和田寺だより 

住職のよもやま話し

年越し迎えの鐘

2022年12月26日 | 和田寺だより

毎年恒例の除夜の鐘撞きをより多くの方に参拝していただけるよう『年越し迎えの鐘』と行事名も一新して時間を早めさせていただく事になりました。どなたさまもご自由にお参りください。「年をとると寒くて夜が遅いとなかなかお参りしにくくなるわ」との檀家さんのご意見や手伝っていただく総代さんの負担も考慮して私も元旦早朝から年始の挨拶に来られるみなさんの準備も有り、いつも寝不足の中の年始があたり前でしたので少し楽をさせていただけるのかなと思っています。

日時 令和4年12月31日(土)午後3時~ 寺仏堂(おつとめ・法話) 4時頃~ 鐘撞き(お一人一打)~5時半頃の終了予定です。

今年も干支に因んだ守り本尊の梵字を窯元さんにお願いして素焼きの段階で小生で梵字を書入れ後に焼成いただき、余分も入れて150枚用意しました。令和5年は卯年で守り本尊が文殊菩薩なのでマンという一字です。

  今回お世話になった窯元さんは「丹満窯」 陶工 森本靖之氏です。行事終了後にUPしたいと思います。

       「丹満窯」紹介ページはコチラ

ちなみに令和3年は丑年 守り本尊が虚空蔵菩薩 窯元さんは「吟兵ヱ窯」陶工 大西保宏氏でした。

  「吟兵ヱ窯」紹介ページはコチラ

 

令和4年は寅年 守り本尊は同じく虚空蔵菩薩 窯元さんは「ココチ舎(ここちや)」陶工 市野雅利氏にお世話になりました。

    「ココチ舎」紹介ページはコチラ

 

虚空蔵菩薩の梵字はタラクといいます。

 それぞれの特色を活かした味わいのあるものに仕上げていただきありがとうございました。  

 

                         

                         

                        


除夜の鐘 

2020年12月18日 | 和田寺だより
皆さんお元気ですか?本年も残り僅かとなりました。思いがけない災禍に見舞われ終始してしまった一年でしたがお見舞申し上げます。
さて、年の瀬の恒例行事となります除夜の鐘ですが本年もコロナ禍対策を施しながら例年通り実施致しますのでどうぞどちら様もマスク着用、密を避けてお参り頂ければと存じます。

尚、釣り鐘を撞いていただいた方には梵字入り丹波焼小皿を授与致します。これは、毎年住職がその年の十二支の守り本尊に因む梵字を窯元さん作成の素焼きに書き入れ、焼成後に祈願したものです。令和3年は丑年で守り本尊は虚空蔵菩薩となります。本年は「吟兵ヱ窯」陶工 大西保宏氏にお世話になります。どうぞご期待ください。

ちなみに、令和2年 子年(千手観音)は「丹山窯」陶工 森本芳弘氏にお世話になりました。

梵字 千手観音(キリーク)

令和元年は 亥年(阿弥陀如来)は「山五陶勝窯」陶工 市野勝磯氏にお世話になりました。

梵字 阿弥陀如来(キリーク)

涅槃会法要のお知らせ

2017年02月02日 | 和田寺だより


涅槃会はお釈迦さまの入滅された日で2月15日とされています。(旧暦でいえば3月15日となります。)釈尊がお亡くなりになり完全に煩悩が無くなった状態、煩悩の火が完全に焼き尽くされた悟りの状態を涅槃(ねはん)=ニルバーナ(梵語)といいます。和田寺では近年、2月15日に近い日曜日に涅槃図を掲げ法要を行っております。当寺の涅槃図は江戸時代のものとされています。春彼岸3月22日まで寺仏堂で公開しています。

今年は2月12日(日)9時半~法要です。どうぞ、どなたでもお参りください。

今年は法要後、住職の法話の後に、昔に撮りだめしていた寺行事のビデオ(VHS)をDVDに変換して上映します。(このまま放置していてはカビがいくばかりですので少しずつ変換していく予定です。)観やすいように大スクリーンとプロジェクターを篠山市のビデオライブラリーからお借りします。旅立たれた昔なつかしのお檀家さんがたくさん登場されています。当寺では過去にお世話になった寺の役員・総代さんや和讃詠歌と舞踊の福聚教会会員さんの追悼法要も併修します。お名前を読み上げての法要ですがそんな方々がたくさん登場されます。月日の流れを感じます。

