あのヤマトタケルに関係が?焼津の地名の由来を簡単に解説
静岡県の城巡りをしている途中、ランチで「焼津」に寄りました。いや~、さすが今川氏や徳川家康のお膝元であり、武田氏と激戦を繰り広げられた土地であるだけあって、静岡はかなり城が多いですね!これは何度も遠征をしなければならないレベルです。
焼津さかなセンター
さて、「焼津」と言えば全国でも有名な漁港ですよね。水揚量は全国トップクラス。また、マグロの水揚量も日本一です。そんな焼津、もちろん焼津さかなセンターで食べた海鮮は抜群においしかったんですが、それよりも何よりも、「焼津」という地名ですよね。
生シラス丼。うまー!
歴史好きや地名好きからしたら焼津というのはとても目を引く地名です。そんな焼津の地名の由来を簡単に解説します。
分解してみよう
地名を理解するときはまず「分解」です。さっそくいってみましょう、こんな感じです!どんっ!
<焼津の地名分解>
- 焼・・文字の如く、焼ける。
- 津・・港。船渡し。
意味合いとしては割と分かりやすいですよね。特に「津」に関しては、そのまんまです。新潟県の「直江津」や三重県の「津」等、現在も港として使われている地名はほかにもありますからね。
一方、問題は「焼」なんです。むしろ、焼津の地名のポイントは「焼」一極と言ってもいいほどなんです。これは、考えても分からないものなのでご説明します。
でたっ!またもや「ヤマトタケル」
実は、「焼津」というのはあの「ヤマトタケル」にちなんだ地名なんです。ヤマトタケルというのは第12代「景行天皇」の息子(皇子)であり、第14代「仲哀天皇」の父でもある人物で、なにかと色々伝説がある人物です。「熊襲征討」や「東国征討」が特に有名ですが、この「焼津」の地名のポイントはその「東国征討」という中の話です。西暦でいうと100年前後といったところでしょうか。「東国征討」とは簡単に言えば、現在の関東あたりの鎮撫です。その際はまだ中央集権の実効支配は全国に及んでいませんでした。
このサイトでもヤマトタケルにちなんだ地名の由来をご紹介してきました。例えば、群馬県の「嬬恋」や「我妻」は、この「東国征討」途中で妻を亡くしたことをその地で嘆いたことにちなんだ地名です。
そんなヤマトタケルが「東国征討」の際に、現在の焼津を通った際に賊衆に襲われていまいます。ヤマトタケルは持っていた「草薙剣(三種の神器ですよね)」で葦を薙ぎ払い、火を放って難を逃れました。その事象にちなみ、「焼津」と名付けられたんです。
そのため、焼津という言葉は日本最古の歴史書である「日本書紀」や「古事記」にも登場するほど古くからある地名なんです。
ちなみに、「焼津」の近くには「草薙」という地域もあります。もちろん、駅も。これも、先ほどの物語の通りですよね。
いやはや、ヤマトタケル恐るべし!ヤマトタケルにちなんだ地名が各地にあるということは、やはりヤマトタケルは伝説になるだけあります。いつか、ヤマトタケルに由来する地名をまとめたいと思います。