艦これ御朱印帳

艦内神社の御朱印を集める

休艦日その280 普賢寺(長野県北佐久郡) / 渋川護国英霊殿(群馬県渋川市) / 戦艦武蔵慰霊碑(群馬県前橋市)———— 2021年 10月11日

普賢寺(長野県)

黄檗宗という江戸時代に隠元禅師によって新しく日本に入ってきた禅宗の一派で、延宝5年(1677)に開基された。
毎年9月8日夜に施リ行われる「大施餓鬼大供養」が、4月の最終日曜日には「中興開山忌 鳥蒭沙摩明王祈祷」法要が中国渡来のままの中国語による珍しい形式で大勢の禅僧によって、エキゾチックな雰囲気の中で厳かに執り行なわれる。山門手前にある2本杉は樹齢280年。
境内には「鉄眼一切経」を収めた経蔵がある。ともに町文化財指定。梵鐘は戦艦「陸奥」の第一主砲の鉄を用いて鋳造された。(御代田町観光協会HPより) 

横堀安儀君の歩み

 君は、大正4年11月11日桂萱村亀泉(旧勢多郡、現前橋市)に生まれ、昭和5年3月学業を終え、11年1月横須賀海兵団入団 5月第一掃海挺乗組、大演習のため小笠原群島及び朝鮮海峡に行動釜山鎮海に寄港、11月軍艦八雲(日露戦争当時の装甲巡洋艦)乗組、12年2月内地巡航より仁川・大連・旅順・上海に行動、遠洋航海のため横須賀出航基隆・マニラ・シンガポールコロンボ・アデン・スエズ運河を経てイスタンブ―ル・アテネパレルモナポリを周航・ローマ・ポンペーの古代遺跡を訪ね、マルセーユ・アレキサンドリヤ・ヂプチ・バタビヤに回航し、この間士官候補生の教育訓練と国際親善・在外邦人保護の任を果たす。
 13年5月海軍砲術学校第11期普通科側的術練習生の課程を修了、駆逐艦神風乗組、北洋警備のため北千島及びカムチャッカ半島周辺に行動、15年9月砲術学校第6期高等科側的術練習生の課程を終了、軍艦山城(扶桑型戦艦)乗組、紀元2600年紀念観艦式参加、11月巡洋艦愛宕(高雄型重巡洋艦)乗組、連合艦隊として行動、16年9月横須賀海兵団付となる。
 17年1月パラオ島にて巡洋艦麻耶(高雄型重巡洋艦)乗組、豪州・印度洋方面の作戦、ジャワ島沖海戦参加、8月5日戦艦武蔵乗組、主砲後部射撃指揮所補助員長として勤務、18年1月トラック島に進出す、2月武蔵は連合艦隊旗艦となり山本連合艦隊司令長官を迎え、6月天皇陛下行幸を仰ぐ、再びトラック島に進出、19年6月「ア号」作戦参加、10月「捷一号」作戦発動によりブルネーに出撃、24日午後7時35分、艦はシブヤン海に沈没、約7時間漂流、駆逐艦浜風に救助され、コレヒドール島に上陸、11月23日サントス丸便乗、25日午前1時15分バシー海峡にて敵潜水艦の雷撃をうけ再び沈没、約17時間漂流、駆潜艇に救助され台湾に上陸、高雄警備隊付となり新竹坑子口山砲台を構築、終戦となり、海軍兵曹長に昇進、勲七等に叙せられる。
 21年3月復員、宮城村赤芝(現前橋市)に入植、困苦欫乏に耐え開拓に汗し、食糧増産に邁進し、22年9月群馬県種畜場養豚部に勤務、家畜人工受精師となり優良種豚生産に精勵、31年3月皇居前にて元武蔵乗組員十数名と再会す。以来武蔵会結成に力を注ぐ、45年畜産試験場内に畜魂碑を建立、富士見村立時沢及び白川両小学校に横堀文庫を創設、生徒の教育指導に裨益す。
 48年比島方面武蔵戦没者遺骨収集団参加、続く33回忌大法要に際し再び訪比、53年3月退職後種豚生産に専念、畜産振興と地域社会の発展に貢献、亡き戦友の慰霊碑を建て永遠の平和を祈念し遺族と会員相互の交流を図る。之を稱えここに志す。(碑文より)

 

 

2日目開始でございます。

この日の天候は…晴れ!ていうか、早朝6時出発なんで超寒い。

なんか車のフロントガラスにも普通に霜張ってるし・・・とりあえず出来るだけ厚着して出発します。

f:id:Yagyu8bei:20211011055652j:plain f:id:Yagyu8bei:20211011055700j:plain

f:id:Yagyu8bei:20211011065113j:plain

殆ど車のいない山道を爽快にツーリング!

