【2021年9~11月】石川県加賀市 獅子舞取材 大聖寺相生町

10月13日

19:00~ 大聖寺相生町

区長の山谷外二郎さんに加賀市役所の代工さんのご紹介でお会いすることができた。同行は北嶋夏奈さん。相生町は獅子舞も獅子頭も元々、無いと聞いていたが、急展開。昔区長を経験された池田孝之さんの家から獅子頭が発見された。ご主人が先日亡くなり、その奥様が片付けをしていたら、獅子頭が出てきたという。代工さんが玄関で掃除をしていたら、池田さんの奥様が「これ何やろー!?」と話しかけてきたので「獅子頭や!」ということで、獅子頭を現在の区長・山谷さんに預けることとなったそうだ。その山谷さんに今回、僕が取材に伺ったという流れである。池田さんの奥様は獅子頭のいわれはご存知ないとのこと。謎深き獅子頭だ。

f:id:ina-tabi:20211014092820j:plain

 

現在、山谷さんが78歳で、その子供の頃にはすでに獅子舞は実施していなかった。少なくとも50年はしていない。残っている道具から推測するに、獅子と蚊帳と太鼓で獅子舞をしていたと考えられる。笛を吹いたり棒振りが出てくるような獅子舞ではない。山谷さんや代工さんは櫓を建てて提灯を飾ったり、太鼓を叩いたり、萬歳をしたりしていたのは見たことがある。萬歳の人々は福井の今立郡などの方からお正月に来て木賃宿という安宿に泊まり、昔は大聖寺藩最後の藩主・前田 利鬯(としか)さんの所に行って演目を披露してから、大聖寺を回っていた。相生町の町民も、萬歳の方にご祝儀を渡した。冬の出稼ぎ仕事の一種である。

相生町春日神社の氏子の地域なので、春日神社のある上福田町の獅子舞は現在でも舞いに来る。この獅子舞のお祭りの日は、8月20日である。神社で舞ってから、区長、その他と言う順番に回る。この獅子舞が相生町に来るのは夕方頃である。一時期は、聖北協議会(昭和45年~昭和56年)の獅子も舞いに来たので、その時は二重でご祝儀を払っていた。

加賀市の個人市民税が一番高かった昭和60年ごろ、相生町には20軒以上の家があったが、今では14軒になった。元々、商店街で60坪12軒が1つの通りに2列並んでいた。織物の町で、織物関係の家もあった。町内わずか20軒でもし獅子頭が持てたとするならば、そのお金の出所も気になる。獅子頭が1つ100万円だとしたら、一人あたり5万円の出費が必要になるだろう。相生町は商売をされていた方も何人かいたようなので、その方々がお金を出して購入したのかもしれない。機屋は昔、遊郭の町・大聖寺今出町の買い占めもしていたくらいなので、お金を持っていたはずだ。

山谷さんにはお茶とお菓子と梨、代工さんにはお菓子やコーヒー、お土産などたくさんいただいた上に、今回、獅子頭をイベントの出展等のためお預かりすることとなった。たくさんのおもてなしを受けた素晴らしい取材だった。

f:id:ina-tabi:20211014100254j:plain

 

大聖寺あれこれ豆知識>

大聖寺の獅子舞獅子頭等について、他にも様々な話を聞いた。僕自身、大聖寺畑町は獅子舞がなかったと聞いていたが、山谷さんによれば50~60年前には薪に火をつけてそれを飛び越える山伏修験のような獅子舞があったとのこと。お岩さん(明王寺)という神社では残り火の上を素足で歩くと言う山伏系の風習がある。大聖寺新町の獅子頭は、トラックかバスかにぶつかって、割れてしまったことがあった。また、昔、錦城小学校では鶴を飼っていた。しかし、昭和9年の大火で、鶴が燃えてしまった。それで建て替えられてできたのが大正浪漫風のギャラリー付き講堂だった。大聖寺の神社は突き当たりに作られることが多く、方位除けかもしれない。そのほか、大聖寺のことをたくさん教えていただいた。