MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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コロナでも山形。初雪の中、冬が始まる庄内を歩く - 山形、尾花沢、出羽三山、遊佐、酒田、鶴岡、そして燕へ(2022年11月28日-12月2日)

2022年12月1日 東北地方で唯一現存する藩校「致道館」で。初雪が降り始めました。(山形県鶴岡市)


12月4日(日)


みなさま こんにちは。
ご無沙汰してすみません。
山形から戻りました。


今回の旅の、最大の目的地は酒田でした。
酒田は、北前船の寄港地であったことから、
「西の堺、東の酒田」と言われるほど、
東北で最も繁栄した町でした。
その歴史に魅かれ、以前から、
行ってみたいと思っていました。
ところが、いざ山形県に来てみると、
酒田だけで終わらなかったのです。
山形は、歴史の宝庫でした。


旅をしている間にも、
ぜひ訪ねてみたいと思うところが
次々とでてきてしまい、
当初想定していなかったところを
あちこちと歩きまわることになりました。
またしても、
時間との競争のようになりましたが、
予想外の驚きが続く、楽しい旅になりました。


今回も、旅行支援を利用できたので、
一日16000円分の補助をいただきました。
マイカーで旅行したので、交通費もかからず、
ほとんどタダに近いような、
オトクな旅行になりました。笑


5日間の旅を、ギュギュっと圧縮して、
ダイジェストでご紹介します。


1日め。朝6時半に出発し、夫の運転で山形市へ。まずは、「水の町屋 七日町御殿堰(ごてんぜき)」でお昼ごはんです。


【御殿堰】
中心市街地を網の目のように流れている農業用水堰「山形五堰」の一つです。1624年(寛永元年)に、山形城主鳥居忠政が築造しました。現在は、その石積みを水路に再生して親水空間とし、堰の景観を利用した再開発商業施設「水の町屋 七日町御殿堰」となっています。


お昼ごはんは、七日町御殿堰の中にある、そば処「庄司屋」で。天丼と蕎麦のランチセットをいただきました。

昼食後は、尾花沢市・銀山温泉へ。夫がここへ行きたいと言ったことが、この秋最後の旅の行き先を山形に決めた理由です。


【銀山温泉】
かつて江戸時代初期の大銀山として栄えた「延沢銀山」の名称に由来しています。大正末期から昭和初期に建てられた洋風木造多層の旅館が、銀山川の両岸に沿って軒を並べ、昔ながらの独特の景観を楽しむことができます。


こんな古い旅館が、川沿いにいくつも建ち並んでいます。

私たちが宿泊した古山閣です。有名な鏝絵(左官彫刻)が、宿の前面を飾ります。

夕暮れになると、一つ一つの宿に灯りがともります。その美しさが、胸に染みました。

夕食はお宿で、なぜかイタリアンのフルコース。笑 トリュフ、フォアグラ、カラスミを贅沢に使った、豪華なディナーでした。

2日めの朝。雪をいただく山に見守られながら、一路、出羽三山へ。

国立公園羽黒山。奥に見えるのが、随神門です。この門の奥に、神様の森が広がっています。

山を登ったり下ったり。ひたすら、山歩き。やれやれ…。笑

その奥にあったのは、羽黒山五重塔(国宝)。夫がこの五重塔に行きたいと言いはり、ここまでくるはめになりました。😅


【羽黒山五重塔】
羽黒山参道、“一の坂”上り口の杉並木の中にあります。高さが29.0mの三間五層杮葺素木造で、東北地方では最古の塔といわれ、平将門の創建と伝えられています。現在の塔は、約600年前に再建されたもので、昭和41年、国宝に指定されました。


大人の休日俱楽部 2014年のCM動画でも、羽黒山が紹介されています。


お昼ごはんは、参道近くの農家カフェ「随神門」で農家のランチセットを。

昼食後は、羽黒山の頂上にある、三神合祭殿へ。写真は、鐘楼と梵鐘です。鐘楼は、1618年(元和4年)、山形城主最上源五郎によって再建されました。梵鐘は、1275年(建治元年)に設置されたものです。(共に国指定重要文化財)

その後、山形県飽海郡遊佐町の旧青山本邸へ。MIYOがいつか行きたいとずっとあこがれていたところです。(国指定重要文化財)


【旧青山本邸】
遊佐町の貧しい漁家に生まれた青山留吉が、北海道のニシン漁で功を成し、その財で故郷に建てた邸宅です。明治時代の特徴的な建築様式をよく残すものと評価され、平成12年に、国の重要文化財(建造物)に指定されました。
床や柱は欅の春慶塗り、漆くい壁、神代杉の巾広天井、うぐいす張りの廊下、端から端まで継ぎ目のない一本物の長押し(なげし)。紫檀、黒檀、タガヤサン、杉、つげを使った書院造の床の間。ふすまの引き手は七宝焼(当時は宝石と同価値)。欄間は、竹、紫檀、黒檀に彫刻が施されてあり、日本画の絵師たちが競って描いた見事なふすま絵や書もそのままに残されています。


