どもども。
キンジです。
メンドくささとか、迷いが生じる時って言うのは、
ある意味、
誰しもに、存在する事でしょう。
が、
だからとは言っても、
「ただメンドくさい。」とか、
「ただ考えがまとまらない。」とか、
言っているだけでは、
現実の主導権を失うように感じてしまい、
段々と、
セルフイメージでもあり、セルフエフィカシーを、
損なってしまいガチなもんでもある事でしょう・・・・・・・。
だからこそ、
ある種の、
「勢い。」ってものが、
そのような時に、行動を推し進めて行く為には、
必要とはなるのですが・・・・・・・、
だからとは言っても、
その、「勢い。」ってものが、
大き過ぎると、
なんだか、
余計にメンドくささや、迷いが大きくなってしまい、
その、
メンドくささや、迷いってものが、
この先も、継続的に続いて行ってしまうもんでもあります・・・・・・・(^^;)
それを回避する為にも、
その、「勢い。」ってものを、
出来うる限り、
小さくマネジメントする必要性があるとは言えるのですが・・・・・・・、
それは結局は、
小さくでは無く、別世界の問題として、
マネジメントするって事でもあり、
別世界として捉えるからこそ、
目の前の物事に、
イラついて行動するのでは無く、
丁寧に向き合う事が、必要となるものではありうるのです・・・・・・・!!
上記では、別世界とは言いましたが、
結局は、
その別世界の正体とは、
主観的世界観ってものとはなる事でしょう。
即ち、
周りとは、足並みを揃えつつも、
別世界となりうるような、
フィルターを創造する為にも、
自分でこそ、自分ならではの、
自分軸としての、行動習慣を、
用意しておくって事でもありますし、
それは、ある種の、
「逃げ。」の論理なのかも知れませんが・・・・・・、
その、
現実逃避があるが故に、
目の前の物事を、
変に、俯瞰したり、
変に、先読みしたりせずに、
着々と、
行動ベースの視点によって、押し進めて行く事が、
可能になるもんでも、ありうるのです・・・・・・・!!
まぁ、
だからとは言っても、
我々は、
本能のみしか持ち合わせていないような・・・・・・・、
動物達とは違って、
一人一人が、
自我ってものを、持ち合わせているだろうし、
その、視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚と言う風な、
五感プラス、意識を使う事によって、
足並みを揃えているように見えても、
それぞれが、
少しずつ、
個体差による違いが生じる、
パラレルワールド的な、世界観を、
持ち合わせているものでもあり、
そのパラレルワールド自体によって、
個人的には幾らでも、
別世界を、
想像でもあり、創造していけるものではあります。
が、だからこそ、
共有するべき部分ってものも、
必ず、必要となるものでもあり、
それが無ければ、
社会秩序ってものもまた、
無くなってしまうものではある事でしょう・・・・・・・。
が、
そのパラレルワールドってものは、
結局は、
いきなり、オリジナルを、構築して行く場合においては、
上記のような、
無秩序ってものを、構築してしまいガチにはなってしまうでしょうが・・・・・・・、
そのパラレルワールドを、
構築する為の要素として、
誰かの作品でもあり、
誰か、人の手を介した要素が、
含まれていればいるほど、
大抵の、
その秩序性には、
大きく観れば、同じような性質が含まれてくるものでもあり、
それを差して、
「人間用。」とは、
言えるものとはなってくるものとなる事でしょう。
また、
そもそもとして、
いきなりオリジナリティを発揮するって事は、
結局は、
そのオリジナルを構築している要素の、
大元の判断が付いていない状態を、
表すものでもあり、
また結局は、
自分自身が、五感と意識を通して、
見聞き・体験した事がある要素を繋ぎ合わせたり、
再構築する事によって、
そのパラレルワールドってものが、
出来上がっているものでもあり、
根源的な、原理原則的な部分だけを観れば、
どんなパラレルワールドにも、
抑えておくべき規律ってものが、
見えてくるのもまた、
「当たり前。」でもあり、
そのパラレルワールド的世界観の、
レベルを差して、
自分自身の魂のステージと、
呼ばれるものとはなるのでしょうね。
まただからこそ、
そのような、
パラレルワールドを、
より顕著に、個人差を追求する場合において、
五感よりも、意識の方にこそ、
違いを創造する必要性が、
出てくるものではありますが、
意識ってものもまた、
自分自身の肉体でもあり、五感と言う風な、
己の器が存在していてこそ、
成り立つものである・・・・・・・って事を、
忘れてはいけません。
だからこそ、
その、「意識的なフォーム。」ってものが、
大事なものとはなりうるのですが・・・・・・、
その意識的なフォームを創造する為には、
自分軸としての行動習慣ってものが、
必要不可欠であるとも言えますし、
それでこそ、
最初の段階から、
秩序性を考慮した、
「人間用。」でもあり、コミュニティたり得る、
アドバンテージを、持てるもんでもあり、
それは結局は、
自分自身の、行動習慣によって、
構築されるものでもあり、
自分自身、一人だけで、
勝手に妄想して行くものとは、
少し、違った形態とは、なって行くものではある事でしょう・・・・・・!!