また、浜屋(株)にお願いして線香やローソクの展示販売も予定しています。

※見出しの画像は妻お手製のポスターです。(笑)各地区の総代さんにお願いして地域内10ケ所以上に貼らせてもらっています。


和田寺ホームページ⇒ http://www.wadenji.com/ 

階段設置と車椅子用リフト導入

2017年01月20日 | 和田寺だより
寺仏堂周辺段差の解消の為に縁側を改修して、段差の少ない手すり付き階段を設けました。


車椅子での参拝の方もありますので、車椅子昇降機具「ゼロハイリフト」http://www.hanaoka-corp.co.jp/welfare/lift-zero-height.htmlを購入しました。介護者がレバーを足踏みするだけで昇降ができる仕様になっています。


また、玄関入口の上り框(あがりかまち)段差の解消の為、改修工事を行いました。

 
 ◎縁側上がり口階段・玄関内上り框階段 〔施工業者〕市野工務店
 ◎車椅子昇降器具「ゼロハイリフト」  〔購入業者〕(株)吹

和田寺ホームページ⇒ http://www.wadenji.com/ 





丹波奉詠舞大会開催

2016年12月06日 | 和田寺だより


地元で丹波本部奉詠舞大会が開催されました。発表部門21チーム。特別出演として7組が出演しました。天台宗、比叡山のご詠歌和讃を
叡山流と申します。(高野山真言宗(金剛流)、浄土宗(吉水流)、臨済宗妙心寺派(花園流)、曹洞宗(梅花流)などが有名です。)

日頃の成果を各チームが発表をしました。当山の和田寺支部も唱詠「比叡山仏道讃仰和讃」、舞踊「追善和讃」を発表しました。また、特別
出演では和田寺地蔵盆まつりで昔、踊った「ヤングマン」「ビューティフルサンデー」「ひげダンス」など披露。寸劇も交え面白おかしく演じました。

近年、会員さんの高齢化や趣味の多様化、就労の関係など会員の減少が顕著になっていますが、新しい会員さんが増えるよう促進しています。ご詠歌和讃舞踊(詠讃道)は仏やお大師の御教えを学び、お祖師さまや比叡山の讃仰や仏徳讃嘆しながら明るい日常、社会づくりに努めることを目的にしています。これも立派な仏道、菩薩道といえます。


天台会(てんだいえ)、清水寺から和田寺山を望む

2016年11月24日 | 和田寺だより
11月24日は天台大師のご命日です。天台大師智顗(中国、538年~597年)は浙江省天台山に入り、法華経にもとづく天台教学を確立、修禅寺を開創されました。この教学は二百余年の後、唐代に伝教大師最澄によってもたらされ日本天台宗の基礎となっています。

毎年、多紀叡山講(篠山市19ケ寺・加東市1ケ寺・三田市1ケ寺の天台宗寺院)主催で天台大師ご命日の報恩法要、天台会(てんだいえ)を開催。今年は播州 清水寺http://kiyomizudera.net/ 清水寺御住職 御導師のもと執行。天台大師和讃を各寺院総代等参列者と共に読み上げます。



清水寺自動車道の中腹からは当山、和田寺山がはっきりと見えます。この和田寺山の山頂付近に和田寺の前身である東光寺の本堂跡が残っています。また、妻帯を赦されるようになる明治初期迄、歴代播州 清水寺の長臈(ちょうろう)職に次ぐ二臈(にろう)職の僧侶が代々和田寺の住職となっていた為、当山の山号を二臈(にろう)→二老山(にろうさん)、二老山 和田寺と申すようになりました。いにしえの住侶方が御嶽山 清水寺に向かい拝んでいたことが伺い知れます。現在、和田寺本堂からせんじゅの森ハイキングコース(和田谷展望台)http://www.wadenji.com/doc/せんじゅの森_ハイキングコース.pdfを経て、上立杭の丹波焼きの窯元方面https://tanbayaki.com/kamamoto/kamamap.htmlや木津の五月台、山頂からはぬくもりの郷http://yume-konda.com/に抜けることも出来ます。


