ある朝、7時半頃目覚めてメールをチェックしてからTVを付けると家庭内暴力について話し合っていた。

NHK あさイチ: DV 加害者の声から考える対策

この特集に出てきた加害者はすべてハズバンド・男性で、被害者はワイフ・女性だった。

普段は人当たりのいいご主人たちには精神的・肉体的に暴力を奮っている加害意識がなかったが、妻たちが「あなたのしていることはDVです。」とか、「変われないなら出てゆきます」とか、実際に妻が子供を連れて家を出たあとで加害者がDV加害者のサークルなどに入って反省している、うんぬんの過程をつづった番組だった。

 

加害者皆が一応に、自分が一家の主、養っているのだから自分の要求が通るのが当然だ思っていて、思いのままにならないときに言葉の暴力と肉体的な暴力が振るわれていたことに気づくのに時間が掛かったと話す男性たちの首から下ショットが映っていた。

 

 

立派なオトナである女性たちがDV加害者から離れることに苦労していること報告している番組であるが、これをみて私の胸もとはいい気持ちではなかった。DV被害者である子供を救う機能は未だこの国には発達していないのではないか、と懸念するからである。

 

私の母の気分次第では

外出中にいきなりビンタされたり、

家では、一日に30回も50回も100回も竹の物差しや布団たたきで背中を打たれたり、

熱いお茶の入った湯呑みを投げつけられたり、

チューインガムを髪の毛に擦り付けられたり、

押し入れに閉じ込められたりして、

産まなければよかった、

男の子なら良かった、と言われて男の子の名前で呼ばれたり、

あんたはお父さんに似て怠け者でバカで不細工でどうしようもない、

死んだらええねん、

と物心ついた頃から言われ続け、

時には3~5時間も母の体をマッサージしたり、白髪を抜かされたり、

家での力仕事をとにかく任されたり、

周りの人に話すのも恥ずかしいようなことだらけだった。

 

もし、私が自分の命を誰かに差し上げれるものならそうしたいと願っていた。

人の良さそうな病人や老人を見かけると、心のなかで「神様、あの人に私の10年を分けてあげて下さい」などと妙な願い事をした。

母の側で生きていた間は。

 

 

 

 

先日介護施設の母の部屋で過ごしている間にDV被害者の話になった。確か、日本の奥さんたちは殴られてもすぐ家を出ないで我慢する、と言った話の成り行きから冒頭に上げたTV番組に出ていたご主人達の話になったのだ。

 

「自分の稼ぎで面倒見たってるって気持ちがあるから、家に帰ってきたときには殿様扱いしてほしいんだって。」と私が話すと、「そうや、そうや。」とニンマリ微笑む母。

「それで気分次第で暴力振るっても、自分ではそれは暴力とは思えないんだって。」と言うと、「そらそうや。」とまたニカッと笑う母。

我がママはいまでもそんな加害者意識の無さから自分は無実だとの思いが変わらないようだ。

 

「お母さんは今でも私の頭をペンチで殴ったことは当たり前だと思っているの?」と私。

「そらそうや。言うこと聞けへんかったあんたが悪いんや。」と母。

この同じ会話が口論になったことから私たちは10年間顔も合わさなかったという歴史がある。

 

 

 

10年ほど前には、彼女の考えを変えてもらおうと、または、なぜ母が虐待者になったのか探ってもらおうと私があれこれ言ったことで、「親に向かって何言うねん。出て行け!」となり、その後顔を合わせること無く10年も過ぎたのだ。

 

罪を憎んで人を憎まず、と思うものの、今でもその罪であるDVを肯定されるといたたまれない気持ちになる。

 

しかし、私の母への気持ちは、アメリカで28年生きて家庭内暴力を公然と話すことが出来る環境でサポートされて、アメリカ人の友達はもとよりカウンセラーの助言もあり、私なりに気持ちを整理してある。

 

この母の虐待に関する謝罪を貰えればとても嬉しいだろうが、まあありえないのだろうと90%諦めている。

 

 

 

 

そんな私を知るアメリカ人の友達達は、なぜ今回私が母の元へ請われるままに手伝いに立ち寄るのか心配し、「日本のしきたりに従って親の面倒をみに帰る必要も、心配する義務もあなたには無いんだよ。」と何度もメッセージで送ってくれた。

「自分の成長につながると思ってそんな母親の世話をするのなら良いけれど、義理だと思ってすることはないんだよ。私達ならそんな親には顔も見せたくないからね。」と念押ししてくれる友達たち。彼女らの中には、人種こそ違え、やはりabusive な親を持つ人もいるし、愛情あふれる家庭で育った人もいる。

 

私はアメリカに移って、そんなsupportive な環境に恵まれて本当にラッキーだった。

母の側にいて自殺したり母殺しになる結末を迎えることなく済んで、本当に良かったと思う。

 

 

私の母は自己中な母親であったし、そのまま自分勝手なばばあになったと思って諦めることは諦めざるをえない。

 

ぼちぼちとボケ始めている母と、人種差別の話や女性差別の話、行政の不具合を話し合うのは面白くもあるが、虚しいものもある。

もっとボケちゃう前に楽しい思い出を作っておきたい、と素直に思う。

決して日本人の、子供としての義務に縛られた意識からではなく、もう口論・喧嘩するのは疲れた、という思いからだ。

 

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My mother still has many 大ぶろしき!!