一週間ほど前に蹴上疎水公園奥の山藤を見に行った。
結果撮影するほどでも無かった。



辺りにはツツジが咲き出してはいたが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 


普段見落とすハルジオンがそこかしこで目立っていた。











この二週間前はインクラインの桜を撮影するSNS女史が溢れかえって、
とても立ち寄る事は出来なかった。

 

 

 

 


山藤は年によって咲き具合に開きがあり、
昨年は比叡山周辺、山中越えの山藤は見事に咲き誇り、
残念ながらこちらには立ち寄れなかったが、

 


今年はと思いやって来たものの、ショボい、撮る程でも無かった。
 

 

 



手持ち無沙汰に歩いていたら、
一人のオジサンが私に向かって自分のスマホ差し出す。
日本語が話せない、恐らく台湾人。
状況的に蹴上インクラインを背景に撮って欲しいとの事。
人の良さそうなオジサンだったので、二枚撮って上げた。
その写真を観て満足したのか、
「ども、ありがとうございます」
お礼の日本語はちゃんと喋れるのだ。



桜の季節が嘘のように人影が無い。











このまま帰っても良かったが、











京都市京セラ美術館の藤棚にも立ち寄る。










現在、京都市美術館開館90周年記念展として、
「村上隆 もののけ 京都」が盛大に行われていて、





藤棚は見頃過ぎになっていたが、
村上隆の金ぴかの彫刻《お花の親子》が見下ろしていた。



この作品は2020年に六本木ヒルズと村上隆によるコラボで制作。
高さ10m以上、重さ11トン以上、東山も驚き桃の木山椒の木( ´艸`)。


現代美術の最前線で最もバイタリティ活躍している村上隆、
アートがパトロン無しでも自立できる活動として認めさせたのがピカソとしたら、
アンディ・ウォーホルはアートと商業活動は区切り無く、
アートは既に資本主義の一商品であるとし、
それを更に推し進めているのが村上隆になるのか、
積極的にルイ・ヴィトン等、ブランド、メジャーなるモノとコラボ、
それはまるで資本家が創り出すアート、
果たしてそんなモノを芸術と呼べるのか、
大衆がそれを受け入れればそれで済む話、そうとは思わない。



村上隆には、あまりにも貪欲過ぎて興味も持てなかったので、
上面な事しか知らないが、何がそうしているのか考えてみると、
自信たっぷりなその面構え?時代受けを見越した作品群、
村上隆のイメージがダブる有名人に秋元康。
本人が思っている以上に面白くない、私の感覚にピントが合っていない?
又、資本主義が続く限り、何らかの需要も存在続けるとも思う。
殆ど知らないのでいい加減な事は言えないが、少し勉強して、
機会があれば日本的資本主義における秋元康、村上隆の需要と供給、
なんて事を書いてみても、
この堂々感はどこからきているのやら、恐れ入ります( ´艸`)