中学理科教師のつぶやき

中学理科教師のつぶやき

中学校理科教師として25年。ひとつの意見として、ここに私の日々考えたことを記録していきます。同業の方、現役生徒、現役親御さんとのネットでの交流もできるといいですね。

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お久しぶりです。

 

しばらくアメブロから遠ざかっておりましたが

教育コンサルタントの一環として始めた

企業向けの教育相談の形が一段落し

これまでの生徒や保護者、先生への教育相談の

一般的な傾向と型が見えてきましたので

このへんで少しまとめと記録をしておきたいと思います。

 

教育相談員として

相談室に来る生徒、保護者の

トラブルや悩みへのアドバイス(?)

 

スクールソーシャルワーカーとして

ケース会議での情報交換からの現状評価や

今後の方針に関する意見

 

などを、いろんなケースで行ってきたのですが

基本的に、教員時代に考えていたこと

原則的な視点は、今も変わらず

 

それは、生徒の人格の完成

迫る内容となっているか

 

ということ。

 

人格の完成とは

生徒の自立であり

社会と共存し貢献する態度である。

 

生徒の悩みやトラブルは

その生徒にとってどのような意味があるのか

そのトラブルの解決や回避は

誰がどのように為すべき状況にあるのか

どのように運ぶことが

その生徒の自立につながり

社会との健全な関係を結んだことになるのか

 

不登校に関してみても

この生徒にとって登校することに

どのような意味があるのかをきちんと考える

 

今日も学校に出席できたと自信につながるなら意味はある。

今日も学校に連れて来られた

しかも、何の意義も感じない。であれば意味はない。

(いや、意味がないと確認できたという意味はある)

 

登校するにあたって

誰がどのように援助すべきか

 

本人の力だけで、徒歩などで来ることが

本人の自信につながり、周りと対等になれたという

つながりを感じることができれば、意味はある。

本人が登校を希望し、親が車で送るという支援のうえで登校しても

登校できたという自信と

親への感謝という肯定的なつながりが持てれば

方法は間違っていないと思う。

親がため息をつきながら自家用車に乗せて学校へ連れてきて

車を降りたくないと親子バトルを繰り広げることで

登校を強制されたと自信を失い、親を敵視するようなら

逆のことをやっているようにしか思えない。

 

登校にしても勉強にしても

今、この時間に成し遂げなくてはならない

といった価値観は時代遅れである。

 

すでに、数々の実例が、後からでも十分に取り戻せることを

証明してきたからだ。

人格の完成に向けて教育がなされていれば可能である。

 

逆に、人格の完成を無視して

登校を意味なく強制し、差別をてこにして勉強を強要し

知識を詰め込んだとしても

その後の人生がまったく保障されていないことも

私たちは、実例としてよく見ている。

 

しかし

 

古い価値観は、なかなか根強く私たちの価値観として残っている。

そう簡単に方向を変えることができないでいる。

 

何のために、どのように よりも

何をしたかのほうが優先される。

結果だけで完結してしまう。

 

理屈でわかっていても

変化すること、冒険することの恐怖心のほうが

勝ってしまうようだ。

 

それでも仕方がないと、私は思っている。

ヒトってそういうものだし。

 

ただ、変化させ冒険しない限り

同じことの繰り返しになるということは

みなみな肝に銘じておかなくてはならない。

 

教育現場では私が実際に見てきただけでも

例えばいじめの問題に関して

50年同じ失敗を繰り返し続けているのだから。

 

ここ数年でようやく体罰が社会的に否定された。

精神罰であるパワハラ指導、いやみ指導は

まだまだ時間がかかりそうだ。

 

それでも

 

従来のパワハラ指導、いやみ指導、だまし指導で

行き詰った状況のときに

子どもの自立と社会調和の観点から

学校、保護者がなすべきことを提言することで

行き詰った話し合いの場に希望の光がさすのだから

私自身の方向性は間違っていないなと

確認できる。

 

アドラー心理学では

私が考えている人格の完成の方向として

勇気づけという言葉で示している。

 

指導に困ったときは

課題の分離とパーソナルストレングスで

指導する側の感情を整え

陰性感情を制御しながら

勇気づけの方法を考えたらよろし。

 

