個は全体を兼ねるが、全体は個を兼ねない。 | キンジの自分軸哲学

キンジの自分軸哲学

~自分軸を掘り下げて、リアリティに、付加価値にデザインする為のブログ~

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どもども。

 

キンジです。

 

 

 

個人の世界観において、

 

主観的世界観は、

勿論、

 

その人にとっては、

あらゆる物事に、応用・流用されるのが、

当たり前なものとはなっているものでしょう・・・・・・・。

 

 

それが、

たとえ、

 

個人的な思い込みでもあり、

個人的な問題意識であるにも関わらずに。

 

 

 

また、

 

全体的っていうのは、

結局は、

 

客観的な意見でもあり、

俯瞰的な視点の事でもあり、

 

要は、

 

世界がありきでの、自分でもあり、

 

世界がありきでの、わたくしの事を、

指し表しているものではありますね・・・・・・??

 

 

 

勿論、

だからこそ、

 

世界が存在していてこそ、

自分自身を認識する事が、可能にはなるものではありますが、

 

だからとは言っても、

そこには、

 

自分自身の、自我意識でもあり、

キャラクター性でもあり、

自分らしさってものは、

必要なくなってくるとも、言えてしまえるのでは無いでしょうか・・・・・・??

 

 

 

 

要するに、

そこに、

 

オリジナリティでもあるし、

自分自身の、充実性でもあり、

やりがいともなるような・・・・・・・、

 

自分自身の世界観でもあり、

ゲーム性のようなものを、

活用して行く為には、

 

決して、

 

全体性でもある、

俯瞰的な物事の見方のみでは、

 

即ち、

 

自分である必要性すら、

そこには、無くなってしまうものであるとも、

言えないでしょうか・・・・・・??

 

 

 

要するに、

たとえ、

 

何かを独占する為であったとしても、

 

純粋に、やりがいとか、

充実度を求めるとしても、

 

そこに必要となるのは、

 

確固たる、自分らしさってものが、

必要不可欠とはなるだろうし、

 

それが無い場合においては、

 

それを行うのは、

 

同じような、全体性から観た視点からの、

同じような誰かで良いとは、

なって行くものなのでしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

 

まぁ、

究極的に言えば、

 

全ての物事は、

 

上記のような性質を、

帯びているものではある事でしょうし、

 

決して、

同じ事だけを、

 

たとえ、

独占していたとしても、

それだけを行って、生活し続ける訳でも無い事でしょう

 

 

 

要するに、

 

より確固たる、

自分らしさってものを、

追求する為には、

 

そもそもとして、

 

応用・流用性の中にこそ、

 

オリジナリティとも言える、

自分らしさってものを、つくり出して、

追求して行く必要性があるって事にも、

気が付く事が可能にはなる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

だからこそ、

 

個から見た、

その応用・流用性を持ってした、

自分らしさってものが、

 

結果的には、

 

全体性にも、

応用・流用可能であるとも言えるし、

 

たとえ、

 

何処かの部分の最適化においては、

間違いだと解ったとしても、

 

その個人においては、

その全体性は、

 

暫定的正解となりうるものだろうし、

 

たとえ、

 

決めつけであったとしても、

 

それを使いながら、

改善を繰り返して、

 

より、本質に近づいて行く術とは、

なって行くものなのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

けれども、

その為には、

 

人に無闇に、

自分自身の、暫定的正解を、

押し付けないって事も、

勿論、

 

重要な要素とはなる事でしょうが・・・・・・・、

 

出来うる限り、

 

その部分・部分において、

 

より、本質に近づいた理解を、

追求して行く事もまた、

望ましいものとはなって行くものなのでしょう。

 

 

 

 

部分・部分においての、

 

より、本質に近づいた理解とは言いましたが・・・・・・・・、

結局は、

 

個人から出来うる範囲でもあり、

責任を明確に持てる範囲から、

 

何か、物事を、

 

軸として、追求して行く事が、

肝要とはなるって事なのです。

 

 

 

そもそもとして、

 

軸が存在しない事には、

応用・流用も存在しませんでしょうから、

 

そこには、

 

全体像を把握出来うるような、

暫定的正解を、導く為の、

測りってものを、持つ事が不可能ではある事でしょう・・・・・・・。

 

 

 

 

 

即ち、

 

自分を知る為に、

そもそもとして、

 

自分から初めてはいけないって事でもあり・・・・・・、

 

それを指して、

 

「自分探し。」とはいうものではある事でしょう。

 

 

 

 

それを回避する為に、

まず、

 

軸として、

 

行動習慣から初め、

 

そこから見える、

 

自分の身体的特徴を踏まえた上での、

キャラクター性を持ってして、

その、応用性・流用性において、

「自分。」ってものを、

可視化する事が、可能にはなるものではあるのです。

 

 

 

また、

結局は、

 

全体性から見た個ってものは、

 

