太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃からきょうで80年となります。真珠湾があるハワイのオアフ島では、犠牲者を追悼する式典が開かれました。

式典は、旧日本軍による攻撃で沈没した戦艦アリゾナの記念館をのぞむ真珠湾の会場で行われ、当時、戦ったアメリカ軍の元兵士や犠牲者の家族、それに軍の関係者らおよそ800人が出席しました。

ことしは新型コロナウイルスの感染防止対策として、出席者の人数が例年のおよそ半分に制限されたほか、座席は間隔をあけて設置されました。

式典では、真珠湾攻撃が始まった現地時間の7日午前7時55分、日本時間の8日午前2時55分にあわせて黙とうがささげられ、およそ2400人の犠牲者を追悼しました。

スピーチを行ったアメリカ海軍のカルロス・デルトロ長官は「犠牲によって築かれた平和と安全を決して揺るがすことなく、永遠に引き継いでいく。自由と民主主義を守るため、われわれは決して引き下がらず世界中の同盟国などとともにある」と述べ、平和を維持する決意を訴えました。

この式典とは別に、真珠湾では当時の安倍総理大臣とオバマ大統領が真珠湾を訪れた2016年から始まった日米共催の追悼式典が9日に行われることになっています。

ホノルルの高校生 日系アメリカ人への差別学ぶ

真珠湾攻撃から80年のことし、地元ホノルルの高校では、太平洋戦争中の日系アメリカ人に対する差別などについて学ぶカリキュラムが始まりました。

真珠湾攻撃のおよそ2か月後の1942年2月、アメリカでは当時のルーズベルト大統領が出した大統領令によって、およそ12万人の日系人たちが「日本軍に協力するおそれがある」などとして、山岳地帯などに作られた施設に強制収容されました。

こうした中、日系人たちはアメリカへの忠誠を身をもって示そうと、多くの人が志願兵になりました。

特に、ヨーロッパ戦線に送り込まれた、日系人を中心とする第100歩兵大隊と第442連隊は、ドイツ軍との激しい戦闘で「GoForBroke=当たって砕けろ」という標語を掲げ、多くの戦死者を出しながらも大きな戦果をあげました。

しかし、日系人に対する差別は戦後も続きました。

これに対して、かつて第442連隊に所属し、戦後50年間にわたって上院議員を務めたダニエル・イノウエをはじめとする政治家などが、アメリカ社会における日系人の地位を確立しようと取り組み続けました。

そして1988年、当時のレーガン大統領が強制収容を公式に謝罪し、アメリカ議会も強制収容によって人権が侵害されたことを認め、日系人に謝罪するとともに、政府が賠償することを定めた法律を制定しました。

また、アメリカ海軍は今月12月8日、「ダニエル・イノウエ」という名前の駆逐艦を就役させます。

日系人の名前がアメリカ海軍の艦船に付けられるのは初めてだということです。

米退役軍人「日本にいつまでも恨みを抱くようなことない」

真珠湾攻撃を経験したアメリカの退役軍人で、99歳のハーブ・エルフリングさんは記者団の取材に「最初はアメリカ軍の訓練だろうと思っていたら、ゼロ戦が迫ってきました。アメリカではなく、日本の飛行機だったのです。それから爆音が聞こえました」と、80年前に受けた衝撃の大きさを振り返りました。

そのうえで「その後、真珠湾には何度も来ています。アメリカは友好的な国であり、日本に対していつまでも恨みを抱くようなことはありません」と穏やかな表情で話していました。

バイデン大統領も犠牲者追悼

真珠湾攻撃から80年になるのにあわせてバイデン大統領は7日、首都ワシントンにある、第2次世界大戦で命を落とした兵士を追悼する記念碑をジル夫人と訪れ、犠牲者を悼みました。

そしてツイッターに「命を落とした愛国者たちに敬意を表し、国を守ったすべての人々の勇気をたたえる。そして世界によりよい未来をもたらした平和と和解を進めていくことを改めて誓う」と投稿しました。

バイデン大統領は弔意を示すため国民や政府機関などにこの日に半旗を掲げるよう呼びかけていてホワイトハウスでも屋根に半旗が掲げられています。