大事な飼いキツネを神の国に送る「イオマンテ」の真意とは? 35年前の貴重映像とともに考えた

東京・東中野ポレポレで、2022年4月30日より、「チロンヌプカムイ イオマンテ」という映画の放映が始まり拝見してきた。北海道の大地で受け継がれてきた、イオマンテという幻の儀礼の映像が35年の時を経て公開されたのだ。これよりネタバレを含むので、興味のある方のみ、読んでいただきたい。


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イオマンテとは?

まずイオマンテとは何かという話である。我が子のように大事に育てた動物を殺して、たくさんの土産物を持たせて神の国(カムイ)に送り返す、というのがこの儀式の簡単な流れである。ここで送られる動物は熊である場合が多いが、今回の映画ではキタキツネが送られていった。この儀礼を行う真意は、カムイに送られる動物が生前に人間界で多くのもてなしを受けたことで、カムイに行った時に人間界の素晴らしさをたっぷりと語るため、他の動物たちがまた人間界を再び訪れてくれるという循環的な思想に基づいている。

今では動物愛護などの観点からイオマンテに反対する意見も多く、1955年には北海道知事が野蛮な儀式として事実上禁止したものの、2007年には撤回されている。ただし、現在、イオマンテを実施している村は存在しないと言っても良い。このイオマンテの禁止は和人とアイヌ人との同化政策の中で消失した貴重なアイヌ文化とも言える。

食肉加工プロセスに蓋をする

このイオマンテの問題は、現代に生きる私たちが蓋をしてきた食肉加工プロセスの問題とも深い関わりがあるように思えてくる。江戸時代以降、食肉加工の末端を担ったのは、えた・ひにんと呼ばれた下層階級の人々であった。その中でも動物を殺める役割を担ってきた人々はごくわずかであり、大多数はどのように動物を殺害し食卓に並ぶかを知らない。スーパーで人工の容器に入れられた切り身を購入し、それを調理することくらいしか経験しないのだ。これは日本人の清浄なる仏教的意識とも結びついており、動物を殺める行為がなぜか野蛮なことにすり替わってしまった農耕社会以降の思想とも言える。

儀礼は徐々に外部化する

ここからさらに議論を広げていこう。稲作や仏教の伝来以前、縄文時代に行っていた狩猟文化において、イオマンテのような儀礼は日本全国で見られたはずだ。長野県の諏訪大社で春に行われる御頭祭では鹿の首75頭を神に捧げる儀礼があった。これは今、剥製を捧げるという儀礼に変わってしまったが、昔は毎年鹿を捕まえて殺すことから儀礼が始まっていたのだろう。

これが日本古来の儀礼であるならば、もしかすると神社は獣を神に捧げる場所であったのかもしれない。極端なことを言えば、最初期は獣ではなく人間の子供を捧げていたのだろう。これが徐々に儀礼として弱まり、人間の子供→大事に育てられた獣→狩猟によって獲得した獣→獣の剥製ときて、最終的には「獅子頭」になったと考える。これは自分の身内から徐々に関わりのないものとして象徴化、あるいは外部化されていくプロセスのようにも思える。

現代人が発明した獅子舞という芸能

なぜ獅子頭は開発されたのか?獅子頭は元々獅子舞に使う祭り道具であり、この起源を辿ると生命との関わりが減った文明人が、生命と接続する術として編み出した芸能であるという側面を持つ。だから、獅子舞も最初は実際の鹿などの首と毛皮を身につけた人間が舞うような芸能であったはずだ。獅子舞は日本全国47都道府県で継承され、日本で最も多い民俗芸能と言われる。獅子舞の分布域を見るに、その古層にはイオマンテのような芸能の息遣いを感じることができる。

獅子舞が全国有数の数を誇る石川県のある旅館に関する興味深い話を聞いたことがある。昔、ホテルのオーナーが猟師をしており、ある日親熊を仕留めたそうだが、子熊は連れて帰って大事に育てたそうだ。子熊は誰もが鑑賞できる檻に入っており、学校給食を携えた小学生が遊びにきて、餌をあげることもあったそうである。しかし、いつの日か子熊はいなくなり、その檻が置かれていた跡だけが今でも残っているという。この話を聞いた僕は、短絡的と言えるかもしれないが、これは一種のイオマンテのような儀礼の名残ではあるまいかと推測した。

先祖への感謝と継承の義務

それはともかく、儀礼の外部化には、民俗芸能の簡略化と同じような思考が働いているように思える。つまり、これは儀礼や民俗芸能を継承していくことで、自分たちの地域、あるいは先祖の意思を皆で受け継いでいこうという地域社会の伝統というものが生まれ、その継承をどのように実現するかというプロセスの中で生まれた工夫であったはずだ。

ただし今回の映画の中には、本心では儀礼を継承したくないがやらざるを得なくて、村を離れたい意思をなかなか家族に伝えられない子どもたちの姿が印象に残った。35年経った今、彼らは土地を離れ、都会で暮らすことを選んだようである。自分の肉体や精神は親と大地によって育てられきたという側面があるが、これは先祖が築いてきたイオマンテに象徴される循環型社会からの恩恵に感謝するというよりはむしろ遠ざける行為とみなされても仕方がない。しかし、これは現代の私たちが行ってきた日本という国家の統一性と秩序の形成、ライフスタイルの変化など、複合的な要因がそうさせたといっても過言ではないだろう。ここに大きな葛藤が生まれ、伝統を継承しなかった自分に対する村八分的な犠牲をもたらすのである。

飼い犬を神に捧げることはできるか?

イオマンテは現在、断絶しているものの、これと似たような風習が中国に残っている。僕は2017年に中国貴州省を旅した際に、飼い犬を犬鍋として食す祭りに出くわした。地域住民は各家庭皆、飼い犬を捌き、淡々と犬鍋を作り高価な値段で振る舞うのである。これはカムイに動物を送るという行為とは異なるが、大事に育てた動物を殺めて捧げる点で、似たような儀礼であるように思える。犬をペットとして飼う多くの現代日本人にとって理解しがたい行為であろうが、これは貴州省の人々にとって当たり前の行為なのだ。こう考えれば、世界的には中央政権の支配がなかなか十分に及ばない秘境的な土地において、イオマンテは脈々と受け継がれているようにも思える。

イオマンテが現代に託すメッセージ

我々はイオマンテから何を学ぶことができるのだろうか?イオマンテという儀礼を駆逐した先に、どのような未来を築くべきかは想像を超えているため、熟考していきたい。ただ、確実に言えるのは、我々は大地の恩恵を受けており、その大地は今アスファルトの下に眠っているということだ。我々が築いてきた都市はこの大地という野生を覆い隠し発展してきたが、想像を超えた災害などの野生に打ち負かされることもある。まだまだ人間は未熟だ。土に触れるという行為を大事に、大地の声に耳を傾けるという姿勢をさらに強く意識していきたいと感じた1日であった。