も、二言か三言、言葉を交わしただけでした。したがってウッドマン氏は、父のことを個人的には知りません。ましてや、父の著作や評論活動に関与したことは、まるでありません。にもかかわらず、ウッドマン氏が父から受け取ったメッセージの文体や用語が父のそれにそっくりなのです。

 

さらに面白いのは、文章を綴る時のクセまで父にそっくりだということです。ウッドマン氏は自動書記の最中は目を閉じており、ハンカチで押さえることもよくありました。部屋は薄暗くしてあり、すぐ側で見ている私にもその文章が読めないことがありましたが、用紙から文字がはみ出してしまうことは絶対にありませんでした。

 

明らかに父は、自分で書いたものをもう一度読み返しているようで、i の点や tの横棒をきちんと書き直しておりました。これは生前からのクセで、いったん書き終えた記事をもう一度読み返しながら、i の点や tの横棒を書き直していたものです。そのクセを知っているのは、私を含むごくわずかな人に限られており、ウッドマン氏が知っている可能性はまったくありませんでした。

 

~省略~

 

きっと多くの方が、本書をただならぬものとお感じになるであろうことを、私は確信しております。願わくは、死後はどうなるかについて、従来のただの信仰とは異なる現実味のあるものに目覚められ、みずからの手で確固たる証拠を求める努力をなさるようになっていただけば、本書に関わった3人、すなわち父とウッドマン氏と私にとって、それにまさる満足はございません。

1922年9月

 

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