呪われた物

世に出回っている呪われた物の圧倒的多数が偽物だとされているが
真偽は置いておいて、超常現象研究者たちが本物だと認定した物も少なくない。
今回は、世界的に有名な『呪われた物』を、いくつか紹介しよう。

①血で塗られた絵画

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イングランド北部の町に住むショーン・ロビンソンは、2010年、祖母から「苦悩に満ちた男」という恐ろしげな絵画を相続した。

祖母は生前、「この絵を描いた画家は、自分の血と絵の具を混ぜ合わせて、この絵を描いた。そして完成後、自殺をした。画家の苦しみが呪いとしてこの絵に取り憑いており、悪さをする。悪魔の絵だ」「この絵を壁にかけていると、話し声や、すすり泣く声が聞こえる。家の中を男の影が彷徨うようになる」と言い、25年間屋根裏に仕舞いこんでいた。

呪いなど特に気にしないショーンは、絵を自宅に持ち帰ったが、その夜から家の中で奇妙な現象が起こるようになった。

息子は階段から転げ落ち、妻は誰かに髪を撫でられているような感じがしたと主張した。

家族全員が、男の影が横切るのを目撃し、夜中に、すすり泣く声やもだえ苦しむ声を聞くようになった。
その超常現象は酷くなる一方で、彼が寝ている寝室の隅から泣き声が聞こえるようになり、寝ている彼らを男の影が見下ろすまでになったという。

超常現象など信じていなかったショーンだが、絵画が原因なのかもしれないと思うようになり
絵の前にビデオカメラを置いて夜通し撮影することにした。

すると、気味の悪い声や、煙のようなものが現れたり、ドアがひとりでにバタンと閉まったり、壁から絵が落ちるなどの現象が撮れてしまった。
驚いたショーンは「誰かアドバイスをくれるかもしれない」とYouTubeにこのビデオをアップ。
一部のネット住民たちを恐怖の底に陥れた。

その後、ショーンは一時的に両親の家に身を寄せたのだが、絵画を持参したせいか、父親が階段から転落
絵の呪いだと確信した彼は、超常現象研究グループにコンタクトをとり、問題の絵画を検証してもらうことにした。

2013年5月、研究グループは12世紀(西暦1101年から西暦1200年)からある幽霊屋敷として有名なチリンガム城で、城に住む幽霊にこの絵のことを訪ねようと霊的交渉を行った。

しかし、城の霊は、絵画に取り憑いた霊を嫌い、激怒したという。
城の霊はポルターガイストを起こし、研究者たちを追い出した。
この交渉には20人あまりが立ち会っており、全員が恐怖の体験をしたと報告。
ほかの霊も嫌うほど、絵画に潜む霊は悪いものに違いないと囁かれている。

呪いの絵のポルターガイスト現象を検証した動画


②呪いがかかった人形、ロバート

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1904年、フロリダ州キーウエストのオット家に仕えていたハイチ出身の使用人が、その家の4歳になる坊や、ロバート・ユージーンに、個性的な顔を持つ大きな手作りの人形をプレゼントした。

ロバートはこの人形をとても気に入り、自分と同じロバートという名前をつけ、楽しげに話しかけ、一日中、一緒に過ごすようになった。
しかし、周囲は人形を気味悪がり、「人形から薄気味悪い声がもれるのを聞いた」「悪魔の人形だ」と言うようになった。

部屋がめちゃくちゃに荒らされたり、花瓶が粉々に割れるという酷いことが起きるたびに、ロバートは真っ青な顔でぶるぶる震えながら、「ボクじゃないよ。人形のロバートがやったんだ!」と言うようになり、家族はその人形を毛嫌いするようになった。

