富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「聖餐の制定」 コリント一、11章23―29節

2020-08-04 23:58:51 | キリスト教

    ファン・デ・ファネスJuan de Juanes「最後の晩餐」 1555-1562年作  スペイン・マドリード・プラド美術館(ダビンチの「最後の晩餐」1498年の64年後の作)

    中央のキリストの右がヨハネ、その右の赤い衣は小ヤコブ(アルファイの子)、その右隣りはトマス、その後ろに立っているのは、シモン、右端はフィリポ、右端に座っているのはユダ。   キリストの左はペトロ、その後ろに立っているのはアンデレ、赤い衣の座っているのは大ヤコブ(ヨハネの兄弟)、その後ろに立っているのはバルトロマイ、一番左端に立っているのはマタイ、左端に膝まづいているのはタダイです。

 〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380・FAX:022-358-1403

                   日本福音教団 富 谷 教 会    週 報

      聖霊降臨節第十一主日  2020年8月9日(日)     午後5時~5時50分

年間標語「キリストのからだである教会のために、おのおのは分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆこう。」(エフェソ4・16)

                         礼 拝 順 序

                司会 田中 恵子姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)  81(主の食卓を囲み)

交読詩編     84(万軍の主よ、あなたのいますところは)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)コリント一、11章23―29節(新.314)

説  教     「聖餐の制定」

祈 祷                 辺見宗邦牧師                

讃美歌(21) 411(うたがい迷いの)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

                 次週礼拝 8月16(日)午後5時~5時50分  

                 聖 書  ヨハネ第一の手紙5章1~5節

                 説教題   「信仰による勝利」

                 讃美歌(21) 358 449 27 交読詩篇 146

   本日の聖書 コリント一、11章23―29節

11:23わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、24感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。25また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。26だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。27従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。28だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。29主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。

          本日の説教

コリントというギリシャの都市は、アテネから約8㎞西にある、6㎞ほどの地峡で結ばれた、ペロポネソス半島にある都市で、イオニア海(当時の名はアドリア海)とエーゲ海の二つの海に面し、それぞれに港を持つ、通航の要衝であり、商業都市として重要でした。当時はこの地峡には船を陸揚げして運ぶ道がありました。今はこの地峡に運河が掘られて、大型貨物船は通航出来ませんが、観光船等はタグボートで曳航(えいこう)されて通航しています(1893年完成)。

紀元前46年にユリウス・カエサルによってコリントはローマの植民地として再建され、ローマ領土アカイア州(ギリシャ)の首都でした。この地は多種多様な人々が行き交う自由の空気の支配する文化的中心地でもありました。コリントはギリシャ最大の港町で、六十万人の人口を持つ大都市でした。

 

パウロがこの地を訪れたのは第二回宣教旅行の時で、紀元49年から51年にかけて一年六か月にわたり滞在し、宣教と教会形成にあたりました。皇帝の勅令によってローマから追放されてこの町に来ていたと思われるユダヤ人夫妻、アキラとプリスカとの出会いは、彼らがパウロの同業者(皮テント職人)であり、かつ熱心なキリスト教徒であったので、彼の伝道活動の大きな支えになりました。

パウロはコリントの教会から離れた後も、人づてに、あるいは手紙で多くの情報を得ていました。パウロが去った後も教会は成長し、活動的でした。しかし、もはや放置しておけないような問題がこの教会を襲いました。それは、教会内部の分争(1~4章)、道徳上の乱れ(5~6章)、キリスト教徒の自由の誤用(8~10章)、教会の集会における混乱(11~14章)、復活理解(15章)などの問題です。問題を引き起こしたのは、熱狂主義者たちで、彼らの主張は「自分たちは完全な者だ」とか「霊あるいは知識を所有している」とか「すべてのことは許されている」という信仰理解を持つ人たちでした。

おそらくこの手紙は、第三回宣教旅行中、約三年にわたって滞在したエフェソ(小アジア南西部、現在のトルコ)から、54年春頃に出されました。コリントの信徒への手紙一は、次の三つから構成されています。1~4章では、コリントの教会内部で起こっている分争問題、5~6章では教会内の醜聞の問題、そして7章以降15章までは質問に対する回答が述べられています。質問は、「結婚の問題(7・1~40)」、「自由と偶像問題(8・1~11・1)」、「礼拝における問題(11・2~14・40)」、「復活について(15・1~58)」の四つです。最後の16章は献金などの諸要件と結びの挨拶で終わっています。

