今日のダーリンより

 

感じる、思う、考える、する。
そういうことを人はしている。
すべて品詞としては動詞である。


この世にひとたび生まれてからは、
人はずっと動詞の連続である。
眠るも動詞、気を失っているも

動詞だけど。

人の一生がどういうものだったか

については、まずは動詞で綴られる

ことになる。
戦っただとか、井戸を掘っただとか、
耕しただとか、いろんなことをして

いるものだ。


では、「感じる、思う、考える」

というような、じぶんひとりで

じっとしていながらの動詞は、
どういうものなのだろうかねぇ。


たくさんの情報を浴びて、たくさん

反応していると、なんだか

「いっぱいなんかやった」

ような気になるけど、実はほとんど

「じぶんの生を生きていない」

かもしれない。
 

自然(人を含む)にはたらきかけて

いたことだけが、その人の人生で

あるのではないだろうか。
 

無口でも、本当はあんまり考えて

なくても、せっせと耕したり、

ずっと店番をしてたり、子供やら

大人の遊び相手をしていたことは、

ぜんぶ、その人のりっぱな一生に

なっていると思う。

なにを言ったかではなく、なにを

したか。

それがその人だ。

 

 

 

 

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