Gerd AltmannによるPixabayからの画像
どもども。
キンジです。
引き寄せの法則って言いますと・・・・・・・、
大概が、
「思考の問題である。」とも言いますし、
「思った事が、現実に引き寄せられる。」とも言われるものではある事でしょう・・・・・・・。
が、
冷静に考えみると、
もしくは、
今までの人生を振り返って見てみると、
「物事は、行動しない事には、成し遂げる事が出来ない。」
って事が、
ある意味、
誰しもが理解出来ていて、当たり前なものでは無いでしょうか・・・・・・??
即ち、
そのような、
「思った事が、現実に引き寄せられる。」って事もまた、
現実的に、あり得る事ではあるでしょうが・・・・・・・・、
それは、
大抵の場合において、
その思った事=引き寄せたい事=自分自身の、過剰な期待を生む事になってしまいガチでもあり、
過剰な期待をかけた、その相手にとって、
負担となるのも、そうでしょうし、
その過剰な期待が、
自分自身の精神性を、
蝕んでしまう効果を、
ある意味、
引き寄せてしまうもんだと言う事なのです・・・・・・・・(^^;)
だからこそ、
そこに必要となるのは、
「どれだけ、求める、引き寄せたい物事を、抽象度を高めたマインドで、思考出来うるか??」
って事となるだろうし・・・・・・・、
それって言うのは、
結局は、
「行動ベースとして、その、抽象度を高めたマインドを、構築して行く。」
って問題には、
なってくるものなのでしょう・・・・・・!!
まぁ、だからと言っても、
我々は、
言葉を持ってして、
思考するものでもあり、
その言葉と行動ってものを、
抽象度の移動を持ってして、
繋げる必要性もあり、
その為には、
相応しく無い言葉や行動ってものを、
逆に、
繋がりを無くすって事も、
時には、必要でもあり、
その方法論は、
個人的な、主観的な視野と、
客観的な視野を、分けてしまう事による、
ギャップを活用する事により、
たとえ、
構造的に俯瞰してみれば、
大きな意味では、同じ意味合いとなるような、
上記の視点において、
個人的な、別のゴールでもあり、
別の構造を、構築する事によって、
行動ベースのマインドにおいては、
違う意味合いを、構築して行く事によって、
つつがなく、行動を推し進めて行く為に、
余計なノイズを、排除する試みもまた、
必要にはなってくるものなのでしょう・・・・・・・・!!
要するに、
行動ベースの為に、
必要となってくるのは、
主観的な、自主性ってものとなるのでしょうが・・・・・・・・、
そこに、客観的な煽りや、
客観的な、命令性ってものが、
存在していたとしても、
「それを、主観的な自主性に、置き換えて行く試み。」もまた、
必要とはなるものではある事でしょう。
即ち、
主観において、自分自身の世界観において、
自主性を発揮できれば良いとも言えるのでしょうが・・・・・・・、
その為には、
そこに必要となってくるのは、
意味合いとか、意義ど〜こ〜よりも、
やり甲斐とか、充実感とか、楽しさってものと、
なるものではあるのでしょう・・・・・・・・!!
まただからこそ、
客観的には、
煽りがキツい環境でもあり、
客観的には、
命令性がキツい環境でもあり、構造に、
なればなるほど、
主観的な自主性を保って行く為には、
それだけ、
思考の抽象度の高さってものが、
求められるものでもあり・・・・・・・、
対処療法的に、
客観性を、自主性に、
変換し続けて行くって事が、
必須となり、
客観性に飲み込まれると、
それだけ、
肉体と、精神に、負担が大きくかかってくる事により、
肉体も、精神も、消耗が激しくなってしまう事により、
体を壊したり、精神疾患として、
それもまた、
引き寄せられてしまう事に、
なってしまうのでしょう・・・・・・・・(^^;)
まぁ、
あくまでも、
個人的見解ではあるのですが・・・・・・・・、
肉体と、精神が、消耗が激しくなるって事は、
それに付随して、
人間関係にも、歪みが現れるのが、
当たり前でもあるでしょうし、
そのような時こそ、
「自分軸に立ち返る。」って事が、
必要となるものだろうし、
一旦、
組織とか、構造とか、環境に付随する、
人間関係ってものを、
リセットする必要があるとは言えますが・・・・・・・、
その為には、
わざわざ、
人間関係を、全て、切ってしまうんじゃあ無くて、
「一人から始めれる何か。」ってものを、
新しく、用意するって事が、
重要にはなってくる事でしょう・・・・・・・!!
