峯雲 (駆逐艦)
一等駆逐艦峯雲(みねぐも)は、日本海軍が藤永田造船所で建造した朝潮型駆逐艦で、1938年(昭和13年)4月に竣工した。 1941年(昭和16年)6月23日、駆逐艦夏潮と黒潮を巻き込む多重衝突事故を起こした。 12月8日の太平洋戦争開戦時、ひきつづき朝潮型4隻(峯雲、朝雲、夏雲、山雲)で編制された第9駆逐隊に所属し、第四水雷戦隊僚艦と共に南方作戦にともなうフィリピン作戦、蘭印作戦(バリクパパン沖海戦、スラバヤ沖海戦、クリスマス島攻略作戦)等に参加した。
1942年(昭和17年)6月上旬のミッドウェー作戦や、ガダルカナル島攻防戦にともなう8月中旬の第二次ソロモン海戦前後における第9駆逐隊(朝雲、夏雲、峯雲)は、第二艦隊司令長官近藤信竹中将の重巡洋艦戦隊と行動を共にした。峯雲は8月20日にトラック泊地で座礁し、海戦後は空襲で損傷した水上機母艦千歳を護衛した。9月下旬よりソロモン諸島に進出、ガダルカナル島への駆逐艦輸送作戦(鼠輸送)に従事した。10月5日に空襲を受けて損傷する[17]。内地に戻り、横須賀で修理をおこなった。
戦線復帰後の1943年(昭和18年)3月上旬、峯雲と駆逐艦村雨はコロンバンガラ島輸送作戦を実施する。クラ湾を航行中の3月5日夜、連合軍艦隊(巡洋艦3、駆逐艦3)のレーダーを活用した夜間奇襲攻撃により、村雨と峯雲は一方的に撃沈された(ビラ・スタンモーア夜戦)。(wikipediaより)
平和中央公園
旧日本軍の演習砲台跡を利用して造られた公園です。文化や歴史の碑が数多く設置されており、春は桜の名所として有名です。
東京湾や対岸の房総半島までを望める眺望や、三浦半島の歴史などを学べる「自然・人文博物館」も魅力です。(横須賀市HPより)
横須賀市自然・人文博物館
横須賀市自然・人文博物館(よこすかししぜん・じんぶんはくぶつかん)とは神奈川県横須賀市にある市営の博物館である。自然博物館と人文博物館の2館で成り立っており、三浦半島の自然と人文、両分野の資料の展示や保存、研究を行っている。(wikipediaより)
と言うわけで旅も折り返しを越えて3日目。天候はちょっと微妙な感じです。
横須賀は昼前から雨との予報 orz
とりあえずホテルで無料の朝食を腹に詰め込みまして、ここから近い「駆逐艦『峯雲』慰霊碑」へ向かいます。大体15分くらい。
慰霊碑がありますのは「満昌寺」さんと言うお寺さんの墓地。駐車場にバイクを停めさせていただき、先に本堂のほうへご挨拶…って、駐車場から斜面にあります墓地を見ますと…
あの特徴的な形、多分あそこにあるなぁと目星をつけるワイ。
形としては以前お伺いした「村雨」の慰霊碑に似ている感じです。
それは兎も角ご挨拶ごあいさつ・・・。
まだ8時前で誰もいらっしゃらないようなので、本堂前から手を合わせてご挨拶します。すごい立派なお寺さんですなぁ。
そして先ほど見かけた峯雲の慰霊碑へ。
どうか安らかにお眠りくださいと手を合わせ、ご焼香と慰霊の念をお送りしました。
そして雨が降りそうで降らない微妙な感じの下、「横須賀市自然・人文博物館」へ向かいます。事前情報では此方に戦艦陸奥のボルトが展示されているはず・・・
到着!…したのは良いのですが開館は9時からとの事 orz
現在8時半でして、ただ待ってるのもアレだなぁと周囲を見渡します。…ん?
すぐお隣にありますのは「平和中央公園」!!
案内板を見るに慰霊碑やら記念碑やらあるっぽいので、30分程散策することに。
これが想像以上に素晴らしい場所でした。
戦没者慰霊塔に手を合わせ、デッカー司令官像に頭を下げ、米ヶ濱砲台跡を覗き込んでいるうちにあっという間の30分経過。慌てて博物館へ戻ります。
そしてこちらも素晴らしい展示内容!
平日火曜の朝一なので、見学者はワイ以外だれもおりませんw
かぶりつきで自然館・人文館ともに時間を忘れて拝見します。
お、戦争関連の展示はここかな?
横須賀関連の艦やドック・著名な人物等を解説・展示されているコーナーを発見。こちらも時間を忘れて穴が開くほど拝見しました。
一通り拝見しまして「あれ?陸奥のボルトは無かったな」と気づき再度確認。やはりありませんでしたので、入口にあります学芸員室でお聞きしたところ「あれは特別展示の時にしか出していないので今は奥に仕舞ってあります」との事。残念ですが仕方ありません。次回展示されるときは拝見しようと心に決めて退散しました。
次の場所へ向かう前にヴェルニー公園にて、噂の陸奥砲身前の穴と以前見られなかったヴェルニー記念館(SNS掲載禁止)を拝見。
ここには砲弾が展示されるとの事でしたので、再来を約束しつつ雨雲から逃げるように横須賀から退散しました。