新聞小説「また会う日まで」(16)池澤夏樹 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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朝日 新聞小説「また会う日まで」(16) 12/1(472)~12/31(501) 
作:池澤夏樹 画:影山徹

感想
秋吉一家の、東京への拠点移動。ヨ子は順当にGHQ関連の仕事を始める一方、利雄は各関連技術委員の辞退、軍人恩給停止等、次第に外堀が埋まっていく。そんな中でのMとの再会。

呑気に戦争を始めた事についての評論などしてる場合か。
米軍による水路部長への推挙に期待する利雄。
今は昭和21(1946)年の初夏(6月頃?)であり利雄が亡くなる昭和22年3月までは一年足らず。何とか次章で終わって欲しい。
次章は「主よ、みもとに


あらすじ
希望と失意(1~30)

洋子と武彦を送り出したがどうにも心許なく、私は1945(昭和二十)年十一月二十三日、東京に向かった。

難行苦行を経てようやく九品仏の駅に着く。空襲の形跡はない。

家に一人でいた洋子が驚く。武彦は所用で外出。

一昨日水兵が来て防空壕を埋めてくれたという。

もうあの湿った空気は嗅ぎたくない。平和っていいもの、と洋子。

九品仏の家は、まずまずの状態。それに洋子が丹念に掃除。
一方食料状態は悪く、今や持てる者が強い時代。食だけで言えば笠岡が良かったが、ヨ子は一刻も早く働きたい。奔馬、御し難し。
築地に向かった。水路部はかろうじて焼け残った。

見知った者の話では本来業務は停まったまま。

水路部は連合艦隊ではなく必ず存続する、と私。

GHQは水路部をどう扱うだろう? イソップ童話に例えれば「コウモリ」
鳥と獣の戦争に際し、戦況に合わせて立場を変えた。

私は獣の臭いが濃いだろう。
聖路加病院に行ってみた。ごった返す待合室。

小一時間程待ち日野原医師に再会。
GHQが医薬品を届けてくれて助かっているという。だが問題は結核。国全体の栄養失調で数が増えている。

肺疾患だった私は群馬の榛名荘を思い出した。

次に東京天文台に行ってみた。猟官の目的もあった。

藤田良雄君との再会。単刀直入に職探しに来たと言うと、台長の関口鯉吉さんを紹介してくれた。
だが彼の言うには、今は時期が悪いとのこと。
しばらくお待ち頂けませんかの「しばらく」が天文学的数字になるか。

昼間あちこち出掛け夜九品仏に戻る毎日。夕食を洋子、武彦と摂る。

武彦は放送協会の他に発明協会というところで働けそうだとの事。
職を決める前に一度帯広に戻り、家族の顔を見ると言う武彦。

私はひとまず笠岡に戻ることにし十二月一日、汽車に乗った。家族は元気だった。数日後東京へ行くヨ子、直子、輝雄、紀子を送り出した。
水路部の残務整理をする日々のある日、女学校の村上先生を居酒屋に誘った。歴史が一歩進んだと言う先生。

過去の失敗の整理として歴史の本が出ると言う。現実とは一回ごとにサイコロを振る双六。一歩離れてその図を描くのが歴史家。

Mから手紙が届く。十一月三十日、海軍省は解散し廃止になった。
米内さんが主な者を集めて話し、その最後の式の様子を教える内容。

官房第五六九号 訓示 
その内容を読み上げ、「皆さん、さようなら」と言い残して終わったと伝え聞いた。軍令部は十月半ばに廃止になっている。

東京に戻ったらまた会って話そう。

残務整理も終え、光雄を連れて東京に戻り、これで一家が揃った。
封書が届いていた。学術研究会議会員の解任通知。同会議は定員百名で学識経験者の中から推薦により内閣が任命。

会議そのものの廃止によるものだが落胆。
もう一通。日本学術振興会ほかの各委員、評議員辞任の促し。

喪失感あり。

一週間ほどでクリスマスとなり、一家で三光教会に出掛けた。

牧師館のみ残る。牧師様の声を追って呟く。そして聖歌。
副牧師様の朗読―― ルカ伝二章八節から十四節まで。・・・「いと高き処には栄光、神にあれ。地には平和、主の悦び給ふ人にあれ」

私たちはただ聖歌を聞いて、未だ浄化に値しないと悟るのだ。
10
家に戻り、家で待っていた武彦と共に夕食。貧しくとも主の与えた糧。
子供たちが寝た後、武彦と洋子が子らへのプレゼントを並べる。

