大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

白浜・天神崎他

2023年03月22日 | 風景
娘夫婦が久しぶりに来阪、アドベンチャーワールドへ行くことを聞いた相棒の「私も行きたい」、との一声で3月19日から一泊で白浜へ同行。

天王寺発7時57分、列車の前面と側面や座席・扉等にパンダがデザインされた特急くろしおパンダ号に乗り込み、10時10分白浜駅着。
白浜駅ではパンダの置物がお出迎え。

レンタカーで天神崎⇒闘鶏神社⇒熊野三所神社⇒三段壁⇒白浜海中展望塔⇒千畳敷へ。

和歌山のウユニ塩湖(南米ボリビア)として有名な天神埼、一見何でもない海岸線の岩場ですが、満潮時岩場が海水で覆われたときには逆光の中での風景(人物が水面に映る)が大変美しく観光ルートの一つです。(写真上右はインターネットから)

闘鶏神社(世界遺産)は、允恭天皇8年(419年)に創建。
白河天皇の時代(11世紀)に熊野三所権現を勧請し、熊野参詣の折には鬪雞神社に参拝して心願成就を祈願するとともに熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)参詣に替えたといわれ、熊野三山の別宮的存在として熊野信仰の一翼を担っている。

また、闘鶏神社の名は、平家物語壇ノ浦合戦の鶏合せの故事に由来。
源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された武蔵坊弁慶の父である熊野別当・湛増が、どちらに味方をするかを本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせた。すると、ことごとく白(源氏)の鶏が勝利したため、源氏に加勢することを決め、熊野水軍200隻を率いて出陣したことが合戦の勝利に結びついた。境内には弁慶を祀る弁慶社(写真上右)もありました。
地元ボランティアの説明が受けられたのはラッキーでした。

熊野三所神社は、斉明天皇4年(658年)に斉明天皇が弟である有間皇子の勧めにより牟婁の湯(現在の白浜温泉)に行幸した際、当地にあった石に腰を掛け、その腰掛石を磐座として祭祀を始めたとされ、後に熊野三所権現を観請して社殿を整えた。

三段壁は、長さ2キロ、高さ60mに及ぶ柱状節理の大岩壁で断崖絶壁の名勝として知られ、展望台が設けられており雄大な南紀の海景を見ることができ、60m下の三段壁洞窟には熊野水軍の舟隠し場等がある。
 
白浜海中展望塔は、沖合約100mの地点に位置し、高さ約18m、水深約6mの全天候型展望塔です。
塔内12ヶ所にある大きく丸い窓からは、自然なままに泳ぎまわるチヌやグレなど約30種類にも及ぶ魚たちを鑑賞することができ、まるで白浜の海中をゆったりと散歩しているような気分を味わうことができます。
グレや石鯛も見ることができましたが、一番多く見ることができたのはフグでした。

千畳敷は、新第三紀層の砂岩からなる、太平洋に面したスロープ状の岩盤で面積は約2ha。砂岩は非常に柔らかいため打ち寄せる波の浸食を受け、複雑な地形を形成している。

本日の観光は終了、車のおかげで相棒も移動が楽に、また効率よく観光もでき、運転をしてもらった娘婿のHさんに感謝。
美味しい夕食を頂き、温泉に浸かってバタンキュー。明日はパンダに出会います。
歩数計10519歩。
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