理想から始めよう。 | キンジの自分軸哲学

キンジの自分軸哲学

~自分軸を掘り下げて、リアリティに、付加価値にデザインする為のブログ~

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どもども。

 

キンジです。

 

 

理想があるからこそ、

普通の状態もあり、

足下ってものも、出来上がって行くものではある事でしょう。

 

 

 

 

それらを踏まえた上で、

 

「まず、理想を描く。」って事が、

何事にも、大切な要素とはなり得るのでしょうが・・・・・・・・、

 

その、

 

「まず、理想を描く。」って事の為にこそ、

 

足下でもあり、普通の状態が、

大事になるとも、言えるものではありますね・・・・・・・・??

 

 

 

即ち、

 

理想ってものは、

結局は、

 

妄想でもあり、誰かを羨ましいと思って、

それを真似して掲げる側面もあるものだからなのです。

 

 

 

 

 

要するに、

 

「まず、理想を描く。」とか、

「まず、理想を掲げる。」とか言ったところで、

 

その妄想に過ぎない理想のせいで、

 

現実的に、打ちのめされたり、

現実的に、無茶ばかりを繰り返して、

生きづらくなって行く側面も、

無きにしも非ず・・・・・・・って事なのです。

 

 

 

 

だからが故に、

 

「行動を持ってして、理想を描く。」って事が、

大切な要素にはなります。

 

 

 

少なくとも、

 

その、行動を持ってして、描いて行った理想は、

 

自分自身の在り方でもあり、

自分自身の肉体自体を、

 

完全に無視する事自体が、

不可能なものとはなり得るでしょう・・・・・・・。

 

 

 

 

それらを、

完全に無視する事が不可能=逆に言えば、

 

「在りたい自分。」ってものが、

見えてくる事によって・・・・・・、

 

今現在の自分自身から、

地続きでもある、

 

その延長線上に存在する、理想ってものを、

描く事が可能にはなってくるのです。

 

 

 

 

またもしかしたら、

理想そのものよりも、

そのような、

 

「在りたい自分。」ってものの方が、

 

場合によっちゃあ、

 

大切な要素とは、なり得るものではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

即ち、

 

足下ばかり見ていても、

 

なんだか、セコイ奴になっちゃうだろうし・・・・・・・、

 

普通ばかり見ていても、

 

なんだか、ベタで、面白みに欠ける奴になっちゃうだろうし・・・・・・・・、

 

理想ばかりを追い求めても、

 

側迷惑な奴とか、口先だけの奴になっちゃう・・・・・・って事なのです。

 

 

 

 

まぁある意味、

 

どう足掻いてみたところで、

 

何かしらの、

マイナス要素のリスクってものは、

背負わざるを得なくなるもんだ・・・・・・・という事なのですよ・・・・・・・(苦笑)。

 

 

 

 

だからが故に、

少なくとも、

その、

 

理想・普通・足下っていう風な、

高・中・小(もしくは底)を、

構造として把握する事によって、

 

リスク自体を回避したり、解決するマネジメントをしながら、

理想を追い求める・・・・・・・って言うよりかは、

 

理想を描き続けるって事が、

肝要にはなってくるものなのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

・・・・・・・という風に、

 

理想・普通・足下っていう中の、

 

理想を、重要視しているのにも、

訳がございまして、

 

「まず、理想を描く。」という風な、

抽象度の高い領域から始める事によって、

 

その抽象度の階段を、降りて行くという風な、

段取りでもあり、ゲーム性が出来上がるものではあります。

 

 

 

抽象度ってものは、

 

高い領域から、降りてくるのは、

難易度的に、易しい部類にはなってきますが・・・・・・、

 

逆に、

 

低い領域から、登って行くのには、

骨が折れる側面もありまして・・・・・・、

 

足下から始めると、

中々、

 

高い領域には、上がる事自体が、

困難な状態に、陥ってしまうものではあるのです・・・・・・。

 

 

 

 

即ち、

 

足下からは、普通の領域には行けるのでしょうが・・・・・・・、

 

その普通ってものが、

多岐にわたるものでもあり、

 

非常に多様化しているものであるが故に、

 

そこからの深堀して行く手が緩む事によって、

「高み。」には、中々、辿り着けない側面がある・・・・・・って事なのですね。

 

 

 

 

だからが故に、

 

「まず、理想を描く。」事によって、

少なくとも、

 

自分自身の在り方でもあり、

自分自身の肉体を踏まえた上での、

「高み。」を描く必要性があるって事なのです。

 

 

 

 

その「高み。」ってものは、

勿論、

 

ただの妄想とか、憧れの人の、物真似じゃあ無く、

 

行動を通して、描いて行く事が、

大事な事なのです。

 

 

 

またそれによって、

 

「在りたい自分。」でもあり、

 

「改善していきたい自分。」ってものが、

 

無理なく創造される事によって、

 

その足下でもあり、普通の状態を、

無理なく、楽しめるようになる、

 

即ち、

 

安心して、

 

無我夢中になる事が、可能になるって事でもあるのです。

 

 

 

 

先行きに、不安がある時って言うのは、

 

そこにフォーカスを奪われてしまい、

何事も、

 

中途半端にしか、集中出来ないものではある事でしょう・・・・・・。

 

 

 

 

だからこそ、

 

「まず、理想を描く。」って事が、

 

その、集中力の、

マネジメントの為にも大事になり、

 

勿論、

 

その理想ってものは、

 

現実でもあり、行動から、

描いて行く必要性があるって事なのです。

 

 

 

 

そのような、

ある意味、

 

ストーリー性かも知れませんし、

ゲーム性かも知れない要素でもある、

 

理想ってものは、

勿論、

 

過去に描いた理想であったとしても、

その、

 

理想が叶う・叶わなかったに関わらずに、

 

今現在からまた、

 

現実でもあり、行動を通して描いて行くであろう・・・・・・・、

理想と、

地続きで、繋がっているものとは、

なって行くものでしょう・・・・・・!!

