人生楽しく生きようぜ!

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3.11

2024年03月11日 | 日記
昨夜、久しぶりに震災のニュースで石巻を見た。
あの時の記憶
テレビでは当時の写真や映像が流れていた。
悲惨な部分ではなくあくまでも復興の様子である。
石川県のこともあるからであろう。
復興のお手本であるかのような番組制作
それで良いのか?
と感じる

あの時、教訓にしなければ
そい感じるのだろうか

犠牲となった人?
いや違う
街や社会、そして自然

自然災害となるのだろうか
津波
地震
これは防ぎようがない
地震が起きれば津波が作られて
街へと海水が流れ込む
島国である日本は皆同じ

県や町は自然には関係ないのだ。
海に面している場所全てが被災地になる可能性もある。

亡くなる命
自然災害であることはいけない
自然ではない、人災であれば
まだ救われるのだろうか?

12歳で亡くなった姪
生きていればとっくに成人し
大学も卒業し
もしかしたら親になっていても不思議ではない年齢だ。
幼い頃から一緒にあそんだ、1つ年上の我が長女
今週末が出産予定日
なんとも考え深い

震災の翌年
長男の死

一人暮らしを開始しわづか二週間
ちょうと同じ時期に我々は都内へと引っ越し
次男は埼玉、長男も埼玉
親としてはやっと肩の荷が降り
娘との3人暮らしねスタート

たった一週間で長男の突然死
アパートの管理人からの連絡
様子がおかしい
テレビの音、光が漏れてる

警察と一緒に入室しますとのこと。
その時
私はインフルエンザで高熱のときだった。
妻が警察と管理人と一緒に向かう
警察官が入室

ソファーにもたれてなくなっていたようだ。
妻は見れず

それから三週間
解剖が終わり
死因は突然死

急いで火葬と葬式を出す

震災から一年後
3.11

姉、淑子 48才
姪、美琴 12才
長男、正純 26才

その他、親戚で亡くなった皆さん
叔父、叔母、娘と犠牲に

会社の仕事中、若くして犠牲になった
車も見つからないまま
時間は13年を刻む

妻の父、母
震災で怪我をした
3.12、埼玉県の病院に運ぶ
ガソリンが無い中
妹から借りた車で寝たきりの母と父を埼玉まで、高速無しで運んだ
震災翌々日
夕方4時30分石巻を出た
痛がる母を後部座席に乗せ
埼玉に着いたのは夜中2時

妻と連絡を取り近くの総合病院へ直送

病院はすぐに頭の検査
 我々は足、腕の骨折とはがり
プロの見立ては違い頭だった

頭の怪我
骨盤

骨折のためしばらく入院

その後
病院となりのアパートを借用し
移り住むことに

石巻と東京
1ヶ月で8往復

ヤフオクで買ったボンゴバン
荷物を満載にして
石巻へ
物資運搬

日本橋で塾を開き2年
やっと赤字から脱出する
そんな時期での震災だった

保護者からの支援

毎回荷物満載
食料、そしてガソリン、灯油、水

知り合いの同業でもあり友人でもある
宮本氏からのこと
燃料、米、現金が車に積んであった
時間が無く
別の準備に追われた時

満載に積んだ荷物

次男と共に石巻へ運ぶ

ガソリンは帰りの分
そして困っていた方へ
水も食料も

ぜんぜん足りない
自分では精一杯であった

限界

電気、水、食料、燃料

全て無い

姉、姪は一緒にいて被災

見つからない毎日

自衛隊からの電話が毎日
まだ、見つけられない
ごめんなさい、必ず見つける
そんな電話が毎日続いた

ふと今思う

生活に必要なもの
生きる力
生き抜く力
そう感じる
金も学歴も必要なんかない

生きようとする力こそ
必要

そして仲間
助け合う、他人であっても目を逸らさずに
手を差し出す勇気と力

今の令和の子供達
都内にいると学歴が全て
そんな育て方をされて
大丈夫か?

勉強なんてたいしたことはない
やろうと思ってからで充分

健康と心を作る
そんな教育をしていきたい

我が塾での志でもある

生きる教育
真剣に子育てと教育
金ではない心のこもった教育をしていく

我が塾
開塾16年をもうすぐ迎える

石巻から埼玉、そして東京
幸せなのだろうか?

3.11
毎年考える

朝3時30分
ケンメリをとばし
高速

あの時を忘れたい

パーキングでコーヒーを飲みながら
スマホを手に
こんな記憶をブログにアップ

食堂の蕎麦
朝から僕を招く

怪しい誘惑

今日くらいはいいのか

ふだんサラダ、肉、🐟以外は食べない生活
パーキングのフードコートにはわづか数名
自分以外の2人は蕎麦を・・

さて誘惑に誘われてみるか!


朝からの鴨南蛮蕎麦
食す

かなり美味い
と書きたいとこれだ
パーキングはそんな期待は出来ない
1人心を満たす場所
それだけで充分
無料だし
守谷パーキング 蕎麦はイマイチだが
憂鬱さは少し解消された。




薄暗かった守谷から常磐道を走り
東北道、蓮田Pでコーヒータイム










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