洛西の小塩山の中腹(350m)に金蔵寺はある。
平安時代に「西の岩倉」といわれ、
朝廷、民間を問わず広く崇敬を集めていた。
小塩山の寺院は3年ほど前から興味を持ち、
冬場は以外は季節問わず探訪している。
市内では味わえない侘び寂び感が例えようがない。
でも三年も通っていて一度も伺えなかったのは、
交通の便の悪さと狭い山道。
バスで行かれる場合は一時間一本、
そこから山道を一間ほど歩く事になる。

金蔵寺手前で突如現れた滝、



不動明王が祀られていて、
不動明王滝、もしくは産の滝と呼ばれている。










その滝から直ぐの所に何かしらの案内板。








それは無視して左手を上がる、

 


崩れかけている建物、
けたたましく番犬が吠えていた。










ちゃんと案内を見れば良いのだが、
往々にして自分の気分で進んでしまう( ´艸`)





山門の仁王門は修復作業か倒壊の補強か、
無惨な姿を晒していた。
受付も無い、拝観料は仁王門の賽銭箱に入れるシステム。
もちろんパンフレットも無い。



これは一週間前の撮影、
本来ならこの参道石段に真っ赤な敷きモミジで覆われ、
反射で一帯が紅く染まるらしいが、









金蔵寺は標高360mに位置し、
300m余りである善峰寺をしのぐ高所にある。

 

 

 

 

 

紅葉の「敷きモミジ」が拝めないなら、
黄葉の「敷きイチョウ」がある( ´艸`)。



紅葉の鮮やかな色彩は年々残念な事になっている。
何も言っているが、古来よりのメリハリの利いた季節感が、
この世のものとは思えない発色を促すので
温暖化による天候不順は日本のモミジにとっても最悪の事態。

 

 

 

 

 





樹齢約300年のイチョウからは大量の落葉。







それにしてもイチョウの葉は強い!



「生きている化石」、ジュラ紀に全世界的に繁茂した、
世界で最古の現生樹種の一つである。

 

 

 

 

 






この先は進入する事は不可能で、
先ほどの正面の階段を更に登ると護摩堂、鐘楼、庫裏、




金蔵寺は718年に隆豊禅師が第44代・元正天皇の勅願によって創建。
その後728年に第45代・聖武天皇から勅額を賜り、
794年の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、
新都の平安を願って都の四方に経典を埋めたとして、
桓武天皇から西岩倉山の山号を賜ったとも言われてる。

 


しかし応仁の乱で焼失し、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の
母・桂昌院の帰依によって再建される事になる。






平安京には怨霊の侵入を防ぐために
陰陽道を基本とした防御システムが何重にも張り巡らされていた。

 


東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武の四神相応、
東北、南西の鬼門封じ、東西南北の大将軍神社など、
その一つに四つの岩倉、東西南北に配された岩倉。
金蔵寺は西の岩倉になるが、
今現在は東岩倉山にあった観勝寺は無くなっているので、
今は「京三岩倉」と呼ばれているらしい。






手水舎横の階段を登ると本堂に通ずる。











本堂と愛宕大権現の鳥居が見えるが、このように殆ど紅葉していない。












その右手の石段を上がると開山堂。




今日の京都の気温は20℃、私の知る限り、
12月に入ろうとしている時点でこんな温度は経験した事無い、
世の中もメディアも世界サッカーで異常に騒いでいるが、
スポーツで歓喜するのは一理あるかもしれないが、

その前に今やるべき大事な事は他にある筈。

 



FIFAの戦略に完全に乗せられる人々。
どうせ大手の広告代理店が深く関わっているのだろう。










ここでもう一つ有名なのは手水舎に吊り下げられた干し柿。
写真目的の参拝者は概ねクローズアップで撮影するそうだが、
その撮って下さいと言っているようなその干し柿は、
私は撮影する事に異常に抵抗を覚え、結局撮らなかった。



今年は最も早く紅葉する高雄山神護寺が何時になく綺麗で、
これは期待できると思いながら、すでに数件回っているが、
紅葉する前に黄葉で落葉、未だに青葉、

 



あれから一週間経って、ネットで本日の境内を検索したが、
この私の写真群とあまり変わりない。
いつか眩い敷きモミジに覆われ、紅に染まる境内を撮ってみたいが、