 今日の聖書の箇所は、礼拝における<主の晩餐>の問題です。<主の晩餐>とは、聖餐式の最も古い呼び名です。原始教会では信徒が持ち寄って食物を分け合って食べる日常の食事(愛餐)とその食事の席で会食とは区別された、パンとワインを分け合って、キリストの最後の食事を思い起こす祭儀的な意味をもつ共同の食事・「主の晩餐」が行われていました。ところがコリントでは、パウロが去った後、裕福な霊的熱狂主義者や愛のない祭儀主義者は、早くから集まって、各自が勝手に飲み食いし、酔い潰れている有様で、遅れて来た貧しい人たちは飢えたまま、辱められている状態でした。「主の晩餐」は無秩序の混乱に陥り、貧しい者への愛と配慮に欠いた者たちの振る舞いによってキリストの一つの体である神の集会(教会)の交わりは分裂の危機にありました。この問題への返答として、パウロはイエスと弟子たちの最後の晩餐の伝承を思い起させるのです。

「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです」と述べています。パウロは主の晩餐を初期のキリスト教の伝承から受けたものです。<主から>受けたというのは、イエス自身が自分の死と新しい契約のしるしとして、パンと杯を分かったことが伝承の源であることを示しています。

「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。」(23節b~25節)

 共観福音書(マタイ26:26-29、マルコ14:22-25、ルカ22:14-20)と共通する記事になっています。ルカの記事がもっともパウロの受けた伝承と密接に一致します。ルカは次のように記しています。

「それから、イエスはぱんを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。』」(ルカ22:19-20)

コリントの手紙の<引き渡される夜>とは、ユダに裏切られ、祭司長たちの遣わした群衆に逮捕され、権力者たちに引き渡されたと解釈するのも可能ですが、イザヤ書53章6節に「わたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた」とあるように、「神は私たちのために主イエスを(死のために)に渡される夜、イエスはパンを取り……」と解すべきと思われます。イエスの死は一貫して神の意志に服従した結果であり、同時にそれは世を救うための神御自身の行動だったのです。

主イエスはパンを取り<感謝の祈りをささげてそれを裂かれ>ました。この感謝(ギリシャ語の「エウカリスティア」)から聖餐式を意味する「ユーカリスト」という言葉が生まれました。 また、<それを裂き>とありますように、主イエスがパンを裂かれたことから、聖餐式は、「パン裂き」として広まりました。主イエスはパンを裂いて、<これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい>とお命じになられました。<あなたがたのためのわたしの体である>とあるように、主イエスが裂かれたパンは、主イエスのお体を象徴し、十字架のあがないの出来事に結びつけられています。キリストは、弟子たちの命を贖うために、そして聖餐式にあずかるわたしたちのための罪のあがないとして御自身の命を十字架に献げられたのです。主イエスは<わたしの記念として行いなさい>とお命じになりました。このことが<主の晩餐>の制定であり、後に教会の礼典として守られるようになったのです。

主の晩餐の目的は主の<記念(原意は「想起」)>です。これは単なる過去の出来事を思い出して懐かしむということではなく、過去の出来事を自分たちのためでもあると、現実の中での出来事として捉えるのです。<記念>という言葉、聖餐におけるパンとぶどう酒が、体と血を代表することによって、実際に主を現在させることを意味すると考えられます。しかし、主の晩餐が意味するのは、教会が十字架と神の国の間で、イエスの死を記憶することなのです。「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主の死を告げ知らせるのです。――主が来られるときまで」。それは聖餐にあずかるたびに起こる終末の先取りとしての出来事であり、12章まで伏せられてはいるが、キリストの体としての共同体の実現が新しい血の契約の儀式のうちに現在しているのです。それゆえ、この聖餐は、キリストと共にある生とその主の告知への使命を自覚することなしにはあり得ないのです。これがここに聖餐の伝承を導入するパウロの意図なのです

主イエスは、12弟子たちに「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしを記念してこのように行いなさい」と言われました。<血による新しい契約>とは、どういうことでしょうか。それは古代のイスラエルの民族が神の民とされるために、神との契約を結ぶ際の儀式に基づくものです。すなわち、祭司は犠牲の動物を殺し、その血の半分を鉢にいれ、残りの血を祭壇に振りかけ、契約の書を読み聞かせます。そこで民は「わたしたちは主が仰せられたことをみな、従順に行います」と誓ったのち、誓いのしるしとして、祭司は鉢に入れた血を民に振りかけ、「見よ、これは主がこれらすべての言葉にもとづいてあなたたちと結ばれた契約の血である」と宣言しました(出エジプト記24・6~8)。

