ひと月たっても痒いと訴える母を大きな病院の皮膚科で検査してもらうべく大阪の中心部へ連れて行った日。

大病院は紹介状と予約がないと診てもらえないご時世らしく、ウェブサイトで2-3ページをよくよく読んで、介護施設でかかっている先生に紹介状なる、母の症状を簡単に書いたものをFAXしてもらい、それに引き続いて電話で予約の申込みを前々日にすませてあった。

 

その朝私が母の介護施設へ9時入りするには、通勤ラッシュを経験するかと構えていたら、昔の朝8時台の電車の込み具合には比べ物にならぬ、平和な車両であった。

介護施設の母の部屋に到着すると、すでに車椅子にかけた母が「おはようさん」と言った。

前夜のうちにメールで施設のホーム長にお願いしてあったので、朝食後歯磨きとオシメの取替は済ませてくれていたので、そそくさと母の腕にコートを着せかけ、スリッパをブーツに替えて車いすの母と出発した。

 

出発駅のエレベーターが工事中なので、車椅子の母とはこの駅を使用することが出来ないけれど、市では介護タクシーを駅前に停めて最寄りの駅まで車椅子使用者を送り届けるサービスをしていた。この事情は1週間間に学んでいたので、30-40分余裕を持って出発した私達、隣駅から乗換駅まではスムーズに進んだと思う。

 

が、乗り換え駅から高い位置にある他鉄道の駅へ行く道のりにはエレベーターを見かけ無かったので、業を煮やした私は上りエスカレーターに車椅子のハンドルを持ち上げて抱えるようにして乗り込んだ。1台終わったと思ったら、その次にまたもう1台出てきたので仕方なく2台続けてそんな無茶をした。母は44kgと比較的軽いので、車椅子11kgを加えても55kgだが、最後の降りる段階になって、何かが引っかかったように降りにくい状況になった瞬間には少し慌てた。

もう少しで後ろに迫っていた女高生に手を借りる事になったかもしれない。やはりこれはおすすめできない車椅子での移動の仕方であろう。

 

で、JRの大きな駅に着き、切符を購入し、進行方向の最終駅の名前を覚えて、ホームを探し、改札口を入ったら大きな階段ばかりが目前に広がるので、一人立っていた駅員さんにあのーエレベーターはどちらですか?と尋ねると、あ、ここね、と指差してくれたそれに入って上に上がると違うホームだった。

 

戻ってきて、何々線の何々行のホームへはどうゆくんですか?と車椅子の母を挟んで質問したら、「あ、コレ見て下さい。」と指さされた先にはB5判のラミネート加工されたポスターがあった。

 

 

車椅子で当該のホームヘたどり着くには、5つのエレベーターを上がったり下がったりするゲームを楽しまなきゃいけないようだった。よっしゃ、いこか。と車椅子を押し出し、逆流するように慌てて走ってくる人波に圧倒されながら人の隙間をぬって進んでいった。

 

彼らはこちらが車椅子だからって避けようとはしない。まじ、スリリング!