柴犬日記と犬の児童小説

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河村たかし、という男ー政治信条は優秀

2021-08-19 12:37:53 | おもしろい
「メダルかじり」で、国民からフルボッコ中の河村たかし名古屋市長が記者会見で謝罪し、3カ月間の給与、計150万を全額カットすると発表したことを受け、人口約230万人を抱える政令指定都市の市長のわりにはちょっと安すぎるのではないか、と大きな話題となったのである。

 そんなトレンドの中では、この非常識に安い給与が、あの非常識な行動につながったのではないか、という声も方も多く聞かれた。要点をまとめるとざっとこんな感じだ。

●名古屋市長という職務の責任の重さに見合わない。こんな安くしたから市長としての自覚が足りなくなったのでは?
●政治家はそれなりに高い給料にしないと、優秀な人材が集まらなくなってしまう。

●「庶民の味方」というパフォーマンスに力を注ぎすぎて、何をしても許されるという甘えが出たのは。

 実際、お笑いコンピ「キングコング」の西野亮廣さんも、音声プラットフォーム「Voicy」で、多くの人の生活を背負うリーダーの給料が「月50万」というのはかなり危険で、「市長のパフォーマンスが下がる」としてこう分析をした。

「ご本人および、まわりのスタッフは庶民の味方という捉え方されていたのかもしれませんが、市長の給料が50万円というのは“言い訳が多分にできる状況”であるので、やっぱり金メダルもかじっちゃうんです」(スポニチ8月17日)

 さまざまな意見があって当然だが、個人的には「月50万」と「メダルかじり」はあまり関係ないのではないかと思っている。

 筆者は日本の賃金をどんどん上げていくべきだという考えがあるので、高いパフォーマンスを上げるリーダーが高い報酬をもらうという西田さんの考え方に異論はない。が、民間のリーダーと「選挙で選ばれる政治家」は果たす役割も責任も根本的に違うと思っている。実際、経営者のように高い報酬をもらっているので高いパフォーマンスを発揮するというものでもない現実があるのだ。

高報酬・低パフォーマンスの政治家が溢れる日本

自ら「月50万」にしている河村市長

 例えば、ほとんど使用しない公用車に、高級車を採用して自分の移動に使って批判を浴びた知事や、市長室に360万のシャワー室を取り付けたり高級家具を買い揃えたりしていたと追及された市長は、みな河村氏よりも「高給取り」だ。また、年間給与約2000万と、非課税の文書通信交通滞在費1200万を懐におさめる国会議員も、中国企業からカネをもらったり、選挙でカネをバラまいたりしている。国民に自粛を要請しておきながら裏で銀座通いもする。

 つまり、河村氏の倍の給与をもらっていても、政治リーダーとしてパフォーマンスの低い政治家もいれば、「メダルかじり」よりモラルを欠いた行動をしている政治家もゴマンといる。

 さらに言えば、「月50万」によって市長としてのパフォーマンスが落ちるというのなら、とっくの昔に名古屋市行政はハチャメチャになって、河村氏は市民から「クビ」を宣告されているはずではないか。

 なぜなら、「月50万」という給与は、もうかれこれ12年以上も続けているからだ。

 ご存じのように、名古屋市は中京経済圏の中心で、世界的企業トヨタのお膝元ということもあり財政的にかなり潤っている。そのため、もともと市長の給与も全国トップレベルの年収2400万と条例で定められていた。

 これを河村氏が3分の1にした。2009年の選挙で自身の年収を額面で800万にすると公約を掲げて当選したからだ。ちなみに、800万というのは当時の厚生労働省の調査で「大卒男性60歳」を基準とした年収である。

 それから12年で5回の選挙を経て、この「月50万」は今日まで続いている。市長の任期が終わるたびに支給される退職金も受け取っておらず、その額は約3億5000万となっている。

