心全体は1本の木になぞらえることができます。 心全体を仮に1本の桜の木だとすると、 顕在意識は、個々の花、 個人の潜在意識は、枝、 万人共通の潜在意識(普遍的無意識) は、幹、 宇宙的無意識は 根、 といった表現ができますね。 まぁ細かいこと言うなら、 枝の中には、個人の潜在意識と、万人、共通の潜在意識の中間に位置づけられるべきところもあるわけです。
心の各層を、仮にそのように見立てた場合、 生命意識での真我観 では、 当然ながら、桜の根を真我とはみなしません。 根も含めた桜の木そのものを取り除いても、 なおその後に残る何かを真我とみなしているのです。
その何かとは・・・ 生命を生み出している実相。 それは「 無限性叡智 =トーラスの中心」 です。 太陽の動きや地球の動きが「 螺旋状に回転しながら、太陽とともに天の川銀河の軌道を循環している」 ことが明確に判明しました。 つまり、 太陽の周りを一定の動きで公転しているのではないのです。 この「 一定の動きで公転している」 錯覚が、 人間の習慣という自我を生み出したともいえます。
そもそも、生命は、 成長や発展という無限の可能性を実感するために存在しています。 だから、 同じことの繰り返しはありえないのです。何らかの変化が常に起こっているのです。それを認めない。 または、 気づかない。不足に思う。 他人の状態と比較して、妬ましく思うと言う錯覚を中心にしたそう年を生み出すのです。
しかし、 生命の原点である「 無限性知性 =トーラスの中心」 の存在を理解することで、 この錯覚は消え去ります。 消え去るものは全てバーチャルなのです。このバーチャルに翻弄さることなく、 この3次元を堂々と生き抜いていく概念をレクチャーしていきたいと思います。