ロバートはキーウエストを代表する画家になり、アンという女性と結婚したが、あの人形は大人になっても、いつも側に置いていた。絵を描くときは人形と共にアトリエにこもったという。
結婚後、人形を嫌がる妻の気持ちを考え、屋根裏部屋を人形の部屋にしたが、「ロバートが、屋根裏部屋からじゃ、眺めが悪いって言うから」と言い出し、結局、見晴らしのよい寝室を与えてしまった。
そして、窓の側に椅子を置き、人形を外に向けて置いた。家の前を通る、多くの人が、窓際に置かれたこの人形が動いたり、恐ろしい形相になるのを目撃している。
ロバートはアンにDVをしているとの噂も流れるようになったが、彼はそれも人形がやったと主張していたと伝えられている。

1972年、ロバートは死去。人形は屋根裏部屋に放置され、アンの死後、家は売却された。
新しく移り住んだ家主には、10歳の少女がおり、人形を気に入り自分の部屋へと移したが、人形が動き回ったり、襲いかかったり、殺されそうになったと泣き叫ぶようになったため、イースト・マーテロー博物館に引き取ってもらうことになった。

この人形のロバートは、現在もイースト・マーテロー博物館に展示されている。
多くの観光客が、ロバートが動いた、表情が変わった、声が聞こえたと証言しており、今なお強い超常現象を起こしていると信じられている。

③家族を全員死なす「死の女神」

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「死の女神」という愛称を持つ、純粋な石灰岩で彫られた女性像は、キプロス共和国のレンブで1878年に発見された。像は、"豊穣の女神"を象徴したもので、西暦紀元前3500年頃に作られたものと見られている。
「死の女神」と言われるようになったのは、その名の通り、像を所有した人とその家族が数年で全員死んでしまったからだ。

像が発見された後の最初の持ち主であるエルフォント卿は、所有して6年以内に、一族7人全員が相次いで不審な死を遂げた。次に像の持ち主となったアイバー・マヌッチの家族も、4年間で全員が死去してしまった。
3番目の持ち主となったトンプソン-ノエル卿の家族も次々と不幸に見舞われ、4年後に一族は絶えてしまった。

4番目の持ち主、アラン・ ビーバーブルック卿も像を購入して間もなく亡くなり、彼の妻、娘2人も相次いで死亡。息子2人は、周囲から、「この像は死の女神と呼ばれるもの。持っている者、その家族の命を奪う。早く手放した方がいい」と言われ、エディンバラにあるスコットランド博物館に像を寄付することに決めた。

博物館の歴史学者たちは、「像が持ち主と家族を殺す」という言い伝えを、「単なる伝説、あったとしても偶然」だと片付けたが、像を受け入れ展示した博物館の係長も、直後、病に倒れ死亡している。
この係長の死を最後に死人はでていないが、それはガラスケースの中に保管されているからであり、再び箱から出され、像に誰かが触れたら、確実に死んでしまうだろうと恐れられている。

④座ると死ぬ椅子

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イングランド、ノース・ヨークシャー州サークス近くのカービィ・ウィスカという町に、バスビー・ストゥープ・インという居酒屋がある。この居酒屋には270年という長い年月の間、人々に恐れられてきた木製の椅子があった。

1702年、この居酒屋のオーナーだったトーマス・バスビーは、義理の父親、ダニエル・アウティを、ハンマーでめった打ちにして殺害した。

2人はそれより以前タッグを組み、軽い犯罪に手を染めていたが、舅、婿という関係から馬が合わず、よく口論をしていた。いつものように口喧嘩をした後、外で頭を冷やして居酒屋に戻ったダニエルは、自分が一番大事にしているお気に入りの椅子に、ダニエルがドカッと座っているのを見てカッとなった。
常に酔っ払っている状態だったとも伝えられているトーマスは、ダニエルに居酒屋から出て行くよう命じ、
その後、町中、彼を探しまくり、ハンマーで撲殺。近くの森に遺体を捨てた。

遺体はすぐに発見され、トーマスはダニエルを殺人した罪で逮捕、死刑を宣告された。
居酒屋と道を挟んだ場所に絞首台は設置され、トーマスは、死刑執行直前、自分の居酒屋で最後の食事をした。食事が終わった直後、彼は大声で、「この椅子に座った者に、呪いを!私と同じ悲惨な死が与えられるよう!」と叫んだ。絞首台に吊るされた彼の死体は、見せしめのため、数日間、そのまま放置されたと伝えられている。
 