そうすることで

無理に学校につれて来なくてもいいし

無理に朝起こさなくてもいいし

無理にご飯食べさせなくてもいいし

無理に勉強させなくてもいいし

無理にお金払わせなくてもいいし

無理に仲良くさせなくてもいいし

無理に従わせなくて済む。

 

そ 無理というのは字のごとく

理屈に合わないのだから

できない=不可能といっているのですから

やってはいけないことを示しているのです。

 

ということで

 

これからも相談があったときは

勇気づけの方向で考え、具体的な提案を行っていきます。

もちろん実際に行動するのは当事者の皆さんですから

無理強いはいたしません。

一意見としてお示しするのみです。

 

私は、今成し遂げなくても

いつか成し遂げることができると信じていますので。

 

では。

公務員を退職して3年がたちました。

 

教育コンサルタントとして活動しているうちに

中学校でいろいろとお話しする機会を

いただきましたなあ。

お題は自由。

好きなことを話してくれと言うけど

対象は全校生徒とPTAの親さん。

どんな話が聞きたいだろうかと考えて

テーマ「Enjoy反抗期」



 

中学生と言えば、親も本人も悩むのが

反抗期のイライラ


このイライラ

中学生本人の何かが悪いのでも

親の接し方が悪いのでもなく

脳の構造が成長過程で大きく変化することに

原因があります。

 

つまり

 

本人や家族、先生の努力で

イライラしなくなるなんてことは無いのであります。

 

問題は

その期間をどのようにやり過ごすかが

ポイントとなります。
 

お話の中では

反抗期にイライラするメカニズム

負の連鎖が起こるまずいパターンを知りながら

それをふまえたイライラ解消法や

回避方法のいくつかを紹介し

反抗期は終わりがくることを確認しました。
 

1時間半の講演でしたが

中学生のウケもよく盛り上がりました。



コロナ禍でだれだり呼べない事情もあって
同じ学校で、また、今年もお願いしますと依頼が来ました。

 

原則頼まれたことは断らないと決めていましたので

何を話したらいいのかなと思って

第二弾のお話を考えました。

テーマ「Enjoy中学生」



 

中学生時代って私の人生の中でも

最も刺激的でスリリングな毎日だったなあと思います。

 

明日はどうなるかわからないといった

漠然とした不安と

自分の中に残る

甘えた子どもっぽい考え方に焦ってみたり

自分の才能や得意に気づいて

調子にのったくらいにして

 

一喜一憂の毎日

 

中学生時代を終わってから

人生の貴重な時間だったなと気がつくんだけど

現役のときにもっと明確に自覚していたら

どうだったろうか?

 

もっと自信を持って

いろんなことにチャレンジしたんじゃないだろうか?

 

ということで

 

現役の中学生さんに向けた

今が大事なわけ

目指すべき大きな2点

「自立」と「仲間づくり」についてお話ししました。


今回は、50分くらいの講演でしたが

反応がいまいち(汗)

 

生徒さんは一生懸命聞いてくれたんだけど

リアクションが薄い。
 

ああ、説教くさい中身だったかなあと

反省していましたが

感想を見てみると

どうやら中学校たったの3年間に

そんな重大な意味

(卒業後は一人前の大人にならないとね)

があったのかと自覚してぞっとしていたらしい。

 

とくに3年生はもう卒業だもんね。

 

一応、でも現代は生涯学習といって

未完成でも許されるから良い時代だよね。

 

とフォローしたつもりなんだけど

それ以上のショックがあったみたいです。

 

でも

 

少しばかり刺激があったほうが

漫然と時を過ごすよりは

断然やりがい生きがいがあるでしょ。

ほかにも

「Enjoy学習法」とか

「10倍楽しくなる家庭教育」とか

「子どもの上手な導き方」

「いじめ問題解決法」とか

「生徒会活動のキモ」

「タテの関係からヨコの関係へ」

「民俗芸能が盛んな理由」などなど。

 

振り返ってみると、

生徒、保護者、教職員、一般向けの講演、講座を

いろいろやってきたなあ。

独立起業して3年目。

未だに赤字の事業だが

講演ネタはこの辺で整理しておかないとね。

市民の舞台が終わったら

3月前半でまとめます。

 

そんでもって

4月から新しい宣伝パンフレットをつくろうと思います。