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東日本大震災10年 いろんな番組を見ました。 [日常]

 日曜日はお昼のNHKのニュースが終わると、のど自慢の番組が始まります。この日は宮城県の南三陸町から。「涙そうそう」を唄う女性の鐘は(たしか)2つでした。アナウンサーがインタビューするとこの女性は「お父さんが津波で流され、今も見つかっていない」と、話し出しました。お昼間のゆったりとした時間が急にざわざわし出し、思わず画面を見つめてしまいました。この10年間の自分とこの女性の時間の流れ方の差に気づかされました。

 震災から10年ということもあり、TVは様々な特集番組をしていました。一番力を入れていたのはやっぱりNHKですかね。

 ETV特集「原発事故“最悪のシナリオ”〜そのとき誰が命を懸けるのか〜」は、発災直後の政府や自衛隊、米軍の動きを検証したもので食い入るように見てしまいました。
 米軍から「英雄的行為」を求められたり、細野豪志首相補佐官(当時)が「最悪のシナリオを作成してアメリカに見せて理解を求め」たものの、「その最悪のシナリオは北澤防衛大臣も知らず、内閣全体で共有されなかった」ことが暴露されています。
 番組でも示唆していましたが、「最悪のシナリオ」を検討せず場当たり的に対応することは、コロナ禍でも繰り返されているのではと思いました。

 NHKスペシャルは何本も放送していて「廃炉への道2021「原発事故10年の軌跡」」「大震災と子どもたちの10年 いま言葉にできること」「私と故郷と原発事故」を見ました。
 「廃炉への道」はいまどの段階にあるかがよくわかりました。
使用済み核燃料の取り出しの完了は当初より10年遅れて2031年を目標にしていること、 核容器内のデブリは1号機は姿さえもいまだに捉えられていないこと、 2号機では2017年に初めてデブリの姿を捉えていること、 デブリそのものの回収はカメラに付着していた0.0027gにすぎないこと、 1〜3号機のデブリの総量は880トンと想定されていること、 デブリ取り出し開始は2022年に遅れること、 様々な遅れがあるものの「廃炉は2051年」を予定し続けていること、 費用は当初の2兆円から8兆円に膨らむ想定であること


 「子どもたちの10年」は複雑でした。親と子で震災の捉え方に少しづつ溝ができていることや、亡き母親のことを話せないこと、それを誰にも相談できないことなど。ずっと寄り添って取材を続けて欲しいと思いました。
 「私と故郷と原発事故」は浪江町出身のNHK記者の地元の人への取材です。出身者しか伝えられないことがたしかにあるように思いました。NNNドキュメント「東日本大震災10年 いま、伝えたいこと」でも福島中央テレビの5年目記者が取材する側としての地元への思いを話していました。背負うのはしんどいことだと思いますが、細くても長く取材を続けて欲しいです。
 テレメンタリー「変わる古里  フクシマはいまー」も見ました。中間貯蔵施設のために土地も諦めざるを得ない地元の人の姿がありました。

 最初ののど自慢の女性の時に痛感しましたが、やはり過去のことになってしまっている自分を感じました。東京五輪も震災からの復興がテーマだったのにどこかに吹き飛んだ印象です。年に一度、思い出すだけでもしなければと思いました。東北の現状をゆっくり回って見たいと思いました。

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