その後、付近をうろつくトーマスの幽霊らしきものが目撃されるようになったというが、人々を恐怖の底に陥れたのは、彼が呪いをかけた椅子だった。
呪いをかけたトーマスの言葉通り、椅子に座った人が、その後、間もなくして死亡するという不可解な現象が、次々と起こるようになったのである。

何も知らずに座ってしまった煙突掃除夫は、翌朝、古い絞首台の門柱の側で死亡しているのを発見される。
呪いを面白がって代わる代わる座ったイギリス空軍パイロットは、その日のうちに運転していた車を木に激突させ即死した。肝試しで椅子に座った、多くのバイカーたちも、大事故に巻き込まれ命を落とした。
座った翌夜、心臓発作を起こし死んだ者、2日後に車に撥ねられ即死した者もいた。
誰もが、トーマスの言葉通り、悲惨な死を迎えたという。

1970年代、この居酒屋を買いとった醸造所は、このおぞましい呪いの椅子をサークス博物館に寄付した。
博物館は、壁の高い位置に椅子を打ち付け、誰も座れないようにした。
1978年以降、この椅子には誰も座っていないが、呪いは永遠に続くものとされており、今なお、人々に恐れられている。

⑤呪いの指輪

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サイレント映画時代、一世を風靡したイタリア出身の美男俳優、ルドルフ・ヴァレンチノ。
彼は人気絶頂の1926年に虫垂炎と消化性潰瘍を併発し、手術を受けたものの腹膜炎と胸膜炎を起こし31歳の若さでこの世を去った。
彼の葬儀には嘆き悲しんだ10万人ものファンが集まり、後追い
自殺をする女性もいたと報じられている。

ルドルフはサイレント映画俳優として大ブレイクしていた1920年、ふらりと訪れたサンフランシスコの宝石店で、とある指輪に強く惹かれた。
店主は、「この指輪には、あまりよくないジンクスがある」と説明したが、ルドルフはそれでもほしいと購入。
『ヤング・ラジャー』(1922)に、その指輪をはめて出演した。映画は大ゴケしてしまい、ルドルフはその後2年、映画制作から遠ざかるはめになった。
ジンクスのせいかもしれないと、指輪を外し箱に仕舞いこんだルドルフだったが、
『熱砂の舞』(1926)の撮影時に、指輪を小道具として使いたいと提案。撮影終了3週間後に訪れたニューヨークで虫垂炎に倒れ、わずか2週間後に命を落としたのだった。

指輪は、人気サイレント映画女優のポーラ・ネグリが形見として譲り受けたが、すぐに病に倒れ長期間の療養を強いられることとなった。

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1年後、ポーラはルドルフに生き写しのラス・コロンボ(↑画像)という男性に出会い、「第二のルドルフへ」と指輪を渡した。指輪をはめたラスは数日後、銃撃事故に巻き込まれ死亡
ラスの形見として指輪を受け取った親友で芸人のジョー・カジノは、指輪は呪われていると信じ、ガラスケールの中に入れ保管した。
長い時を経て、呪いのことをすっかり忘れたある日、ジョーは指輪をはめ、直後、トラックにはねられ死亡した。

その後、「呪いなんて信じない」と指輪をはめたジョーの弟には呪いはかからなかったが、指輪を盗もうとした盗人が、脅しのため天に向けて撃った銃弾になぜか当たり死亡。
さらに、伝記映画でルドルフ役を演じる俳優が、この指輪をはめた10日後に奇妙な血液の病気急死したため、「確実に呪われている」と見なされ、これ以上、犠牲者が出ないようにと、ロサンゼルス銀行の貸金庫に預けられた。

はめた人の命を、次々と奪ってきた呪われた指輪は、現在もその貸金庫で眠っている。

管理人:ニート神
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