WoodSound~日綴記

山のこと、川のこと、森のこと、その他自然に関することをはじめ、森の音が日々の思いを綴ってみたいと思います

幸福なラザロ

2019-04-30 | Movie
恐らく今年ナンバー1の映画を観た。
「幸福なラザロ」。

普通、映画はラストシーンで泣かされるものだ。
自分の気持ちが弱っていたのかもしれないが、
途中からしゃくりあげて泣いてしまった。

それがなぜなのか自分でもわからなかった。
前半はフェリーニの「道」や
タヴィアーニ兄弟の「カオスシチリア物語」に
描かれるようなイタリアの農村の風景。

そして一転して現代のユーロ圏にあるイタリアの貧困社会。

そのどちらにおいても搾取する側と搾取される貧困層は変わらない。

社会の底辺で生きる人々はなかなか浮上できない。
それどころかかつて侯爵だった人々の没落。

それに対して搾取する側に回る銀行。
今の私たちにとっては当たり前の風景だが、
ちょっと立ち止まって考えてみたら…

土地の所有とはどういうことか?
かつては狼たちが生きていた土地を
自分のものにしたのは一体誰だったのだろう?
そして、その所有された土地で働く人々。
一口に搾取と言ってしまえばそれまでだが、
実は自由になれない彼らはある意味それが
幸福な生き方だったのではないか。

ラザロの視点は常に変わらない。
自分が仕える人は一緒だし、その人のために一生懸命働く。
食べ物を貰えなくても、
コーヒーを飲んで貰えなくても、
熱を出して崖から落ちても、
その一途な気持ちは変わらない。

我々はそこに従順さというよりも畏敬の念さえ感じる。
ここまで、人を信じていいのか?
ここまで従順に人に仕えていいいのか?

最初に感じたこの違和感が次第にこれはひょっとしたら
私たちが本来生まれた時に持っていた感情ではないのかという同感に変わる。

ここからだ。私が泣いてしまったのは…
遠い昔に忘れて亡くしてしまった感情がここにはある。
幼いころ、可哀そうなことは可哀そうと思った。
感動したことには感動した。
生きて行くにつれ、 どこかでひねくれてちょっと人と違う感情を持ったり、
人を傷つけることで自分の存在感を示したりした。

教会のパイプオルガンの音がラザロについていくシーン。
ここに、ものすごいカタルシスを感じる。

そして最後の狼のシーンに本当の自由を感じた。

人間は自由でなければならない。
しかし、自由が幸福であるとは限らない。

ラザロは我々の現身であり我々自身が幸福かどうかということ。
それはおそらく否だ。

私の永遠のテーマ「自由とは何か」にひとつヒントを与えてくれた。

この映画は今年のベストならず生涯のベストに入るかもしれない。

"
映画レビューランキング"


コメントを投稿