また、そのパラレルワールドは、
結局は、
世界の摂理的な、
無意識の領域でもあり、原理原則的な要素によって、
出来上がるものでもありますから、
我々、とるに足らない、
一人の人間でもあり、個人からすれば、
行動習慣を保持するとか、
自分自身が好きな事でもあり、
自分自身が、充実出来うる事を、
出来うる限り、
習慣として行くといったような要素としてしか、
マネジメントする事が、不可能なものでもあり、
それを持ってして、
メンドくささや、迷いが生じてしまいガチな、
先行きに、不安が出てくるような、
先行きに、完全なる無知が存在しているような、
シチュエーションにおいても、
自分軸に立ち返る事によって、
自分自身が想像でもあり、創造する、
パラレルワールド的な世界観において、
ある程度の、
納得を得やすいだけのアドバンテージを得る事が、
可能になるってものではあります。
勿論、
納得ではありますから、
それが、
本質とか、誰しもにとっての、
答えとは、
言うつもりはありませんが・・・・・・、
本質とか、誰しもにとっての答えを、
求めるって事は、
結局は、
満足を求めるって事でもあり・・・・・・・・、
満足の先に待っているのは、
自分自身の死以外には、
解りようがないって事もまた、
僕自身の、持論ではありますね・・・・・・・・。
だからこそ、
満足でもあり、満足を求める気持ちを、
規律として、
制御する必要性があるとは言えますが・・・・・・・、
そこで必要となるのは、
満足の代わりとして、
納得を求める姿勢とは、なるものなのでしょうし、
言葉だけ、行動だけで、
「満足を制御する。」って事は、
ただの、「絵に描いた餅。」に過ぎないものではありますが・・・・・・、
場所前提でもあり、
期間前提の場合においては、
それもまた、
納得を引き出す為には、
必要な要素とは、なって行くものなのでしょう・・・・・・!!
まとめてみると、
即ち、
意味ある行動ってものは、
生活とか、仕事の上では、
必須なものではあるでしょうが・・・・・・・、
必須なものばかりを見ていても、
自分でこそ、自分ならではの世界観ってものが、
構築されて行くもんじゃあ無く・・・・・・・、
段々と、
人間として、
コモディティ化していき、
他の人との差別化=自分自身のアイデンティティ欠如な状態に、
陥ってしまいガチだと言う事なのです・・・・・・・。
だからこその、
自分軸としての行動習慣とはなりますし、
その行動自体には、
意味とか意義どうこうよりも、
自分が好きな事とか、自分自身の充実性ってものが、
求められるもんでもありますが・・・・・、
そこをオリジナルとする場合においては、
注意が必要となるものではあります。
そこをオリジナルとすると、
秩序性を保てない状態となってしまいガチだろうし、
そこに必要なのは、
ちゃんと、
先人でもあり、人のクリエイティブ性に、
敬意を払うというような要素でもあり、
それに相応しい、作品ってものもまた、
必須にはなってくるものなのでしょう・・・・・・!!
まぁ、
それが無い場合においては、
メンドくささや、迷いが出た時には、
責任者の意見でもあり、責任者の指示に従う以外に、
秩序性を護る道筋自体が、
用意されていない・・・・・・・って事もまた、
「当たり前。」なのでしょうが。
それらを踏まえて、
実は、
過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・。
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