「石の上にも3年」ではないが、仮にこれが「政治パフォーマンス」だとしても、ここまで続ければ、「政策」として評価していいのではないだろうか。

守られない公約ばかりの中、「月50万」は達成できている
 言うまでもないが、政治家の「公約」というのはほとんど達成されない。古くは民主党のマニフェストもそうだが、安倍・菅政権も細かく検証をすれば公約破りは山ほどある。それは政治家側もよくわかっているので、「子育てや医療・福祉を頑張ります」とか「誰もが笑顔になれる社会を目指します」という「ふわっ」としたスローガンを押し出して、「公約違反」にならないようにしている。

 もちろん、河村氏も実現できていない公約はある。が、自身の給与削減とともに、職員や市議会議員の給与も減らして、「市民税の減税5%」を平成24年から続けている。

「マスコミ受けのパフォーマスだけ」「市長のせいで職員は機能不全だ」などなど辛辣な批判も多いし、早く消えてくれと願う市議会議員や政党も多い。それでも2009年の初当選以来、12年で5回の選挙で圧倒的な勝利をおさめているのは、名古屋市民が河村氏の「パフォーマンス」をそれなりに評価をしているからだ。

人間・河村たかしの言動と「政治家の給与削減」は切り離すべき
 では、「月50万」によって政治家としてのパフォーマンスが低下したことで、「メダルかじり」という非常識な行為が引き起こされたのではないとしたら、どういった理由で河村氏はあんなことをしたのか。

 16日にあらためて謝罪をした際に、「周りを盛り上げようと言ってきたがハラスメントに該当すると分かった」とご本人が述べているように、報道陣の前であれをやれば「ウケる」と勘違いしていたのではないか、と個人的には思う。

 河村たかしという政治家は、「騒ぎ」を起こすことで存在感を示してきた。国会議員時代、文化財としての価値のあった愛知県立旭丘高校の校舎取り壊しに反対し、自分自身を鎖で巻いて校門で座り込みをした。新しく議員宿舎を建て直すことに反対していた時も、入居せずに家賃7万5000円のマンションから国会に来た。

 その「思いたったら即行動」というのが今回は裏目に出た。名古屋城の金のシャチホコもかじっていたと蒸し返されたが、河村氏の中ではそれと同じ意識でやってしまったのではないか。

 だから、メダルにかじりついたというニュースを聞いた時、正直それほど驚かなかった。むしろ「いかにもやりそうだ」と思った。

「ずいぶんわかったようなことを言うじゃないか」という声が聞こえそうだが、多少なりとも河村氏の人間性は知っているつもりだ。2005年、雑誌の編集者だった頃に河村氏の連載を担当したことが縁で、その後もいくつかの著書を手伝っているからだ。

 当時は衆議院議員だったが、その頃から破天荒だった。ある時、議員会館の事務所でインタビュー中、若い頃に履いていたジーンズが見つかったという話題になった。すると、「どれ、ちょっと履いてみるか」といきなりズボンを下ろしてパンツ一丁になったので、びっくりしたことがある。そういう人なのだ。

 擁護をしているわけではない。ただ、「人間・河村たかしの非常識さ」に向けられる批判と、河村氏が実行してきた「政治家の給与削減」や「減税」は切り離して考えるべきだ、と言いたいだけである。

河村市長が、政治家の給料は少なくていいと考える理由
 なぜ河村氏が全国の市長で最低の「月50万」にしているかというと、政治家はパブリックサーバント(全体の奉仕者)と考えているからだ。

 年収がトータル3200万円の国会議員も選挙演説などで同じことを言うが、実は世界でもこんなにガッツリと税金で食わせてもらっている議員はレアケースだ。税金による負担は最小限にして、寄付で活動をするスタイルが多く、利権を貪らないように期限を設けて、議員を長く続けられなくしていることもある。また、地方議会などは昼間に本業があって、休日や夜の議会に参加する「兼業議員」という国もある。

 しかし、日本では国会議員も地方議員も一度当選すればやめたくない、高給取りの美味しい職業となっている。だから、なるべく長く続けて、しまいには息子や孫にも後を継がせて、「ファミリービジネス」にしたいという人たちが続出する。かくして、日本の議会には3代続く世襲議員や、80歳オーバーの高齢議員が溢れかえっているというわけだ。

