相反する気持ち。 | メランコリーの闘病日記

メランコリーの闘病日記

自身の病気を通して学んだことや、日々感じたこと、過去の出来事を踏まえて学んだことなど様々な視点でブログを綴らせていただいてます。

こんばんは。 

 

ここ最近体調不調( 身体的に)が続き、なかなか買い物にも行けずで、今のうちにブログ更新をしようかと。

 

 

前回のブログ記事では、仕事とプライベートの顔を分けるようなことを書いていましたが、

僕はよくよく考えるとそうした癖がつくに当たってプライベートでもそんなに深い関係にならないようにと気を付けていた節がここ1年半程ありました。

 

ちょうど以前の職場を休職することとなって以降です。

 

その頃から仲良くなり始めた人がいて、

 

今僕にとって一番身近にいる人ですが、その人と出会ったのは12年前です。

 

12年前はいつも一緒に遊ぶメンバーとはいえど、そんなに2人で会話をしたりすることはなく

このタイミングで今更また仲良くなることになりましたが

 

それは余談ですが、

そういったことがあって、1年半前頃から毎日のように

一緒に過ごす仲間のような存在(相手の職場の人)が増えて

 

その当初も「僕はどうせ部外者だし」という気持ちを前提に持ちながら

みんなと関わっていました。

 

けど、なんやかんや毎日のように一緒にいて

僕が休職してた時期は

僕が時間に余裕があったこともあって

 

仕事の付き添いだったり付き合いにもよく参加はしてました。

 

1年前には今の職場にいるので

そこまでの余裕はもうないよと思いながらも

時間があらば断り切ることもできずで

 

僕にとってもその人達と過ごすのは

生活の一部のようになっていました。

 

しかし、昨今10月に一気に仲間が2人も事故にあってしまい、還らぬ人となりました。

 

僕の身近な人は

まさにその命を助けに行った人でしたが、恐らく最低でも30分以上心臓マッサージを行ったように思えます。

周りからは「無理だ、諦めろ」と言われたそうですが

 

せめて病院に運ぶまでは絶対に最後まで諦めたくなかったそうで。

 

(本人も事故で死の世界を彷徨った時に生き返ったような経験があるらしく、心マで救われたのを今でも覚えているんだとか。それだけが理由ではないと思います。)

 

僕もその時は胸騒ぎがしたのか

「助けに行ってくる」と連絡が入って数時間後にみんなが集まる場所に行き、帰りを待ちましたが

そのような結果となってしまい

 

現実を受け入れる間もなく

遺体解剖やお通夜の段取りが行われていきました。

 

現実味のない生活が続くも、いつもいるはずの友人がもういないという現実から逃れるのも無理があり、

仕事を5日程休むこととなりました。

 

誰の前でも泣くことはできず、一人になると気付けば泣いてばかりで。

 

 

そんな中で、彼の職場の人達が

僕の家でみんなで酒を飲もうということもあり、

その一部のように違和感なく存在してる自分がおかしいようにも思えました。

 

最初から僕は部外者のつもりで関わってきたのにどうして気づいたらこうなっているのか。

 

特に口数を増やすこともなく僕の中では表面的に接していても

自分でも無意識の次元で

他人であるはずのことが他人事にはできない存在になっている人間が

 

何人も僕の中で既に存在してしまっているということ。

それに自分でも気づいていないということ。

 

失って気づくというのはまさにこのことだと。

 

 

葬式の時はあっという間に近づいてしまって

当然のように

彼に「メランコリーも葬式に行くでしょ?」と言われた時に

 

香典という壁がきてしまって。

 

 

身内でしか行わないと予定している儀式に

僕の名前を書いたものを送ったところで

 

 

家族の方々はきっと僕を知らないし、

僕はただ看護師をしてるだけであって、その家族の方々にしてみれば

本当にただの他人であること。

 

亡くなった人は僕のことを普通に知っていたところで

今の僕より辛い思いをしているに決まっている家族の方にとっては迷惑かもしれない

 

そう思い、何の肩書きもない僕が儀式に行くことはできないと話しました。

 

そうして、同じように悲しみを分かち合える人間がいないとまた殻に閉じこもってしまい

一人で家でご飯も食べずに

1日中泣き疲れる毎日が続きました。

 

自分は何という失態を起こしてしまったのかと

 

 

あんなにもう人と簡単に仲良くなったりしないと、

心に決めたはずなのに

またこんなに苦しい思いをしてしまうと、その時は現実逃避もあって

そういう思考ばかり繰り返しました。

 

 

もう4ヶ月は経ちますが、

父を亡くした時と変わらない苦しさでした。

 

父を亡くした時はもっと堂々と悲しめたんです。

 

僕は父が亡くなる前の状態もみてたし、覚悟もちょっとはしてて

もう悔いはない。

何より父と一番近い存在の一人だったので、

 

僕が悲しまずに誰が悲しむの?というか。

 

 

しかし、友人のようなそうでもないようなでも毎日一緒にいるような

といった関係だと

僕なんかより悲しい人はいくらでもいる、と思うと

堂々と人前で悲しむことはできなくて。

 

一人で人の死と向き合うのがあんなに辛いことだとは思ってなかったです。

 

 

話を戻すと、

僕が表面的に見せる僕が、

前記事で言ったような

 

〝嫌いな人間に接するくらいでしか、好きな人間とも周りがいる時は接しない〟を

心がけて行ったところで

 

実際にそのように

表向きには防御線を張ったような態度を取ったり、そういう距離感で関係性を人と保った気になったところで

 

本当の僕の心の中では

勝手にいろんな人が大切な存在になってしまってるのではないかと。

 

 

限界も同時に感じてます。