ひとりで小舟に乗り、山形を飛び出した青山留吉が、苦労の末に築きあげた、ニシン漁の元場(番屋)。北海道開拓の村・漁村群エリアに移設されている旧青山家漁家住宅は、7棟の建物が建ち並び、とにかくでかかった。笑 明治から大正にかけて、青山留吉・政吉の親子2代で巨万の富を築き、「ニシン大尽」と呼ばれた青山家は、小樽から留萌にかけて、漁場約15箇所、漁船約130隻、使用人約300人を有していました。1914年(大正3年)頃には、年間で1万石(7,500t/現在の価値で約25億円)以上ものニシンを水揚げしていたと言われています。(2021年11月6日 北海道札幌市)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 47 - 北海道開拓の村⑲(旧青山家漁家住宅②文庫倉、石倉、板倉、米倉)/ Coke Onペイと今月のネイル(2021年11月6日/4日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


「にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)」です。青山家の2代目政吉が、娘・政恵と共に6年半の歳月をかけて建てた別荘が、「旧青山別邸」です。棟梁がこだわりぬいて集めたヒノキ、けやき、紫檀、黒檀、神代杉、屋久杉などの建築材、春慶塗の廊下や柱、たも材の階段など、生活空間の随所に贅が尽くされています。(2021年6月28日 北海道小樽市)

コロナでもウポポイ2。札幌を拠点に3人で歩いた、3泊4日の北海道 39 - 小樽市総合博物館本館から「にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)①」へ(2021年6月28日/4日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


貧しい漁師の家で、
四男として生まれた青山留吉が、
人生の黄金期を過ごした旧青山家漁家住宅
(北海道札幌市)
その築いた富を、
惜しみなく使って建築した、
にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)
(北海道小樽市)
そして晩年、故郷に錦を飾った留吉が、
人生の最後の日々を過ごした、旧青山本邸
(山形県飽海郡遊佐町)


今回の旅で、
青山留吉に関わる3つの建築物
すべて訪れたことになります。
これまでに見てきたものが、
ひとつにつながりました。
まるで青山留吉の人生を追うかのように、
旅を続けてこられたことに、
なにかとても感動しました。
この旅でいちばんワクワクした瞬間でした。^^


3日め。旅の舞台は酒田市へ。100年以上の歴史を刻む、山居倉庫です。(国指定史跡)


【山居倉庫】
1893年(明治26)年に建てられた米保管倉庫で、米どころ庄内のシンボルとなっています。米の積出港として賑わった酒田の歴史を今に伝え、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケーション舞台にもなりました。

白壁、土蔵づくり9棟からなる倉庫の米の収容能力は10,800トン(18万俵)。夏の高温防止のため、背後にケヤキ並木を配し、内部の湿気防止のために二重屋根にするなど、自然を利用した先人の知恵が生かされた低温倉庫として、最近まで、現役の農業倉庫でした。が、2022年(令和4年)9月に、129年の米倉庫としての役割を終えました。
敷地内には、酒田市観光物産館「酒田夢の倶楽」、庄内米歴史資料館が併設され観光客で賑わっています。
樹齢150年以上のケヤキ35本の連なるケヤキ並木の色合いは、季節とともに変わり、見る人を魅了します。
2021年(令和3)年3月26日、国指定史跡に認定されました。


お昼ごはんは、山居倉庫の中にあるレストラン、山居倉庫夢の倶楽「芳香亭」でいただきました。

午後は、本間家旧本邸へ。(山形県指定文化財)


【本間家旧本邸】
東北最大と言われる豪商、本間家の邸宅でした。本間家旧本邸は、本間家三代光丘が幕府の巡見使一行を迎えるための宿舎として、1768年(明和5年)に新築し、庄内藩主酒井家に献上した、二千石格式の長屋門構えの武家屋敷です。
巡見使一行が江戸に戻ると、その屋敷を酒井家から本間家から拝領し、1945年(昭和20年)まで住んでいました。
桟瓦葺平屋書院造りで、武家造りと商家造りが一体となっている建築様式は、全国的にも珍しいものです。


本間美術館。本間家が寄贈した、多数の美術品が保管されています。(国指定名勝

美術館の敷地内にある、本間氏別邸庭園(鶴舞園)を歩き、清遠閣に行きました。(国指定名勝)


【本間氏別邸庭園(鶴舞園)】
1813年、庄内地方の大地主であった本間家の四代・光道が、江戸に造築した池泉回遊式庭園。池の中島に鶴が舞い降りたことから、藩主・酒井氏によって「鶴舞園(かくぶえん)」と命名されました。庭園整備は、港で働く人々の冬期失業対策事業として実施しました。また、酒井氏の休憩所として、「清遠閣(せいえんかく)」が造られました。1947年(昭和22年)に、本間美術館として開業・一般公開され、2012年(平成24年)に本間美術館を受けました。


