カトリック教会の問題

公会議後の教会の路線は本当に正しいのでしょうか?第二バチカン公会議後の教会の諸問題について、資料を集めてみたいと思います

「新しいミサ式次第の批判研究」とは何か

2019-03-09 22:14:40 | ミサ
新しい「ミサ司式」の批判的研究
Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae

1規範ミサと新しい「式次第」  

 1967年10月に司教会議(シノドス)がローマで開かれ、そこで「規範ミサ1」と呼ばれるミサを試験的に司式することについて、審議があった。この試験的なミサは、「聖なる典礼に関する憲章の実行のための委員会 たものだった。
2」によって創られ とこの司教会議の参加者はこのようなミサのために非常に当惑していた。187票の投票者のうち、43の「反対3」、62いう多くの「保留4」があった。またその他の4票は棄権だった。
 報道機関は、司教会議が規範ミサを「拒否した」と書いた。革新的な傾向のある報道機関はこの出来事について沈黙を守った。司教達のための、ある有名な機関誌は新しい典礼をこう言ってまとめた。
「[規範ミサをつくった者たちは]ミサに関するすべての神学をすべて白紙に戻すことを望んでいる。実質的にミサのいけにえを破壊したプロテスタントの神学に近づいている。」
 ところが、『第2バチカン公会議の教令に基づいて刷新されたローマミサ典礼書を公布する使徒座憲章(以下、『ローマミサ典書5』と表記する)』という名前の使徒座憲章(1969年4月3日)によって公布された「新しい司式6」は、不幸なことにこの「規範ミサ」と実質的に全く同じものである。67年の司教会議とこの69年の公布の間に多くの司教会議があったが、司教会議の問題としてこの問題については触れられなかったように思える。
 使徒座憲章『ローマミサ典書』は、聖ピオによって公布された古い5世(1570年7月14日勅令『クォー・プリームム7』)ミサ典書が(このミサ典書は大部分が大聖グレゴリオそしてさらにもっと古くまで遡るものであるが8)4世紀にわたりラテン典礼の司祭のためのいけにえを捧げる規範であったことを確認している。さらにこの使徒座憲章『ローマミサ典書』は、世界中に広がったこの古いミサ典書を通して「無数の聖徒が、神に対する信仰心を豊かに養ってきたのであります9」と付け加えている。
 しかし、この同じ使徒座憲章によると、「キリストを信じる民の間に典礼の促進を目的とする研究が重ねられ、ますますその成果が上がるに連れて10」、このローマ・ミサ典礼書の使用を決定的に中止させる典礼改革が必要になっていたことになっている。
 しかし、明らかにこの最後の文章はゆゆしくも曖昧である。
 キリスト教の民が、もしもかつてこの典礼をより深く知り、研究し、促進しようという望みを表明したとしたら(それは主に聖ピオ10世教皇の励ましのもとにであったが)彼らが典礼という本当の不滅の宝を発見しだしたからであった。キリスト教の民は、典礼をよりよく理解するために典礼を変えるとか変更するなどとは決して、絶対に、一度も求めたことがなかった。彼らがよりよい理解を求めたのは、唯一的不変の典礼であり、彼らはそれが変わるのを望んだことなど決してなかった。
 聖ピオ5世のローマミサ典書はカトリック信者の心にとってきわめて大切なものであり、カトリックは司祭も平信徒もこれを敬虔に崇敬してきた。ふさわしい手ほどきを受けるなら、このミサ典書を使うことのどこが、聖なる典礼のより深い参与とより良き理解への邪魔になるのか、理解しかねる。この使徒座憲章「ローマ典書」が認めたように、この古いミサ典書の非常によい点を認めながらそれと同時に、キリスト教民の典礼に関する信心を養い続けることがもはやできなくなっていると評価することの理由が解らない。
 そのためにこそ司教会議は既に年にこの「規範ミサ」を拒否したのだった。しかし、その同じ「規範ミサ」が今日、67新しい「司式」によって実質的に採用され押しつけられている。この新しいミサは司教会議の司教団による判断に委ねられたことが一度もなかった。キリスト教民は(そして特に宣教の地では)いかなる種類のミサ聖祭の改革といえども確かに望んでいなかった。この新しい立法は、同じ使徒座憲章「ローマミサ典書」が認めるとおり4・5世紀から変わらず続いた聖伝を覆すものである。この新しい法が定められた動機を判別することはどうしてもできない。
 従って、このような典礼改革の理由は存在しないのであり、かかる典礼改革を正当化し、典礼改革それ自身もカトリックの民に受け入れられるようにする理由付けの根拠はないと思われる。
 公会議も『典礼に関する憲章番で確かにミサのいろいろな部分がもう一度秩序づけられるようにという望11』の第50みを表明した。「ミサの各部分の固有な意義と、相互の関連とがより明らかになるように12」と。では今から新しい「式次第」がこの望みにどれだけ答えているかということを見てみよう。あらかじめ言っておくならば、新しい式次第は事実、この憲章のことなど些かも気にかけてはいないと言うことができる。
 新しい「式次第」のした変更を一つ一つ調べていくと、それらは、以前の「規範ミサ」について下された判断と同じ判断をするのを正当化するほどの変更である。
 新しい「式次第」は「規範ミサ」と全く同じく、多くの点でプロテスタントのうち最もひどい近代主義をそのうちに見いださざるを得ない。


1 Missa normativa
2 Consilium ad exequendam Constitutionem de Sacra Liturgia
3 non placet
4 juxta modum
5 Missale Romanum
6 Novus Ordo
7 Quo Primum ここで著者は公布の日付を7月13日と書いているが7月14日の誤りなので訂正して訳した。
8 原注1:「私たちのカノンの祈りは既にDe Sacramentis(4-5世紀)という論文の中に見いだすことが出来る。・・・私たちのミサは本質的な変化なしに、最も古代の共通の典礼から初めて発展したその時代にまで遡ることが出来る。このミサはカエサルが世界を支配しキリスト教信仰を地上から消滅させることが出来ると希望したその時代の原初の典礼の香りをそのまま残している。つまり、われわれの祖先が自分たちの天主であるキリストに賛美も歌を歌うために夜も明ける前から集まり祈ったその時代のものである。・・・キリスト教世界全てを見回しても、ローマ・ミサほど崇敬すべき典礼様式は存在しない。」(A. Fortescue神父 The Mass, a study of the Roman Liturgy, 1912)
「今日あるままのローマ・カノンは大聖グレゴリオにまで遡る。今日まで使われている聖体祭儀の祈りのうち東方教会にも西方教会にもこれ程まで太古に遡るものは存在しない。ローマ教会がそのミサを投げ捨てると言うことは、とどのつまり、ギリシャ正教会だけではなく英国聖公会やまだ聖伝の感覚をいくらかでも残しているプロテスタントの目にさえも、真のカトリック教会であるという主張をすることをもはや否定していることを意味するだろう。」(Louis Bouyer神父)
9 "innumeri praeterea sanctissimi viri animorum suorum erga Deum pietatem, hausitis ex eo ... copiosus aluerunt." 日本語訳は、『新しいミサ典礼書』11ページから始まる使徒座憲章の公式日本語訳を参照した。
10 "ex quo tempore latius in christiana plebe increbescere et invalescere coepit sacrae fovendae liturgiae studium."
11 Sacrosanctum Concilium
12 "ut sigularum partium propria ratio necnon mutua connexio clarius pateant."日本語訳は、南山大学監修の『第2バチカン公会議公文書全集』1986年を参照した。

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