主イエスが、「わたしの血による新しい契約」と言ったのは、古いモーセによる契約と対比して、主イエス自身が、十字架にかかられたことによって、神と万民との間に新しい契約がたてられたのだ、という意味なのです。古い契約においては、主なる神は動物(雄牛)の犠牲の血によって民の罪を赦されました。新しい契約においては、キリストの流された血によってわたしたちの罪を赦してくださったのです。<新しい契約>は、エレミヤ記31・31~35(旧p.1237)で言われているように、人間の側の一方的な契約破棄に対して、神が御子の十字架を通して新しい関係を創造されることを示しています。神との契約関係にある民は、神を愛し、隣人を愛するという、神とお互いに対する責任によって結び合わされたのです。この新しい契約の性格が、食事を分かつ時、前面に表れるべきなのです。ところがコリントの人々の、何も持たない人々を軽視する利己主義の行動が晩餐の意味をあまりにも不明瞭にし、その結果、それはキリストの死を指し示すものではなくなっているのです。主の死の宣言は、裂かれたパンを分かち、注がれたぶどう酒を分かつ時、それが「わたしたちのため」のイエスの死であり、教会員が一致してその死の恩恵にあずかることを表すものなのです。

パウロは、27節以下で、この聖餐式の意義をよく知って、正しく聖餐式が行われるように勧告します。「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。」<ふさわしくないままで>パンを食べたり、杯を飲む、という文章は、完全に正しくないと主の晩餐を共にできないという意味に誤解され、また28節の自己検討の呼びかけは、強烈な自己反省の要請として聞かれてきました。しかしこれは全く誤解です。コリントの裕福な人々は自分たちの食物を食べ、貧しい会員に恥をかかせています。ふさわしくないままでパンを食するとは、教会の会員を軽視し、かえりみずに、分裂を生じさせるような仕方でそれを食することを意味しています。したがってパウロが自己検討を呼びかけていることは、コリントの人々が心の奥を調べるようにとの勧めと理解してはなりません。むしろ食事における自分たちの行動がどのようにキリストの体である教会の兄弟、姉妹に影響しているか検討するようにとの率直な勧めなのです。

<主の体のことをわきまえずに>とは、「聖餐におけるパンにキリストが現存していることをわきまえて」という意味ではありません。パウロにとって<体のことをわきまえる>とは、信仰者の共同体がキリストの一つの体であるという、本当の意味を認めるということです。<体のことをわきまえ>ていない者とは、自分自身の霊性を誇り、自分の社会的特権を振るい、主の死によって始まった新しい共同体に共に与る者に無頓着であるという、自己中心に振る舞う者です。<主の体と血に対して罪を犯すことになる>とパウロは断言します。これは聖なるパンとぶどう酒を冒涜することではなく、教会員を侮辱することで、キリスト自身を侮辱することです。キリストに対して罪を犯すことになるのです。このようなことを行う者は、主の食卓で恵みを得るのではなく、神の裁きを自分自身にもたらすのです。パウロは教会の聖餐が主の裁きの場となるのでなく、恵みの手段の場となるようにコリントの教会のキリスト者たちに訓戒したのです。

教会(原語のギリシャ語では「エクレシア」)は「呼び出された者たちの集り」という意味のことばです。教会は、神様によって召し集められて、共に礼拝する、一つとされた群れです。み言葉と主の晩餐に養われつつ、主の十字架の死と復活による愛の福音を宣べ伝えていく群れなのです。主の晩餐から始まった聖餐式は、その後の教会では、聖礼典として執り行われるようになりました。時代や教派によってそのとらえ方に違いがあっても、キリスト教の中で聖餐は常に礼拝儀式の核となるものでした。聖餐式は神が計画する人間の罪からの救いの成就となる式であり、イエスの死と復活を思い起こし、そこにイエスの現存を信じるもの、さらには信仰者と神、信仰者同士の絆を確認するものでした。このような中心思想はほとんどの宗派に共通ですが、その程度やとらえ方によって違いが生じています。プロテスタントの教会ではパンとワインが実際にキリストの体と血に変わることはなく、象徴的な儀式と見做しています。

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