誰かにとって都合の良い人、

即ち、

 

他人軸となるものではあるのでしょう。

 

 

 

それは結局は、

 

同じ条件で絞って行く、

いや、

 

同じ条件を、積み重ねていけば、

誰でも良いものと、

 

これまた、

 

究極的に言えば、言えるものでしょうから、

尚更、

 

その条件を、積み重ねるにしても、

 

確固たる自分がある方が、

何かと、

 

替えが効かない、行動自体を、

積み重ねて行く事が、可能になるものではある事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

その為には、

結局は、

 

人と同じ軸を、追求するにしても、

 

人とはまた違った、

方法論を、展開して行った方が、

何かと、

 

ユニークな存在には、なっていけるものではあるのですが・・・・・・、

それは、

 

結構、迷惑にもなりガチではあるので、

 

一人から始める方が、

何かと、

 

独自の展開を、していけるもんではある・・・・・って事なのです。

 

 

 

 

まぁ、

だからとは言っても、

 

全てを一人で行う必要性なんて、

無いでしょうから、

 

一人で行う軸と、

人と共同で行う行動を、

組み合わせる必要性も、出てくるのでしょうね・・・・・(^^)

 

 

 

そうやって、

結果的に、

 

軸の応用・流用性を追求して、

 

勿論、

無闇に、

 

その応用・流用性の、数自体を増やす必要性なんて、

これまた、

何処にも無い事でしょうし、

 

その数を増やす努力をするであれば、

 

応用・流用の、質を高めて行く努力をする必要性が、

出てくるもんではある事でしょう・・・・・・・。

 

 

 

 

即ち、

 

「応用・流用がキチンと出来る。」って事実が必要でもあり、

 

その質が高まれば、

自ずと、

 

その他にも、

応用・流用出来うる事柄が、見えてくるものでもあり、

 

後は、

便宜に応じて、自分自身の、

スケジュールと相談して、

 

ゲーム性の難易度調節をし、

 

多少の無理はいい負荷とはなる事でしょうが・・・・・・・、

 

無闇に負荷を高めないで、

 

その、

 

応用・流用の幅を、広げていけば良いもの・・・・・・とは、

なって行くものなのでしょう・・・・・・・!!

 

 

・・・・・・・・と言うのも、

 

そこで無闇に、

数の追求に走ると、

 

その応用・流用によって、

結果的に、

 

全ての難易度が、大幅に高まってしまうという風な・・・・・・・、

 

負のレバレッジが、掛かってしまう事にも、

なり兼ねません・・・・・・・・(^^;)

 

 

 

それを回避する為、

もしくは、

 

一時的に、

そうなってしまった場合においての、

対処療法としても、

 

一つの軸は、

一つの軸として、

 

充実度と、やりがいと、

自分自身の体力(笑)と相談しながら、

丁寧に、1から再構築して行く必要性が、

出てくるものではありますね・・・・・・・(^^)

 

 

 

夢中になれるって事は、

勿論、素晴らしい事ではありますが、

 

その夢中さは案外、

 

自分自身の、肉体的負荷を、

無視してしまっている場合も、

多々、ありうるもんではあります。

 

 

 

勿論、

 

それで頑張れるって事ではありますが・・・・・・・、

 

応用・流用に長けてくれば長けてくる程、

 

その頑張り自体が、

 

自分自身の、ゲーム性でもあり、

世界観を、壊してしまうものでもある・・・・・・って事なのです。

 

 

 

だからこそ、

 

シンプルさってものも、

大切になるのでしょうし・・・・・・・、

 

段階をおいて、

 

自分自身で出来うる範囲で、

複雑化して行く方法論を、

推奨する次第でありますし、

 

それは結局は、

 

色んな物事に、手を広げて行かないでも、

 

一つの軸を、より深く、

掘り下げていけば、

段々と、

 

複雑性ってものは、出てくるものではあるのです。

 

 

 

 

要するに、

 

シンプルに見えるのは、

 

一つの軸として、

見ているからでもあり、

 

その掘り下げられた、

細分化された概念は、

 

結局は、

 

ミクロの領域なのかも知れませんが・・・・・・・・、

 

その応用・流用性を考慮しますと、

 

ミクロでありながら、

俯瞰的な構造の把握をも、

踏まえてきてしまうものである・・・・・・・って事なのです・・・・・・!!

 

 

 

 

そのような、

暫定的、

 

自分自身にとっての答えを、

知る事が可能であれば・・・・・・、

 

他人軸の答えを、

より客観的に見れるようになれるだろうし、

 

他人軸の答えでさえも、

 

アレンジする必要性も出てくるだろうし、

アレンジ出来てしまえる・・・・・・って事でもあるのです。

 

 

 

それは少なくとも、

 

自分自身の、行動規範とは、

なって行くものでしょうから・・・・・・・(^^)

 

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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