 

 

 

即ち、

 

過去からの行動とか、

過去のパラダイムってもの自体は、

 

普通とか、足下から見れば、

それには「終わり。」が必然でもあり、

 

むしろ、

 

「終わり。」なんて、大層に定義付けなくても、

 

なんとは無しに、

無数に、

 

「終わり。」続けているものではある事でしょう・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

・・・・・・・が、

 

理想でもあり、

ストーリー性でもあり、

 

ゲーム性のよう要素を見てみれば、

 

そこに、

 

「終わり。」ってものは、存在しなくて、

むしろ、

 

地続きで、

 

理想ってものが、展開していっているもんではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

勿論、

その理想ってものは、

 

個人的な領域での理想かも知れませんが、

 

自分自身が生きている限りは、

必ず、

 

展開して行き、継続して行くものとはなっている事でしょう

 

 

 

 

・・・・・・し、

 

その理想の関連で、

シンパシーを感じる人は、

 

なんだか、ニヤリとするだろうし、

 

個人的に、心を開きやすい人とは、

なって行くものなのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

まぁ、

だからとは言っても、

 

そのような人だけと濃く付き合って行っても、

 

「生きづらさ。」ってものは、

 

解消されないのでしょうが・・・・・・・(笑)。

 

 

 

 

だからこそ、

 

理想ってものは、

勿論、

 

描き、掲げて、

日々、更新して行った上で、

 

その、足下でもあり、

普通の領域ってものもまた、

 

「終わり。」が当たり前のように、

無数に過ぎ去ったとしても、

 

それもまた、

 

「無くてはならないもの。」とか、

「必要悪。」と、

なって行くものなのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

ま、

 

「必要悪。」とは言いましたが、

 

僕達は、

人であり、神でも悪魔でもありませんから・・・・・・(笑)、

 

「必要悪。」って概念自体も、

 

そこまで、

 

毛嫌いする必要性なんて無いものなのでしょうし・・・・・・・、

 

その方が、確実に、

 

この資本主義社会でもあり、

人間社会においては、

 

「社会性がある。」という風な、

一種の、評価の基準にもなっているものなのでしょう

 

 

 

 

まぁだからこそ、

逆に言えば、

 

理想が無い事には、

 

その「必要悪。」が、

 

過剰に暴走してしまいガチになり、

 

神性では無く、

 

悪魔性が、高まって行く事と、

なってしまうのでしょうが

 

 

 

 

 

また少なくと、

そのような、

 

上記の判断が、付きづらくなってしまうような、

偏りが多く、風通しが悪い環境にいる場合において、

 

そこで大切になるのは、

結局は、

 

「普通。」って概念となるだろうし、

「普通。」を踏まえる事によって、

 

自分自身の神性でもある、

 

理想を描くって事が、

肝要とはなるのでしょうね。

 

 

 

 

ま、何はともあれ、

 

個人的な、理想でもあり、

 

個人的な、

「在りたい自分。」、

 

「改善したい自分。」ってものを、

 

描いて行く事が可能であれば、

 

その「普通。」ってもの自体も、

 

自分自身で踏まえる事が、可能になるってもんなのです。

 

 

 

 

その為には、

結局は、

 

自分自身の在り方でもあり、

肉体がど〜こ〜関係無く、

 

「理想を、行動を持ってして、描き続ける。」

って行為が、大切にはなる事なのでしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

 

またそもそもとして、

 

足下とか、普通って状態は、

忙しいものでもあり、

 

あまり、

 

居場所としては、安定しない側面があるものでもあり、

 

ある意味、

 

流れを創造する事に、長けているものではある事でしょう。

 

 

 

 

だからこそ、

 

「理想を描く。」その行動にて、

 

自分自身の居場所ってものを創造し、

 

その流れの中で、

 

マネタイズしながらも、

定住して行く必要性があるのかと

 

 

 

 

最後にまとめてみると、

 

平和ってものは、

個人的な世界観でもあり、

 

基本的に、

 

代理戦争で言えば、

 

人間社会は、戦争が絶えない社会ではある事でしょう。

 

 

 

 

だからが故に、

 

個人的な世界観は、

 

「より良く生きる。」為には、

重要な要素となり、

 

それを踏まえた上での、

 

社会性でもあり、公共性でもあり、

ビジネスライクな関係性ってものもまた、

 

「必要悪。」じゃあ無くて(笑)、

 

普通に、「無くてはならないもの。」となっている事なのでしょう

 

 

 

 

それは所謂、

 

調和な関係性とは言えるのでしょうが・・・・・・・・、

 

その調和の為には、

 

個人的な世界観においては、

代理的な戦いを避ける事が出来ないだろうし、

 

その戦いを、終わらす事自体も、

ある種の、

 

「妥協。」でもあり、

 

逃げとみなされるもんでもあるのです・・・・・・・。

 

 

 

 

まぁ、

だからこその、

 

ビジネスライクな関係性の強みとも言えるだろうし、

 

真の意味では、

 

結局、

 

たとえ、逃げたとしても、

妥協したとしても、

 

過去から地続きで続いて行くのが、

未来視点でもあり、

理想ってものとはなるのでしょうが・・・・・・・・。

 

 

 

それらを踏まえて、

 

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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