ただ、途中にある街灯温度計が気温8℃とか表示してるのはワイの見間違いか何かですかね…

 

 

3時間程寒空の下を走りまして、そろそろ20度近くなってきた時分で軽井沢は「普賢寺」に到着です。

f:id:Yagyu8bei:20211011101022j:plain

f:id:Yagyu8bei:20211011101029j:plain f:id:Yagyu8bei:20211011100920j:plain

奥の空き地にバイクを置いて周囲をうろうろしておりますと、お隣に住んでらっしゃるというお爺様が声をかけてくださったので「陸奥鉄の鐘を探している」と伝えます。すると「この鐘楼にあるよ」とのお答えが!ただ普段はお盆と正月くらいしか人が入ってないので後で聞いてみると良いよとお家の場所も教えてくださいました。

そこから普賢寺の成り立ちや軽井沢の道路事情、あと雪の時の大変さなどを詳しくお聞きした後(ありがとうございました)に教えていただいた家の方に向かいます。

 

月曜の午前10時前なので、いらっしゃればいいなぁと呼び鈴を鳴らします…すると奥様らしき人が。

事情を話し、鐘を拝見できますか?と聞きますと「良いですよ」と快諾いただけましたので、入口の場所も教えていただいてワクワクしながら突入します!

 

 

f:id:Yagyu8bei:20211011100915j:plain f:id:Yagyu8bei:20211011100907j:plain 

鐘楼裏の左側の扉から上へ。

土足で良いかわからなかったので、ブーツを抜いて木の階段を登ります…あった!

 

 

f:id:Yagyu8bei:20211011100656j:plain

f:id:Yagyu8bei:20211011100756j:plain f:id:Yagyu8bei:20211011100738j:plain

f:id:Yagyu8bei:20211011100804j:plain

f:id:Yagyu8bei:20211011100709j:plain f:id:Yagyu8bei:20211011100719j:plain

f:id:Yagyu8bei:20211011100809j:plain f:id:Yagyu8bei:20211011100836j:plain

これはまたスタンダードな形の鐘(少し小さめ)

とりあえず手を合わせて慰霊の念を送らせていただいてから写真を撮りまくります。おぉ、素晴らしい…

 

外に出ますと奥様が御用か何かで出ていらっしゃったようなので、その場で「貴重なものを拝見させていただきありがとうございました!」と再度頭を下げてお礼を伝えました。いやぁ良いものを拝見したっス。

 

 

そしてもはや真夏日と化した好天の下、暑さに呻きながら群馬県は渋川護国英霊殿に到着です。

f:id:Yagyu8bei:20211011122501j:plain f:id:Yagyu8bei:20211011122518j:plain

f:id:Yagyu8bei:20211011122537j:plain

f:id:Yagyu8bei:20211011122544j:plain f:id:Yagyu8bei:20211011122610j:plain

神社の入り口近くにあります英霊碑に手を合わせ本殿へ。本殿前の門は施錠されているのでそこから改めて参拝します。そして隙間から中を見るに左側になんぞある…あれか!

 

 

f:id:Yagyu8bei:20211011122642j:plain

f:id:Yagyu8bei:20211011122649j:plain f:id:Yagyu8bei:20211011122636j:plain

向かって左の隙間から拝見しております(出歯亀感)。間近で見ることは出来ませんが結構綺麗に残っております。これは良いなぁ…近くで見られたら良かったのになぁ…

 

 

そしてそこからまた1時間程、同じ群馬県にあります戦艦武蔵慰霊碑」へ向かいます。ここは戦艦武蔵の乗員であった横堀安儀氏が、生き残って慰霊にと建てた碑との事です。こんなんあったんですなぁ…。

f:id:Yagyu8bei:20211011133025j:plain f:id:Yagyu8bei:20211011130312j:plain

えー以前来た三夜沢赤城神社の鳥居の超近所。

こんな場所にあったんですなと超ビックリでございますw

 

 

f:id:Yagyu8bei:20211011130306j:plain f:id:Yagyu8bei:20211011130218j:plain

f:id:Yagyu8bei:20211011130258j:plain f:id:Yagyu8bei:20211011130249j:plain 

f:id:Yagyu8bei:20211011130243j:plain

掲示板の展示や解説板は完全に色あせて読めなくなっておりますが、立派な慰霊碑はしっかりと健在です。手を合わせて慰霊の念を送らせていただきました。

 

 

この後、すぐ近所にありますローソンで昼食をとりまして一寸休憩。

今度は群馬を抜けて南下していきます。