【清遠閣】
本間美術館の中にある、2階建ての銅板と瓦ぶきの建物です。藩政時代は、庄内藩主や幕府要人を、明治以後は皇族や政府高官、文人墨客を接待する酒田の迎賓館の役割を果たし、1925年(大正14)年には、昭和天皇のお宿にもなりました。1947年(昭和22)年に市民に開放され、全国に先がけて地方都市の私立美術館として開館しました。
所蔵品には、本間家が大名から拝領した品、歴史資料として価値の高い文書、当主が好んだ茶道の器物など、重要文化財や重要美術品が多数あります。
2009(平成21)年には、「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」にも掲載されています。


その後、酒田市立資料館へ。たまたま、「酒田の芸妓」という企画展が開催されていることを知り、車で夫に連れて行ってもらいました。展示の内容は予想を超えたもので、とても驚き、感動しました。

4日め。予定を変更して、鶴岡市へ。前日になって、これもたまたま、庄内藩校「旧致道館」(国指定史跡)の存在を知ったからです。藩校を見るのは大好きですが、山形県にも残っているとは知りませんでした。初雪が降り始める中、致道館を歩きました。


【庄内藩校「致道館」】
庄内藩の士風の刷新と、優れた人材の育成を目的に、1805年(文化2年)、酒井家九代目・忠徳公が創設した藩校です。徂徠学を教学とし、自主性を重んじた教育方針で、各自の天性に応じ長所を伸ばすことに主眼がおかれ、質実剛健な教育文化の風土を育む土壌となりました。現在は、表御門、聖廟、講堂、御入間などが残っており、国指定史跡として一般に公開されています。この藩校建築は、現存するものとしては東北地方唯一のもので、歴史的、文化的にも価値が高いものとして知られています。


藩校を訪れるのは、これで4つめになります。
以下は、過去に訪れた藩校・学校です。


会津藩校「日新館」。広大な敷地に、日本最古のプールといわれる水練場や天文台までをも備えた、全国有数の藩校。ここで学んでいた藩士子弟を思い、ただ、泣けました。(2021年4月10日 福島県会津若松市)

コロナでも福島。満開の桜の下、城を仰ぐ 9 - 会津若松・日新館の桜(2021年4月10日/2日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

日本最大規模の藩校「弘道館」。日本最大規模の総合大学とも言える学校。学校と言うよりお城のようでした。
(2021年4月23日 茨城県水戸市)

コロナでも茨城。ネモフィラの丘と弘道館を訪ねて 5 - 弘道館(正門から玄関へ)(2021年4月23日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

日本最古の学校である、「足利学校」。室町時代から戦国時代にかけては、関東における事実上の最高学府でした。
(2021年4月30日 栃木県足利市)

コロナでも足利。織姫神社と足利学校を訪ねて 1 - 足利学校(入徳門と学校門)(2021年4月30日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


そして雪の中、夫が行きたいと言いはる致道博物館へ。写真は、旧鶴岡警察署庁舎です。

旧酒井家江戸屋敷赤門

鶴岡市を出発し、帰路につきます。押し寄せる日本海の荒波に驚きながら、新潟県へ。この日は寺泊に泊まりました。

5日め。午前中は、燕市産業史料館へ。歴史の荒波を何度も越えてきた、燕の人々の気概に圧倒されました。

燕市の技術がなせる芸術品、木目金花瓶。すばらしいのひとことでした。


【木目金】
何十層にも重ねた金属板を溶着させて板状に伸ばし、表面を削って模様を出し、さらに打ち延ばしていく技法。


昼食は、新潟市のそら野テラスで。広大な田園にテラスが張り出した、農園レストランです。

日替わりランチは、「カレイの中華あんかけ」でした。お魚も野菜もおいしかったです。^^

そして東京へと車を走らせます。この頃には、あたりの山々は白い薄衣を羽織ったようになっていました。

私たちが登った羽黒山も、その翌日には、すっかり雪景色となったそうです。


旅行しているあいだに、晩秋から冬へと、
山形の季節が変わってしまいました。
今思うと、どんどん近づいてくる冬と
競争しているかのような旅でした。
旅の終盤には雪が降り始め、
帰る頃には、すっかり白い世界になりました。


この2か月あまりで、
 北海道・道東(9月13日-18日)
 新潟(10月17日-21日)
 北海道・道央(10月23日-29日)
 青森(11月7日-11月11日)
 山形(11月28日-12月2日)
と、歩き続けました。
冬が来る前にと、追いたてられるようにして、
日本の北部ばかりを旅行し続けました。
それも、今回の山形でひとくぎりです。
ここから先は、雪で運転が危なくなるので、
北方面の旅行は、春までおあずけです。^^


雪と競争するかのように駆け巡った山形。
最高に楽しい5日間でした。
春になったら、
また必ず訪ねたいと思います。^^

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