和田谷展望台からの眺望

2016年11月21日 | 和田寺だより
来春3月、「せんじゅの森を歩こう」というテーマで地元寺院の行事(多紀叡山講第26回デイキャンプ)
が開催されます。その下見に地元青年部僧侶数名でせんじゅの森 http://www.wadenji.com/senjyu_forest.htmlを歩きました。
和田谷展望台から見下ろすと周囲の山々もすっかり色づいています。陶芸美術館もかすかに見えます。

丹波ささやま 人形劇フェスタ

2016年11月19日 | 和田寺だより
丹波ささやま 人形劇フェスタ(第3回)が市内の古民家など伝統的建物13ヶ所で11月18日〜20日迄開催されます。
本日19日、和田寺寺仏堂でも糸あやつり人形劇団みのむし(京都市,主宰 飯室康一)http://mino3064.com/によるグリム童話「蛙の王子さま」が演じられ、たくさんの方々にお越しいただきました。各地から参加のお子さんも大喜びでした。お話しに引き込まれていくうちに人形に糸がある事を忘れてしまうぐらい人形たちは活き活きとしてました。人形劇前の演芸、江戸太神楽の菊仙さんhttp://kikusen.net/、おしゃべり紙切り芸のはさみ家紙太郎さんhttp://hasamiya-k.com/の芸も素晴らしかったです。プロのスゴ技を肌で感じることが出来ました。


平成27年(2015年)の干支について

2015年01月01日 | 和田寺だより


新年あけましておめでとうございます。
本年も何卒宜しくお願いします。 合掌 二老山 和田寺住職 武内 普照

本年の干支「未(ひつじ、羊)」について
◎ 十二支の「未」は「子(ね)」から数えて8番目ですが、動物の「羊」について調べてみると意味から考えてみると
「羊」という字が「祥」と同義と思われます。「善」という字の中に「羊」の字があります。善とはよいという意見
「美」は「羊」の下に「大」の字がついている。美は「美しい」の他に「よい」とか「うまい」という意味があります。

また吉祥の「祥」は「喜び」や「さいわい」、正義の「義」にも「羊」がついています。「ようかん」を漢字で書い
てみましょう。「羊」がいくつありますか?   

さて、過去の「未」年に起こった事件等参考迄にあげてみます。    

昭和30年 第1回原水爆禁止世界大会広島大会開催される      
(家電時代始まる・・・3種の神器 テレビ・冷蔵庫・洗濯機)    

昭和42年 非核三原則(核を製造せず、持たない、持ち込まない)言明(佐藤首相)          
公害対策基本法公布(イタイイタイ病、水俣病等)    

昭和54年 第二次オイルショック、国公立大学共通一次試験実施    

平成03年 ソ連崩壊、100才以上全国で3,625人    

平成15年 イラク戦争突入、十勝沖地震発生         
阪神18年ぶり優勝(セントラルリーグ)   

*平成27年は?
◎「未」のつく熟語 未刊、未決、未熟、未詳、未曽有 etc.
◎ 方位・・・南南西 ◎ 時刻・・・午後2時頃(1時~3時ごろの間)
◎ 未歳生まれ守本尊・・・大日如来


※以下、副住職の記述です。
当山住職恒例の除夜法要参拝者に授与した干支色紙の裏側に添えられたあいさつ文を年頭にあたり掲載します。
「羊」といえば比叡山のかの有名な回峰行者の酒井雄哉大行満の著作の記述が印象に残っています。

※以下は酒井大行満さまの記述を意訳して小生なりに記述したく思います。

「先義後利(せんぎこうり)」という故事について、羊は一見おとなしい生き物であるが仲間を守る為なら、猟師が
銃口をむけてもひるむことなく立ちむかい身を挺して家族や仲間を護る習性があり「義」という字を分解すると
「羊」と「我」から成り立っており羊の習性を表しています。「我を忘れて回りを助ける」という意味の「義」を
表しています。天台宗の開祖 伝教大師 最澄の「忘己利他(もうこりた、己を忘れて他を利する)」の教えと同義語
と考えてよいでしょう。「義」を先に行ぜば「利」は自ずと後からついてくる。。。。じつはこの「先義後利」のことば
は百貨店の老舗「大丸」の社訓だそうです。人の道を説く含蓄ある言葉ですが商売、ビジネスの世界にも通用する教えです。