 こういうビジネス政治家に思いきった改革はできない。だから、給与を下げて「ボランティア」にすれば、高給取りの上級国民ではなく、社会に奉仕するパブリックサーバントが増えていく。河村氏はそう考えているのだ。

 もちろん、賛同できない人も多いだろう。筆者もこの件でよく議員や政治記者と意見を交換するが、ほとんどの人が否定的だ。

「それでは貧しい人が政治家になれない」「安定した収入がないと不正をするのでは」「優秀な人材がこない」と、議員には企業経営者くらいの金を税金で出さないと、日本がおかしくなってしまうという。

 しかし、今の状況を見ていただきたい。年収3200万の国会議員に、貧しい人の代表や、優秀な人ばかりが集まって、国民目線の政治が実現できているのか。税金でこれだけ食わせているのに、「政治とカネ」の問題も一向になくならない。

「政治家=特権階級」という明治時代から脈々と引き継がれてきた「政治家にたくさんお金をあげれば、そのお金に見合う仕事をしてくれるはずだ」という考え方自体が間違っているという可能性もあるのではないか。

 河村氏が掲げる「減税」もそうだ。

 一般的には、減税や行政改革というのは、政治家がリーダーシップを発揮して、税金のムダをカットしたり、行政をスリム化したりして達成される、と考えられている。

 しかし、現実はどうだろう。行政改革も政治改革もほとんど進んでいない。減税どころか増税が進んで、社会保障の負担もどんどん重くなっている。つまり、「優秀な政治家を応援さえしていれば、改革が進んで国民の生活がラクになる」という考え方も間違っている可能性があるのだ。

 だから河村氏は「逆」を続けている。まず「減税」をするのだ。税収が減れば、追いつめられた行政は自らムダを削減していくしかない。そうなると税金でメシを食う政治家も我が身を削るしかない。いくらムダを減らせと言っても自浄作用のない組織は必ず抜け穴をつくる。そこで、収入を意図的に減らすことで、自ら改革をするように促すのだ。

政治信条まで潰してはならない
 これが正しいかどうかはさてき、実はこの構造は「生産性向上」にも当てはまる。

 これまで日本商工会議所や日本の経済評論家などの常識では、中小企業に税金をじゃんじゃん投入して、設備投資などを応援すれば、生産性が向上して、従業員の賃金も上がるとしてきた。

 しかし、この方向性を50年続けてきた結果が、今の日本の生産性の低さと、先進国の中でダントツに低い賃金だ。

「首相のブレーン」として知られる小西美術工藝社のデービッド・アトキンソン氏は、海外の最新の分析などをもとに、これを「逆」だと主張している。つまり、生産性を上げてから賃金を上げるのではなくて、賃金を上げていくことによって、中小企業経営者が生産性向上に動き、そこからまた賃金が上がっていくという好循環につながるというのだ。

 こちらが正しいとしたら、「政治家の給与削減」や「減税」も同じなのではないか。我々は少しでも豊かな生活をしたいと、「こんな安月給じゃあ改革してくれないぞ」「お金に困ってヘソを曲げて不正でもしたらどうするんだ」と必死になって自分たちの血税を“政治家様”に献上してきたが、実は事態を悪化させているのではないか。

 今回の騒動で一つだけ筆者が心配しているのは、メダルかじりバッシングの巻き添えになる形で、河村氏が続けてきた「政治信条」まで潰されてしまうのではないかということだ。

「やはり政治家にはバーンと2000万くらい出さないとレベルが低くなっちゃうな」

「減税なんてパフォーマンス政治をしているから、あんな非常識な人間になるんだ」

 こんなことになれば喜ぶのは政治家と、そこにぶら下がる上級国民の皆さんだけだ。河村氏を叩いている人も、ぜひそこだけは切り分けてお願いしたい。

(ノンフィクションライター 窪田順生)

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