政府の発言の内容に違和感を感じることがよくあるのね

 

まぁ別におっさんが違和感感じても誰も苦労しないし

 

世の中どうにもならんのやけど

 

例えば

「国民に丁寧に説明し、的確に実行していく」

 

これを発言した人の「丁寧」のレベルと

俺が感じる「丁寧」のレベルが乖離していたら

俺は「丁寧」とは思わないだろう

 

同様に「的確に」についても

発言者と俺の「的確」の捉え方が乖離していると

「的確」ではないわけよね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別の例としては

「必要に応じて適切に対処」

なんてのも、

発言者が「必要」と感じなければ、

適切はおろか、不適切にも「対処」もしないわけで

発言者が「必要」と感じないようなことでも

俺には「必要」かもしれないのよね

 

議員が俺みたいな1個人のことに着目して発言するはずはないけど

 

そもそも俺と常識レベルや価値基準が違う議員が

「適切」とか「丁寧」とか「真摯」とか「しっかり」とか言うても

それらはあんたの判断での「適切」「丁寧」「真摯」「しっかり」

なのであって一般的に通用するレベルのものなのか?

と思ってしまうのよね

 

例えば

「多くの人が納得するように適切に」

とか言うてくれると、「適切」ということが自分目線ではない

と感じるんですけどね。

 

客観的じゃないってことなんかな議員の発言の多くが。。。

そう感じちゃうし思っちゃうのよね。

 

具体例を挙げてくれたらいいよね、そういう意味では。

 

飲食店で「当店は丁寧な接客を心がけます」

と張り紙があっても

店員を呼んでも来ないとか、

めんどくさそうに注文聞いたりとかしてたら

それがそちらの「丁寧」のレベルなのか?

と思っちゃうし、

「あーだから、心がけます、って書いてるのか。。」と

思っちゃうのよね。

「心がける」のであって、「実施している」わけではないと。

 

お金持ちを目指してるけど、現状貧乏でもいいわけで。

 

「できるだけ早い段階で」

とか言われると、「いつ?」って思ってしまうけど、

それで議員は仕事してることになるんだなと。

 

ビジネスでそんなこと言うと、絶対「いつまで?」と聞かれるけど、

議員は聞かれないし、答える必要がないんだろうな。

 

電気代とか物価高とかも対策が必要だけど

 

もっと簡単で早く、個人レベルで改善できることたくさんあるけど、

議員は改善しないといけないほど自分がダメだと思ってないんだろうね。

 

もはや考え方の基準が違いすぎるということで、

自分を納得させてこの国に税金払って死んでいくしかないのだろう。

 

なんだかやるせないよーな。。