ノート、双六、色紙・・・

洋子にも、といくつかを渡す武彦。私たちにもメモ帳をくれた。
平和が戻り、ともかく教会にも行く事が出来て、よいクリスマスだった。
11
武彦に、どうして信仰を捨てたのかと聞くと、進学で寮に入って疎遠になるうちに神の声が聞こえなくなったという。

漱石の言うストレイ・シープですねと武彦。
迷える羊で、文彦が子供を指導した時の劇の事を思い出す武彦。
マタイ伝の言葉からの典礼劇。十八章十二節。

百匹の羊を育てる中の一匹迷わば、九十九匹を残しその一匹を探す・・・武彦はきっと見つけられる。

あの頃は文彦がいた。いつか武彦は信仰に帰るだろうと思った。
12
クリスマスの翌々日、ヨ子がCCDに初出勤した。

仕事は郵便物の検閲。任意抽出した中から批判的なものを英訳して渡す。個人特定が目的ではなく社会の動向調査。

私は無聊をかこつ夫となった。
夕方、意気揚々と帰るヨ子。働きやすいよい職場だという。
英語の試験を受けたら成績が良く、語学手当が付く事になったと喜ぶ。
13
時は慌ただしく流れ、正月に天皇陛下の詔書が発表された。敗戦の事実を受け「五箇条の御誓文」の精神に帰ろうとの主旨。

自らを現人神ではないと宣言。私にとってこれは微妙。

私の神はエホバだけ。神としてのふるまいの終わり。
武彦は、天皇制は廃止した方がいいと言うが、陛下という束ねがなければ立ちゆかないと思う私。
14
一月の五日、驚くべき記事が新聞に載った。

「公職追放」戦争加担者への制裁。
公職に適さざる者として七つの該当する者が列記されている。
私は間違いなくその中の「陸海軍の職業軍人」に相当する。

出口を塞がれた思い。
職業軍人の身分を喪失し、天文学の道も閉ざされれば余生はない。
本当に私は日本国民を野望に誘ったのか? そうかも知れない。
私は確かに戦争の一端を担っていた。

アメリカの若い兵士の死に責任がある。
15
二月になると更に過酷な決定が伝えられる。軍人恩給の停止!
公職追放による職のはく奪は待機する余地はあるが、恩給の停止は現実の問題。
軍人給与以外に収入のない私。売り食いをするだけの衣類もない。
養父の残した借金、頼って来る親族。収入源はヨ子の給料だけ。
男としての面目と沽券。私は肩身の狭い思いをするだろう。


16
ある日一通の文書が届く。

相手は「アメリカ合衆国海軍訪日技術使節団」 相談がありオフィスまで来て欲しいとの事。そこは明治生命館。GHQだ!
現地に出向き差出人の海軍中佐パトリック・ビーハンに面会。
まずは送った海図と航海文書への謝辞。悪い話ではなさそうだ。
17
雑談の後、コーヒーが運ばれる。この匂いは何年ぶりか。
話は再建される水路部トップへの打診。

研究と組織のマネージメント者として。ただこれは使節団としての判断であり、GHQ等の他セクションはまだ未同意。
アキヨシ姓の意味を聞かれ「オータム・オブ・グッドラック」と答える。
18
水路部への仕事復帰の可能性を得て元気になった私。
春が来てMからの葉書が届く。あの居酒屋で話したいとの内容。
Mは海軍にあって不思議な存在。事故で障害が残り海を離れ、戦史の研究に。海戦史においてこれほど詳しい者はいない。

しかも報告は冷徹なまでの中立。
19
築地の元の店でMとの再会を喜ぶ。まずは預っていた鞄を返した。
出された酒は増醸の二級品だが突き出しの落花生がうまい。

Mは十年前に夫人を病気で亡くし以後は一人。炊事もこなすという。
頭が上がらない。うちは家内というより家外だと自虐。
20
終戦という大きな峠を越えて、お互い何を話していいか分からない。
Mは私が乗った艦のその後を調べたという。「阿蘇」は練習の標的となり廃艦。「敷島」今も佐世保に定繋。「安芸」は実艦標的として沈没。「浅間」は軍艦籍から除かれた。

