※過去記事整理のため、2016年に書いた記事を書き直しました。
アメリカ行きを告げられた翌日の日曜日、友達とバスに乗って動物愛護センターと公園に行きました。
昨日の今日ではありましたが、伝えることに。
「私、アメリカに引っ越すことになったんだ」
この時点の友達のリアクションは昨日の自分とほぼ一緒でした。
「えーーーアメリカ?!嘘でしょ」
うんうん私も嘘だと信じたかった。
「マジで!?」
「そんなわけないっしょ」
私も受け入れられないよ
「本当かよー?笑」
....うん??雲行きが怪しい
「ありえねー!コンビニ行こう!」
あれ??
本当に嘘だと思われてる?!
小学5年生にとって「アメリカ」はそれだけ現実味がなかったのです。
決して私が普段からふざけていたから信頼されていない
とかそういうことではないので。たぶん....
その日は私の転校について真剣に取り合ってもらえませんでしたが、みんなのことは大好きでした。
幼稚園の年長から小学校5年生まで仲良くしていた子
小学校5年間、クラスがずっと一緒だった子
一緒にキャンプに行った子
ふざけてケンカばかりしていた子
4年生のとき、担任が原因で学級崩壊を経験しました。
私も友達も、それぞれ学校に行けないときもあって。
学校も先公も大嫌いだと公園で叫んだ日々。
友達がいたから、お互い本格的な不登校にならずに済みました。
学年が1つ上がってまともな先生になってからは、クラスメイトの問題行動も減り、やっと楽しい小学校生活に戻った、という矢先のアメリカ行きでした。
何週間か経って、学校の先生に転校することを伝えたとき
「え?!かごめマジでアメリカ行くの?!」
と、ようやく信じて貰えました
このときの担任はソフトボール部の顧問(監督)でもありあました。
めっちゃいい先生だったけど、えげつなく怖くて。
転校すれば試合のプレッシャーからは開放されるので、その点だけは正直ほっとした気持ちもありました。
入部当時の私は同級生の中でも1番下手くそで、みんながバッティング練習してるときも、私は下っ端の若い先生とキャッチボール練習。
下手くそなりに頑張って、少しずつ練習試合に出れるようになって。
自分の体に当ててヒットを阻止する、積極的にデッドボールを喰らって塁に出るなど、力技でアピール
怪我を恐れずに食らいつく姿勢が認められ、5年生でレギュラーになって、試合でも活躍が目立ってきた時期だったので、先生も驚いていました。
平成前半の愛知県はスポコン文化
V
おしゃべりアルパカ
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