二週間ほど前、

西本願寺で親鸞の生誕850年を記念して、
国宝の「飛雲閣」が特別公開されていると報道されていた。

早速伺う事にしたが、
西本願寺境内には多少ではあるが参拝客は見掛けたが、
肝心の飛雲閣前は全く人の気配が無い。



裏返しの看板を見てみると午前と午後に分かれていて、
午前は11時20分から、まだ一時間半ほどある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



同時に同じく国宝の書院も公開されているとの事だったが、
その辺りにも同じく人の気配が無く、お寺の関係者に伺うと、
式典の行われる日だけが解放されるとの事。



 

 

伺う前に報道の記事、ホームページで確認したのだが、
詳細が記載されていなかったので、
てっきり21日まで開放されていると思ったが、
式典の最短は16日、仕方が無いので御影堂、御影堂を参拝。
いずれにせよ、こちらの建物も同じく国宝である。

 



京都市指定天然記念物の逆さ銀杏。







日が改まり16日の11時過ぎ。

 


境内は全国各地の住職、信徒が詰めかけていて、
「飛雲閣」にも相当流れ込んでいて、
全体を撮影したくても人でままならない( ´艸`)。










金閣寺、銀閣寺とともに京都三名閣の一つ。
聚楽第の遺構との説も広く流布したが確証はなく、
未だにこれという説は結論付けられていないが、
ある意味謎の多い建築物だ。


金閣・銀閣が左右対称であるのに対し、
建物全体が非対称に造られており、
見る位置によって多彩な顔を見せる飛雲閣は、
桂離宮の古書院と並ぶ名建築に間違いない。



式典の為なのか、少し白いテントが目障り( ´艸`)
前面が滄浪池に面し柿葺の三層からなる楼閣建築は、
元は舟で出入りするように造られていたが、
現在は橋が掛けられている。



これだけの造作がなされている事は、
内観も相当なものと思われるが、
生きている間に解放されるかどうか?
そうなれば是非とも伺いたい。



三方の板戸の内外には御簾の下に座す三十四歌仙の像。










船着き場は伊根の舟屋のような構造になっていたのだろうか?










これは最も全体像が見晴らす事の出来る位置からの撮影。







更に、順路の看板を無視すると、
ただ紛らわしいのは後方の瓦屋根。

 



左は西本願寺の南隣りに位置する興正寺の経蔵、
右手は同じく興正寺の阿弥陀堂の大屋根。
豊臣秀吉の遺構、聚楽第の遺構と言わないまでも、
おそらく建てられた当初は背景に視界を遮る建物は無かったであろう。

 



滄浪池(そうろうち)で遊ぶカモが、
顔を池に突っ込み、お尻でプリプリ、

 


その後書院の対面所、三之間から一之間、北能舞台、
撮影は出来ないものの全て国宝、
更に桃山時代の様式を伝える特別名勝の「虎渓の庭」。
国宝尽くめの午前だった( ´艸`)。