まるぞうさんの備忘録より

 

大切にしていたものが壊れた時、失くしたとき

多くの人は「ついていないなあ」と嘆くことと

思います。 

しかし私は「身代わりになってくれたかも」

とも思います。 

「大難が小難になってくれた」 かもしれません。

大切なものが壊れたり、失くなったりするのは

残念ですが、事故にあったり怪我をしたり病気に

なることの身代わりになったのかもしれません。

 

人生は陰と陽のリズムです。 

人生で得たものは、お返しすることとなりますが、

手放したあとはまた与えられる。そういうリズム。 

 

厄を祓う二つのコツ。 

不運なことが起きたとき、

「お祓いにいった方がいい」

「今年は厄年だから」

と言う人もいるでしょう。 

でも不運なことが起きたことで、すでに「祓われた」

かもしれません。 

 

自分に起きた「不運なこと」 が「お祓い」になる。

不運は避けようと努力していたけど、不可抗力で

起きたものほど「祓い」になる。 

 

大きな災難の前には必ず「小さな警告」がある。 

最悪を想定して備えて、小さな警告にも出来る限り

耳を傾けていたにも関わらず起きてしまう災難。 

これは「祓いの災難」であると思います。 

これで起きたのなら「仕方ない」です。 

大きな災難になるところ、これが身代わりになって

くれたのです。

 

もう一つは「水に流す」です。  

「仕方ないと水に流す」ことが祓いの結び。だそうです。 

避ける努力をしていたにも関わらず起きる災難。

仕方ないと「水に流す」ことで、「祓いとして結ばれる」

そうです。 

「ツイてないこと」が起きても、「災難を祓った」

と捉えて、小難で済んで結果、本当は幸運でした。 

 

なぜか不運が続く? その1 

何度も「ツイてないこと」が起きる人は、

災難を避ける努力していない人かも知れない。 

最悪を想定して備える努力が日常で手薄な人

かも知れない。 

小さな警告に耳を傾けることをしない人かも

知れない。 

約束を守る、時間を守る、メモをとる、挨拶をする、

生活や衣服を清潔に保つ、などは生きていくうえで

災難を避ける大切な努力です。

「大人」は全員経験で知っていること。 

 

なぜか不運が続く? 

自分に起きた災難をいつまでも忘れない人。 

誰かのせいにして誰かを責め続ける人。 

自分は運が悪い、ツイていないと嘆く人。 

 

もし去年、ツイていないことがあった人は。 

それはその分、祓われた。

これでもまだ小難で済んでいた。

ということかもしれない。

 

 

 

 


 

にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