「山城」はレイテ沖で沈没。「沢風」は横須賀で終戦を迎えた。
ローソップ島行きで使った「春日」は空襲で大破。
重力測定で使った潜水艦「呂号五十七」は予備艦として生き延びたのに安堵。「伊号二十四、後に百二十四に改名」は1942年にダーウィン近海で沈められた。
21
連合艦隊のほとんどは戦闘で沈んだ。私とMは空母「飛龍」を思った。
艦長は加来。兵学校の同期であり三人組の一人だった。もういない。
「歴史家だろう」とこの敗戦を鳥瞰して説明してくれとMに頼んだ。
最大の理由は国家として統制が取れなくなったこと。その前に開戦に至った経緯。陸軍は支那の平定しか頭になくドロ沼に入りこみ、海軍は一気に勝敗を決しようと艦を作った。それを内閣が御せなかった。
22
開戦前の段階で陸軍は支那だけでなくソ連への進撃も考えていた、とM。楽観論と悲観論の混在。食料調達についても島国の日本では船がないと輸送不可。
また米国が日本を海上封鎖することは可能だがその逆は不可能。
このことは開戦の十一ヶ月も前に井上成美さんが言っておられた。
戦争の幻想。うまく行く事を前提に積み上げた結果の「大東亜共栄圏」
秘密兵器で一気に戦局をひっくり返すという噂が終戦直前まであった。
23
井上さんはジョークとして米国封鎖の話を出したか、とM。国力の差。
山本五十六さんも半年、一年は暴れるがその後は確信が持てないと言った。中枢部もそれは見通していたが開戦してしまった。

論理や経理ではなく心理。
ドイツ侵攻の勢い、三国同盟。そしてドイツは日本の三ヶ月前に陥落。
24
ヨ子がGHQで働いている事を話す。我が家の唯一の収入源。
そこの上司という女性からもらったものを持参した。商品の型録。

提供店の名「SEARS,ROEBUCK AND CO.」が印刷されている。
およそ生活に必要なもの全てが網羅され、百貨店以上の品揃え。
こちらが空襲で逃げ回っている時に彼らはこういう暮らしをしていた。
25
広いアメリカで発達した通信販売という手法。

郵便制度への信頼も背景にある。また、米軍の放送局が流すラジオ番組もある。皆が英語の勉強として聞いている。
音楽番組がいいらしい。グレン・ミラー楽団が人気。

彼は1944年、欧州戦線への慰問旅行中に行方不明になったという。

慰問楽団を戦地に届ける様な国と戦った。
26
軍事裁判が始まるな、とM。A級戦犯二十八名。うち海軍関係は永野修身、嶋田繁太郎、岡敬純。

永野さんは立派な方。一度お宅に呼ばれた、と私。

東條の開戦推進三案に加えて「日米不戦」の第四案を出し却下された永野さん。首脳陣の責任はあるだろうが、合議で決めたものに個人責任を問う事が出来るか。Mが、日本自身による軍事裁判は出来ないかと言った。東京大空襲は「人道に対する罪」

「広島と長崎もある」と私。
27
衆議制の日本で個人責任を問うのは難しいが、BC級戦犯は証拠・証人もある。捕虜の虐待は泰緬鉄道がいい例。

歴然たる駆逐艦「秋風」の犯罪もあったというM。1943年「秋風」は収容した欧州系の住民数十名を処刑のうえ海に遺棄した。
スパイだったと釈明するも、中に子供もいた。秋風は沈没し関係者はほとんど死に真相は不明。
28
国というのは難しい、とM。日本は欧州の国より大きいがアメリカなどより小さいと思い詰めて背伸びをした。1939年の一般会計は軍だけで四割近くを使った。予算を使う以上戦果が必要。

終わりにしようと言える人望のある者もいなかった。
近頃北一輝を読んでいるというM。言っていることは今の時代では至極まとも。しかし国家は慣性の法則により急には曲がれない。
29
パトリック・ビーハン中佐から書簡が届いた。水路部長への推挙は難航。彼らは既に日本を離れた。期待しない方がいいかも知れない。
ヨ子が英語の歌を口ずさむのを洋子が聞きつけた。

会社で観た映画「オズの魔法使い」の中でジュディー・ガーランドという女優が歌っていたという。

食堂の電蓄で曲が流れるうちに覚えたらしい。
スワニー ハウ・アイ・ラブ・ユー・・・・マイディア・オールド・スワニー! 
こういう文化には敵わない。
30
今は初夏。洋子は東京女子大学に進学した。

ヨ子の母校だが数学科選択が嬉しい。
うちの家系は大学に進んだ者が多いが文科系と理科系がほぼ半々。
洋子が女子にして数学を目指すのは健気。

また数学なら教師として食べられる。