武相荘折々のくらし in 名古屋 | (新)なごやん

(新)なごやん

名古屋からJリーグ アルビレックス新潟に熱い思いを送ります。旺盛な好奇心そのままに、アルビネタに留まらず、鉄道、芸術、SWL(短波・海外放送受信)、昆虫、等々、思いつくまま書いていきます。
これまでの「なごやん」にログインできなくなったため、こちらで続けます。

 第二次世界大戦後、日本の復興に大きく関わった白洲次郎とその妻、正子の展覧会が名古屋の松坂屋美術館で開催されていて、私も先日行ってきました。

 題して「白洲次郎・白洲正子ー武相荘折々のくらし」です。

 白洲次郎生誕120年を記念するものです。

 

 通常の美術展とは違い、白洲夫妻の生活を振り返るもので、東京都町田市にある、白洲夫妻の旧邸宅「武相荘」にある生活用品の数々が展示されています。

 会場内は撮影可ですので、あちこちで写真を撮りました。

 会場へ入ると、まず、白洲次郎が英国ケンブリッジ大学留学中に愛用した、ベントレーが迎えてくれます。

 1924年製だそうです。

 

 白洲次郎の蔵書も展示してあり、その中にはレフ・トロツキーの著作もあります。上流階級に属する白洲次郎が、トロツキーから何を学んだのでしょうか?

 

 北大路魯山人の陶器です。

 こんなのを見ると、「うん、これは美術館に合ってる」なと思いました。

 

 "ダンディ"な次郎の衣服です。

 矢印のシルクハットに見覚えはありませんか?

 白洲次郎が使えた吉田茂の孫で、某政党の副総裁である代議士がよくかぶっていますね。あれは、おじいさんが可愛がっていた白洲次郎にあやかってとのことのようです。私に言わせれば、単に真似しているだけのことですけど。

 

 白洲正子もまた、薩摩の伯爵、樺山家出身の教養豊かな"お嬢様"でした。

 ただ、単にお嬢様というだけでなく、勝気で自立心が強く、幼少時から能を学び、14歳には米国留学も果たしています。

 若干18歳で白洲次郎と結婚し、随筆家として数々の作品を残しています。

 その正子が筆を執っていた部屋が再現されていました。

 

 正子はまた、着物にも造詣が深かったようですが、片付けなどは苦手だったようで、刷毛を入れる箱の裏には次郎が「Hope SHE will be MORE TIDY」と書きなぐって(?笑)いました。ただ、「これを正子自身が実際に目にしたことがなかった。」と、娘の牧山桂子が記しています。(more tidy でも意味は通じますが、tidy の比較級は tidier でよいでしょうけど。)

 

 戦後の日本でGHQと対等に渡り合った白洲次郎は、戦後日本のあゆみに大きな影響を与えた人と言えますが、この展覧会からは、私はそういった視点よりも、別世界を見せつけられた感覚を持ちました。

 知人にそんなことを話したら、「そりゃそうだよ。我々とは根本的に違う世界の人だから。」と言われ、「ごもっとも」と納得しました。

 

 そうは言っても、昭和史を作っていった(次郎自身は「日本の政治家を牛耳ってやった」と思っていそうです)2人ですから、彼らの生活を振り返ってみる価値は十分あります。

 

 この展覧会は昨年5月、富山でスタートし、神戸、鹿児島と回り、ここ名古屋が最終です。

 4月2日(明後日)まで開催されています。

 

相互リンク⇒アクティブなごやん

 

美術館ブログはこちらです⇒

 

にほんブログ村もクリックよろしく⇒