「先生、痛いところなんてないんでしょう?」
患者さんからするとそう思うようで、
こういう事よく云われますが。
むしろ、痛いところしかないです笑。
行動力もあるしハキハキ喋るので一見、体力ありそうだけど、
鍼灸師を100発100中唸らせるほどの、虚弱です。
小学生の頃は強制的に、
運動会の練習や朝礼からつまみ出されていたし、
給食居残りも免除されていたくらいなんで。
生きるというのは(心身ともに)しんどいことだ。
と、小さい頃から日々思ってる。
だから、たいがいの体調不良では動じないです。
それと仕事柄、命に関わったり、
身体の機能を失うようや大病を診ることがあります。
病気に関する知識も多いので、
病気や不調に対する心持ちは患者さんとは違い、
どこか達観したところがあるように感じます。
この夏、友人が最後の葡萄を送ってくれました。
数年前に突如心臓が止まり、
2ヶ月意識不明の状態から目覚めましたが、
高次機能障害が残ってしまいました。
リハビリに励んでいましたが、
家族で行っていた葡萄作りも難しくなり、
今夏で人に譲ることにした。と。
最後の葡萄になっちゃうけど。と。
病気は“もらい事故”みたいなもので、
不養生だからなるとは限らなくて。
自分や自分の親しい人間の、
昨日までの当たり前の日常が突然に、
失われることがあります。
だからこうして、一生を捧げたいと思う
鍼灸の仕事を続けられていられるのは
奇跡と思ってる。
どこか痛くても病気になっても、
鍼とお灸が持てることがありがたい。
いつもそういう気持ちでいるから、
患者さんから、明るくて元気な先生と云ってもらえるんだと思います。
それからやはり患者さんの存在は、
私たち臨床家の支え。
全然そんなことないって解ってるけど、
「先生がいなくなったら困る!」と云われたら、
どんなに具合悪くたって、気力が湧きます
もちろん、元気に仕事ができるよう、
定期的に鍼灸を受診したり、
自分でお灸したり、
メンテナンスも欠かしませんよ。
最後の葡萄、美味しく頂きました。
葡萄作りも素晴らしかったけど、
本職は熱心で腕の良い、臨床家でした。
大人になれば体調だけでなく
家族のこと、仕事のこと、お金のこと、
心が曇るような種がたくさんあります。
だけど、誰かが憧れる今日という日をもらえたら、
少しでも自分のご機嫌をとって前向きに生きていこうと心がけています。
あと、学生時代の恩師の言葉だけど、
臨床家にとっては「死ぬこと以外全部勉強」
それも病気に負けない力になってます。
臨床家ってやっぱり、ちょっとおかしいよね
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