今日一日で今回芥川賞を受賞された佐藤厚志さんの『荒地の家族』を読ませていただきました。非常に読みやすく、一日であっという間に読めてしまいました。佐藤さん自身が東北出身だということで、約10年前の東日本大震災のことが詳細に書かれてあり、津波のことが婉曲的な表現で書かれていましたね。造園業を営む祐次や、晴海、知加子などの登場人物が巧みに織り混ざっていて、再婚やパワハラ、家庭内暴力のことが描かれていて、少しダークな印象を持ちました。

 まずは私が読んでいて感じたのが、社会人一年目の右も左も分からない新人にパワハラを敢行する、いわゆる、職場いじめやいびりは断じて許されないこと。そのことが書かれてあって、非常に共感を持てました。また、東日本大震災の津波で被害を負った東北地方のことが書かれてあり、その被災状況が刻々と生々しく描写されていて、私の姉家族も当時福島に住んでいて、その被災状況を聞かされているので、これも非常に共感が持てました。また、文章表現も巧みで、語彙や表現力、プロットの組み立ても素晴らしいと感じました。

 一方で、私自身が感じたのは、佐藤さんが東北出身で、東北地方のあの東日本大震災のことが書かれてありました。本当にお辛い思いをされたかと思っています。ご家族やご親友、恋人、ご親戚などを亡くされたのかもしれませんし、我々にとって悲しい出来事でした。それは忘れてはならないことで、風化はもってのほかです。しかし、佐藤さんも後半あたりで書かれていましたが、「時間は無情にも流れるもの」です。そこから前進し、立ち直ることも必要なのかなと私は思っています。いつまでもその時点に、そこにこだわりすぎて、前進(成長)できないのもいけないことなのかなと私は思っています。私の家族(姉家族)も当時は福島に住んでいて、家族は離散しました。当時私はアメリカにいて、連絡が取れずに絶望的になり、本当に辛かったです。それでも、私や私の家族、姉家族がその後に前進していくためには、その出来事を風化させてはならないと同時に、そこから過去のいい出来事、あるいはこれからいい出来事が待っているとイメージし、前進を図ってきました。そうすることで、少しでも被災から立ち直り、人生を前向きに捉えることができました。そんなこんなで成長や進化してきたのかなと感じています。それはこのブログをお読みになっていて、お分かりいただけるかと思っています。

 また、パワハラ暴力や家庭内暴力のことが書かれてありました。佐藤さん自身がそうしたご経験があるのかもしれません。本当に辛いことですよね。私にも社会人以降で経験があり、いまだにそうした記憶で長く苦しんでいます。いまだに20年近くも病院に通っています。しかし、これも同じで、その一時点のことにこだわっていると、人間はなかなか成長できません。前進できません。これは東日本大震災とは違い、私は忘れてもいいことだと思っています。もちろん、世界中の人々の中に、この経験をなされて、「それは忘れられない。経験した本人にしかその痛みは分からない」とおっしゃる方もいるかと思いますが、私は忘れたいし、忘れることにしました。それよりも、これも上記の東日本大震災と少し似るところがありますが、それを一時でも忘れるためには、過去のいい思い出やこれからいいことが待っているとイメージすることで乗り越えてきたような気がします。社会人以降での暴力(退社勧告など)は完全にNGで、いずれ、そいつは罰が当たるし、たとえそいつが良い人生を送って亡くなったとしても、あの世で地獄に行くか、あるいは天国に行ったとしても、来世で苦しむと思うし、そうでなくてもそいつはもう亡くなっている、そう思うことにしました。そして、そういうことは周囲に言うのではなく、家族内だけで愚痴として言っているほうが人間として素晴らしいじゃないですか。不満や愚痴は誰しもがありますし、それは当然で家族内(あるいは本当に信頼できる親友など)に収めることにしています。(しかし、そのメールでのやりとりを、例えば転送させたり、盗み見したりする奴がいた→重い犯罪)。ですから、私はそうしています。これが正解かは分かりません。でも、私はそう思いたいし、そう思うことにしました。そちらのほうが人間、魅力的ですし、何よりも成長や前進できます。

 最後に、これは佐藤さんではなく、出版社全体に言えることですが、私のイラク戦争時の文章を引用されているかと思いますが、それを読まされていると、私自身がなかなか前へ進むことができません。またかよ、またパクりかよと思っていて、不快な感情を誘発させられますし、何よりも佐藤さんを始めとする作家自体のオリジナリティが欠けています。私の23歳の時で、時間が止まっていますし、また当時の嫌な思い出がフラッシュバックし、私の病気の症状がなかなか和らぎません。過去の嫌な思い出を忘れさせる。そのためには、周囲の思い出させない気遣いも必要ではないですか。

 そして、私を有効に使うのは良いことですが、その作家のオリジナリティは何なんだと。最近の芥川賞作家、直木賞作家の作品がそういう傾向にあるので、私ではなく、その作家のことを私たちは知りたいです。出版社全体に言えることですが、その作家のオリジナリティをもっと出していかないと、私の過去で時間が止まっていて、その作家の成長や前進につながりません。結局、私の未熟だった頃のコピーだと思っています。ましてや、そのパイオニアとなっている私をデビューさせず、先にその方に賞を与え、その先駆者に賞を与えていないのなら、なおさら世間はいい印象を持ちません。パイオニアとなった人への敬意を微塵も感じません。→出版不況につながっている?。それでも、どんなに不正や悪いことをしていても、戦争の実態を暴き、そして、平和へと導く文章を書いた人なら、話は別ですが…。しかも、それが一度ならず二度(三度)までもとなると…。

 加えて、それはタダで読ませていただいているというのに、採用試験で不採用にしてきたメディアや他組織にも言えることだと思います。これではなかなか日本は良くなりません。良くなるはずがありません。そこが日本の歴史的汚点、恥だと(未読者の)皆さんは思っています。もっと書くことがあるではありませんか。いくらでもありますよ。例えば、上記のように、メールの転送をさせている組織の実態や、監視犯罪なんてのは読者の誰もが読みたいと思っていますよ。あっ、でも、これもダメだ。私がもうすでに書いてしまっているから。またパクりになり、(既読者の)やりたい放題、私の一番嫌いなわがまま放題になるな。

 以上が私が感じたことです。申し訳ありません、こんなこと言って。