嫌なことがあった時の気持ちの切り替え方

嫌なことがありそのことを何度も思い出し頭から離れないときがある。
一方で、それを辞められる事が増えてきたので、その方法を書いておきたいと思って今日は記事にした。

私は、ショックなこと、嫌なことがあると、それを何時間もかけて、頭の中で反芻してしまう癖がある。

考え方の癖だと思う。

多分この癖は、母からの遺伝だ。
遺伝子に組み込まれたものではないが、小さいころから、ずっとずっと母の考え方の癖を
成長とともに刷り込まれてきたと思う。

母は息を吐くように愚痴を言う。
私は、この母はおそらくこれは毒母だったんだろうなと思う。

母と父は仲が悪く、父の悪口、父の実家の悪口。
父が聞いてくれないからと、自分の職場の誰かの悪口、友達の悪口、自分の兄弟の悪口。
さまざま、世の中の何もかもが気に入らないようだ。

今回は母の考え方うんぬんではなく、
そんな母のような思考回路が身に沁みついてしまった私でも、この考え方の癖をだいぶ矯正することができてきている気がするという話。

嫌なことがあっても、会社を終え、保育園にお迎えに行き、子供と手をつないだ瞬間に、子供に注目することになる。
その後、ご飯を作り、食べて、片付け、家族と団らんしたり・・・

それらは、嫌なことを考えてしまうそうになる自分の気をいやがおうにも蹴散らすし、
以前は蹴散らされるのがうっとおしくて仕方なかった。
一人になりたくて、なりたくて。

でも考えが変わり、この家族がいるから、嫌なことから気をそらすことができるし、
その嫌な出来事以外の私を取り巻く世界が案外平和で幸せだってことを思い出させてくれることに気が付いた。

でも一人の時間はやってくる。
特にお風呂で湯船につかっているとき。

ぼんやり、またそのことを考えている。
ああ、またやっているな、と思う。

嫌なことをもう一度改めて、何があって、どんな点が嫌だったのか、シーンを繰り返し脳内で再現しては、
あれは私のせいじゃない、とかもっとうまい返しがあったのかとか、でもやはり仕方なかったとか、
何度も、やり直しをする。
それをすることによって、実際の事例の練習になって、次は同じ失敗などをしないようにできるかも、なんてことまで思ったり、
そんなぐるぐるした時間無制限の、区切りのない脳内会議が繰り広げられるのだ。

反省のような、でもそれは、自分を責め続けている気がする。
そうやって繰り返し考えることは「自分で自分を攻撃し続け、傷つけているな」と感じる。
そうすると傷がますます深くなり、また考えずにはいられなくなり、思い出す時間が長くなるという悪循環に陥る。

そう気が付くようになってから、考えない練習を自分なりにしてきた。
自分を大事にしようと。
「考えない考えない」と頭の中で言葉にしてみたり、
「もうおわり!」と声をかけたり。

または頭の中で「自分が自分の友達の立場だったらなんて声をかける?」ということもシミュレーションしてみる。
友達に対してだったら、もうちょっと俯瞰して出来事をとらえることができる気がするからだ。

さらには「今日、よかったこともあったよね?」と自分自身に問いかける。
幸せに感じた事、ちょっとましだったことなども。

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前にダーリンは外国人、という漫画の中で、夫婦が喧嘩したとき、
夫のほうはけろっとわすれてしまって、主人公である妻は、悶々とする時間が長い。
夫が即気持ちを切り替えて何事もなかったかのように話しかけてくる、それを不満に思いながらも、
こう考える、ということを作中で書いていた。

「同じ1週間を過ごすなら、月曜日に喧嘩したとして金曜日まで怒ったまま過ごすより、
 月曜日に喧嘩してその日のうちに終わらせた方が残りの日々が楽しいんだよね」

つまり、

月火水木金

嫌嫌嫌嫌楽

これだと「嫌な日が4日」だけど

月火水木金

嫌楽楽楽楽

こちらは「嫌な日1日、楽しい日4日」となる。

実際こんなにきっちり単純にはいかないかもしれないけど、
切り替えたほうが楽しい日のほうが多くて、お得ですよね?(笑)

喧嘩だと相手もいる事なのでコントロールができにくいかもしれないけど
自分の範疇で思考の持って行き方を訓練したら、このコントロールはできるじゃない?と気が付いた。

「あ!考えるの長くなっちゃってる!」

って気が付くことがまず第一歩。

「やめよう!」とか「考えない!」「楽しいこと考えよう」と具体的に頭の中でセリフを言ってみるのもおすすめ。

「ま、いっか」って言ってみるのもいい。

切り替えるスイッチを、頭の中で筋トレして育てていく感じ。
脳に筋肉はありませんが(笑) 考え方も鍛えられるなって実感があったのでそのように言わせていただく(笑)

根っからの明るい人、能天気なひと、細かいことが気にならない人はとてもうらやましいけど、
私はそこは変えられないので、コツコツ、考え方を切り替える練習をして、今に至る。
母親の愚痴のシャワーを浴びながら、愚痴のはけ口をして育てられた面があるため、
基本的に人の言動に文句を言いたくなる気持ちが脳内に根付いているし、
逆に人にショックを与えられたときの落ち込みようは今でも半端なく、打たれ弱いほうである。

でもそれを引きずる長さは、年々短くできている実感がある。

最近は、母からの愚痴の電話に「人生の残り時間は40代の私ですら短くてもったいないと思ってるのに、貴重な時間を愚痴を言ってるの?すごくもったいないと思うよ」と返している。
時は金なりだと思うし、人生つらいことが多いんだから、むしろ積極的に楽しい状態に持っていける努力をしていきたい。

嫌なことがあってもすぐに気持ちを切り替えるのは、たった一つの名言だったりするかもしれないけど、
そうじゃないときもいっぱいある。

そうじゃないときが多いからこそ、その都度、切り替える訓練をして考える筋肉を鍛えておき、積み重ねていくこと。
それがちょっとずつ自分の将来を楽にしていくのではないかな、と思います。

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