一人から始めても、
一人で終わる必要性なんて、無いだろうし、
一人から、
新しく参加するコミュニティってものでも良いでしょうが・・・・・・・・、
コミュニティとは言っても、
何か、行動ベースとして、
参加出来うるコミュニティってものの方が、
「一人の人間でもあり、一匹の動物として、個人に立ち返る。」
即ち、
「自分軸に立ち返る。」為には、
相応しいものとは、なるものでしょうね・・・・・・(^^)
それが出来てこそ、
どんな、
客観的な煽りでもあり、
どんな、
客観的な命令性を受けたとしても、
臨機応変に、
対処療法的に、
解決策=自主性を発揮したマインドを、
展開出来うるようになるのでしょうが・・・・・・・、
勿論、
だからとは言っても、
自分自身のレベルに応じた、
今までの経験を踏まえた、
対処療法とはなるでしょうから、
何も、
いきなり、
無茶振りばかりを求めて、
無闇に、
現実の難易度を、高めてしまう必要性も無いって事なのです。
基本的には、
気負い過ぎてたり、期待し過ぎている状態であったり、
期待され過ぎな状態であればある程、
自然と、
現実の難易度ってものは、
高まって行く一方ではある事でしょう・・・・・・・・。
だからこそ、
我々、個人からすれば、
難易度ってものは、
下げて行く方向性で、舵取りをするべきでもあり、
それで出来上がったスペースとか、
余裕ってものを、活用して、
自分自身の楽しみとか、充実度を高める為の、
ゲーム性の方に、力を入れて行く事が、
望ましいものである・・・・・・・と、
個人的には思っている次第ではありますね・・・・・・・(^^)b
まぁ、
何かと、
現実の、
難易度を下げる事が可能であれば、
それで出来上がった、スペースには、
無限の可能性が存在する事にはなりますが・・・・・・、
そこのゲーム性を考慮しない事には、
その折角のスペースを、
持て余してしまう事となり、
スペースとか、余裕があるが故に、
過ちを犯してしまいガチなのもまた、
我々の、
習性の一部ではある事でしょう・・・・・・・。
だからこそ、
そこにも必要となるのは、
たとえ、
スペースの活用であったとしても、
「無闇に、難易度を高める行為をしない。」
って事であり、
スペースとか、余裕が出来上がるって事を、
「無闇に、恐れない。」って事ではあるのでしょう・・・・・・!!
それは結局は、
「自分軸に立ち返る。」って事を、
「行動ベースとして、慣れ親しんで、習慣となっているか??」
って事と、繋がって行くものでもあり、
そのような、
ゲーム性があればこそ、
スペースとか、余裕ってものを、
恐れなくなるものでもあり、
一見、
意味合いが存在しないような、
無駄な行動にも、
自分自身のフィーリングに素直になれる事によって、
没頭であり、無我夢中になれてしまえる事でしょう。
後はそれを、
流用・応用すれば良いだけとも言えるでしょうし、
その習慣が出来上がっていれば、
それは、
無意識の領域にて、
発揮されてしまうものとは、なって行く事でしょう・・・・・・!!
何故ならば、
それが、
習慣となるって事でもあり、
「自分自身の、血肉の一部とする。」
って事でも、あるでしょうから。
それらを踏まえて、
実は、
過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・。
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