【2021年9~11月】石川県加賀市 獅子舞取材 山中温泉荒谷町(追加)

2021年11月20日

9:30~ 山中温泉荒谷町

昭和63年に荒谷町の獅子舞を復活した時のメンバーの一人で、現在荒谷町の区長をされている三ツ谷宣明さんにお話を伺った。同行は大土を中心に東谷の調査をしている金沢大学の國領真央さん。荒谷町集会所に伺うと、縦長の獅子頭の箱があり、蓋には昭和8年9月14日新調と書かれていた。かなり古い獅子頭だが、手入れされているので、状態が良いまま保管されている。1989年の新聞が敷かれていたので、この時期には少なくとも獅子頭の手入れが行われていたことがわかる。

獅子舞はおそらく30年ほど途絶えていた。木こりがいなくなったことと、獅子舞の衰退は関係があるかもしれない。ただ獅子舞が途絶えたあとにも、獅子舞の話題自体は絶えなかった。町の決め事を話し合う寄合があり、林道整備や農業用水などの話し合いをした後に飲み会をしていて、その雑談の中に獅子舞の話がよく出てきていた。昔話をしていたら、何回か「獅子舞してみんかいや」と言う人がいて、「また話出てきたわ」などということが繰り返されたので、復活することが決まった。その後、復活したあとには、北国新聞に「何十年ぶりに復活!...」という風な記事が掲載された。

獅子舞を始めた最初の年は少なくとも、隣の今立や中津原などの地域にも獅子舞を舞いに行った。7人は獅子舞に最低限必要になり、獅子4人、棒振り1人、太鼓1人、笛1人がいればできる舞い方だった。交代できる人含めて、10人ほどのメンバーはいただろう。30年ほど前に獅子舞をやっていた人がまだ生きておいでだったので、その人から獅子舞を習うことはできた。また、笛に関しては金沢に民謡をしている人がいて、その人が荒谷周辺出身で獅子舞の笛の音色を覚えていた。そのため、横笛もその人から教えてもらうことができた。舞い方には頭を激しく振るような動作があるので、獅子頭自体は軽い作りをしている。

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また、祭り前にはポスターを貼っていた。どこそこに来てくれという告知ではなく、舞いに行きますよという告知のために貼ったと思われる。祭りの当日は荒谷神社で8月15日の午前から始まり、午後3時くらいには終わった。荒谷町では十数軒あるすべての家を回ったが、今立などの他の集落は頼まれたところだけ回った。そのほか、中津原町では盆の祭りをしていたので、そこに合わせて獅子舞を舞いに行った。ご祝儀の額は覚えていない。2年目、3年目は続けようという気持ちが最初からあったわけではないが、それは自然と続いていった。

獅子舞が途絶えた原因の1つとして、横笛を吹ける人がいなくなったことが挙げられる。ごうちゃん、滝野さん、谷口さんの3人が笛を吹けたが、地元・荒谷の人間として練習していたのがこのうち1人(ひろしさんというお名前、3人のうちどなたのことだろうか)だけだった。また、ごうちゃんは途中から抜けてしまった。それで、横笛を練習するという習慣がなくて、次の世代に繋ごうという動きがなかった。「喉元過ぎれば...」とはこのことだ。

現在、祭りの日は提灯や飾り付けをして神事をするという習慣のみ続いている。獅子舞が途絶えたのち、一回、山中温泉で獅子舞を見せて欲しいと頼まれたことがあったが、横笛は誰が吹くのかという話になって実現しなかったことがある。ただ、今では荒谷町に住む子供が7人になって若い人が徐々に増えているので、獅子舞をしようと思えばできるかもしれない。移住してきた人がたくさんいて、その影響だ。この辺で商売している人はほとんどいない。陶芸家と大工以外はサラリーマンだ。家は26軒ほどあるがそのうち12.3軒に人が住んでいる。

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p.s. 依然として、平成2年の資料に書かれていた四十九院町の獅子頭がいつどのように使われたものだったのかに関する手がかりは掴めない。三ツ谷さんがご存知の話としては、滝町のお宮さんは燃えたので、幟旗や剣旗は四十九院町に受け継がれたということのみだ。また、昭和63年に始まった荒谷町の復興された獅子舞のDVDをお預かりして見せていただいた。再生できるときできない時があって、きちんと見られるのが奇跡という感じだったが、友人が持つプレーステーションを使い、かろうじて見ることができた。そこには神社から町内を回って神社に戻る獅子舞の姿と、その後の打ち上げで歌われたカラオケの様子が映し出された。子供が短パンを履いていたり半裸の男性が映っていたり、まさに昭和という感じだった。また、集会所の奥には、昭和63年の獅子舞開始時の写真が額に入れて飾られていた。これもなかなかに昔懐かしい感じの写真だった。