                                   本年も宜しくお願い致します。合掌 副住職 拝

酒井雅和さん「いいとこさがしてみませんか」

2014年02月19日 | 和田寺だより

篠山市、丹波市の天台宗寺院の人権研修会の講師として篠山市在住の酒井雅和さんに「いいとこさがしてみませんか」という演題でお話しを聞かせていただきました。

 

※以下は「龍谷人」というサイト、当日の講師紹介文より掲載します。

http://www.ryukoku.ac.jp/about/pr/publications/71/12_hito02/index.htm

1960年生まれの酒井さんは龍谷大学卒業後、中学校の社会科教諭となり野球部顧問も務めながら23年間経験を積んだ頃、2006年(46歳の時)にモヤモヤ病により突然全盲に。命を絶ちたいと思うほどの絶望の日々。明るさを取り戻したのは、2007年夏から「京都ライトハウス」の鳥居寮に入寮してから。同じ境遇の人や職員との出会いで心がほぐれ、歩行やパソコンなど社会復帰のための訓練生活を送る。現在は自宅で訪問訓練を受けながら、龍谷大学の卒業生の縁や、教員時代の縁で広がった学校や自治会での講演会など、自身の体験を社会に活かす活動を続ける。また、年1回の視覚障がい者マラソン大会へも継続して出場。

「自分の良いところをみつけ、活かす」

見えなくなったときは絶望のあまり、走行中の車から飛び降りようとしたこともありました。しばらく引きこもりのような絶望の日々を送りましたが、家族の勧めで入寮した「京都ライトハウス」の鳥居寮での社会復帰訓練で、少しずつ自信を取り戻したんです。まだ馴染めなくて一人でいる頃、そこの先生がおっしゃいました。「あなた、いいとこあるんですよ。あなたの鼻はよく利くし、触ってわかる力強い手足もあるし、耳も良く聞こえる。そしてゆっくりわかりやすく喋れるじゃないですか。それだけいろんな体の機能が残っているのに、目が悪いだけで落ち込んで。残っている機能を活かしていったら、まだまだできることあるじゃないですか」と。もう終わったと思っていたのに、褒めてもらえて嬉しかった。まだ私には能力が残っているなあ、チャレンジしてみようと思えたんです。
   

 自信を持つと、ファイトが湧いてきます。成功体験と具体的な褒め言葉が人を伸ばすんですね。私は歩行やトイレや洗濯など、少しずつできることを増やしていきました。
  2008年には、京都の西京極陸上競技場で毎年3月におこなわれる、視覚障がい者京都マラソン大会に出場してみることにしました。最初はボランティアの方の伴走で1キロ走り、次の年には妻の伴走で3キロ。2010年は中学校教員時代の野球部の教え子の伴走で10キロ。また今年も走りますよ。                                                  

 マラソンでは、足を動かし、耳で伴走者のガイドを聞き、声を掛け合い、空気を感じながら走りますよね。自分の体のあちこちを精一杯使って。きっちり、生きているんだという実感が得られるんです。「まだまだ私は死んでない!」と。

「私にしかできない仕事が待っている」

 あるとき、驚いたことがありました。ライトハウスで「社会の先生だったのなら」と先生の勧めで1時間の時間を与えてもらい、歴史の話をする機会をもらったことがあったんです。自分は、病気によって、学校で教えていた頃のスキルもなくなったと勝手に思っていたのですが、そのとき、長篠の合戦の話がスラスラと出てきたんですね。しかも、現役時代の授業のように、講談のようにして楽しく話せたんです。合戦の話、龍馬の話…記憶のなかにまだ沢山、残っていました。話すうちに、自分もまだこれから役に立てるのかな、と思って熱くなってきてね。

