【2022年1月】石川県加賀市 獅子舞取材 大聖寺弓町(追加)

2022年1月23日

13:00~ 大聖寺弓町

 

「氏子が半々でも地域はまとまる」

大聖寺弓町の人々は、菅生神社と加賀神明宮で氏子が半々である。祭りの日が1日ずれているとか、どちらの祭りに参加すべきかなど、様々な話し合いがされてきた。その中でも神社の氏子が絡まない大聖寺の十万石祭りで獅子舞を舞うという決断は、素晴らしい解決策を見出したとも言えるだろう。

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由来

約50年前に大聖寺菅生の萩田さんという植木屋(現在は大聖寺岡町在住)から獅子舞を習った。大聖寺にユニー・ミリオンプラザがオープンした1972年ごろの話だ。「若い者がたくさんいるから、獅子でもやろまいか」という話が出てきて、それで獅子舞を始めた。獅子頭は新調せざるを得なかった。戦前にも大聖寺菅生由来の獅子舞があったが戦争のタイミングで途絶えて、その後獅子頭は紛失してしまい、破れた太鼓だけが出てきた。公民館がない時代だったから、誰が保管していたのかもわからなくなってしまった。そこで、獅子頭などの祭り道具は新調しなくてはならなかった。「なんとかして町内の人が楽しむために」という目的で、獅子舞を始めた。最初は毎日3ヶ月間みっちり、熱心に獅子舞を教えてもらった。教わる側の弓町の人よりも、教える側である荻田さんの方がとても熱心だったような記憶がある。練習は夜の19時ごろに始まり、寝る前の22時ごろには終わった。練習は基本的に集合時間に厳しく、挨拶も徹底させていた。2~3年前、担い手不足もあり獅子舞は途絶えてしまって実施していない。

 

弓町は町内が半々に分かれている

町内の60軒のうち、半分は菅生神社、半分は加賀神明宮の氏子に所属する。町内で分かれているというのは、ここら辺では珍しい。獅子舞の春祭りは、菅生神社のお祭りと加賀神明宮の大聖寺桜まつりの2つがほとんど同じような日(1日ずれるのみ)に行われていたため、その時に回った。秋祭りは神社の氏子が絡まない十万石祭りの時に合わせて、獅子舞を行なった。このように、弓町の両氏子に配慮して、獅子舞を実施していた。中には、獅子舞は舞わんでくれという人もいたが、それでもほとんどは賛同して獅子舞を行ってきた。

 

獅子舞の宿について

大聖寺桜まつりでは、公民館があるとそこを本陣にするが、ない場合は町内の家を本陣にすることもある。この本陣には他の町内から獅子舞が舞いに来る。また、本陣以外でも、個人商店には普段から人間関係がある町内の人が舞いに来る。中田仏壇店には、今まで5~6町の獅子舞が舞いに来ていたものの、年々少なくなっており、近年では大聖寺中町、大聖寺錦町などが舞いに来る。また、弓町の公民館に作られた本陣の当番がある時には、夫婦ともにそちらに行くことになるので、中田仏壇店を開けて獅子舞を迎え入れることができない。今年は舞いに来ても対応できませんという案内をあらかじめしておかないといけない時もある。

 

祭りの日

春祭りと秋祭りはそれぞれ、1日完結の獅子舞を実施してきた。朝は8時に始まり、夕方の16時ごろまで獅子舞をしていた。お昼は公民館に弁当屋さんが来てお弁当を食べていた。ご祝儀は青年団に所属している者は1万円を包むと決められていて、獅子舞を始めた当初は獅子頭と蚊帳の新調にお金がかかったので、それを補填するためにお金を使った。後にお金が十分に貯まるようになってからは、青年団同士で飲み屋に行くということに積極的にお金を使えるようになった。他の町に回りに行くことはない。自分の町内だけを回る。

 

舞い方

演目は1つのみで名前はついていない。寝た状態から太鼓でドンと起こされてあくびをして、最後に暴れて終わるという流れだった。最後は太鼓に向けて軽くダッシュをした。

 

担い手

青年団は10人ほどいないと獅子舞が実施できない。最近は担い手が不足しているので、町を回っている途中で、「町内、回りきれるんかな」と思う時もある。獅子舞に必要な人数は、太鼓2人、獅子6人で合計最低8人、あとは交代要員が必要だ。昔は20人ほどの人数がいて、代わりばんこでやることができた時代もあった。昔は20~30代の人が青年団に所属していたが、2~3年前に獅子舞が途絶えたときは40~50代の人が所属しているのが当たり前の状態で「自分がやめたら他にやる人がいないようになる」という意識があった。昔は同級生の半分も大学に行かなかったが、今では大学進学率も上がったので、外に出るような人が多くなった印象だ。

 

獅子頭

公民館に今でも獅子頭が保管されている。獅子頭を作ってもらったのは鶴来の知田工房だが、漆を塗ったのは弓町にある中田仏壇店で、修理の漆塗りも中田仏壇店が行ってきた。他の町内が、中田仏壇店に獅子頭の漆塗りを発注することもあり、10年前に大聖寺番場町、あるいはいつだったか河崎町の方から獅子頭の修理で漆塗りを頼まれたこともある。ただ、このような仕事をお断りすることも多い。弓町の獅子頭は舞い手にとっては重いという印象だった。彫りを見せるような一木造りの獅子なので重くなったのだろう。

 

(取材先:中田仏壇店の方(80歳), 同行:北嶋夏奈さん)