 日本中に社会科の教師はいっぱいいるかもしれないけど、私のような授業は私にしかできない。結局教師は仕掛け人になることが大切だと思うんです。とびっきり面白い、生徒をこっちに振り向かせる授業。生徒が自ら動きたくなる授業で、勉強の動機づけをしてあげる。今は「私の個性を活かして、やってやろう!」という気持ちになっています。 

「身近な絆の大切さに気づいてほしい」

 現在は、龍谷大学時代の友人や教員時代の縁で、様々な講演会に呼んでいただき、自分の経験をお話させていただくことが増えました。人権などをテーマにしてあることが多いのですが、私は、まずは家族や、身近にいる人、例えば一緒にご飯を食べた人、掃除をした人、行ってきますやお帰りなさいを言う人、その関係が一番大事にされないと嘘だと思うんです。障がい者やお年寄りへの思いやり、タイガーマスクのような寄附行為なども言われていますが、まずは一番近くの家族や親兄弟、子ども、その絆がなくては何と言っても格好がつかない。基本はそこではないでしょうか。
   私が絶望の淵に立たされたとき、一番の支えになったのは家族や、一緒に訓練した仲間や先生、友人、教え子との絆でした。近くにいる人を大切に。それを伝えていけたらいいですね。

●酒井さんが大切にしている言葉
3つのf (エフ)
fresh、fight、for the team
 

「fresh」は、例えば授業1時間目のはじまるときのような新鮮で引き締まった気持ち。それを大切にしようということです。
   

「fight」は、やるとなったらやらなしゃあない、熱くなってやろう!ということです。ただし、周りに気を配りながら。
      

「for the team」は、一緒に取り組む人と声を掛け合いながら、みんなで盛り上げながら目標に向かっていこうということ。個性が集まり、日々の関わりがあって、その積み重ねで自分が向上していくのだ、ということですね。

                                  (龍谷人2011№71より) 

 

 46歳の時に病気で突然全盲になり、絶望を乗り越えられた状況を当日の研修会でもお話しいただきました。講演後の質問の時間に「町中で全盲の方をお見かけすることやお寺にもお越しになることがあった時にどんな風にお声掛けしたらよろしいですか」との質問をさせていただいたところ「今日はいい天気ですねとか何かお手伝いしましょうかというようなほんの些細なことがうれしいですし有り難いんですよ。」とのことでした。過度に構えすぎずごく自然に接しながら少しでもサポート出来たらと思いました。障がい者と健常者とのまず心のバリアフリーがあってこそ共に住みよい社会になっていくのではと実感しました。お寺の施設などはまだまだ障がい者の方や高齢者にも随分参拝しにくい環境といえます。当寺も将来的にすべての方がお参りしやすいさらなる環境づくりが必要と感じます。

 

講演中、酒井雅和さんから自身の三つの夢をお話しいただきましたので最後に紹介致します。

①篠山市内が障がい者にとって住みよい街になること

点字ブロックや、音声案内などが増え難なく一人でバスに乗れたり街じゅうを歩けるようになること。(そう仰るということは現状一人で町に出かけることが困難な環境であるということが知れます。)

②社会貢献

ご自身が生きて、生活する中で社会から役にたっているということが実感出来、自尊心が高められるよう社会貢献したい。社会全体からいえば少数である全盲者のことを理解してもらう為にも生きた教材となるよう子供たちや地域などに関わり絆を深めながら自身の体験を社会に活かす活動を続けたい。(視覚障がい者マラソン大会は理学療法士さんや作業療法士さんの指導のもと体調管理をし、教え子さんの伴走のサポートなど人との絆を通して完走や記録が上がるよう目指すことで活力や達成感を得られていると仰っています。このことも生きた教材の一つだと思います。)

③医療の進歩

 まずご自身が他の病気にかからずとても長生き出来たなら、目まぐるしく進歩している昨今の医療の世界ならいつの日かお日さまの光を取り戻せる日がくるかも知れないという希望をもって生きていきたい。

 としめくくられました。お話しを聞いて私自身が生きる活力をいただきました。みなさまにもその一端をご紹介したく酒井雅和さんご本人の了解を得て当ブログに掲載させていただきました。 副住職 拝