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どもども。
キンジです。
生きてるだけで丸儲けっていうのは、
厳密に言うと・・・・・・、
ただ、生きているだけ、
もしくは、
心臓が動いているだけで、
丸儲け=お金が儲かって仕方が無い状態の事を、
指し表すものではある事でしょう・・・・・・・・。
まぁ、
そこに、個人の意志とか、
自我の習性等、
生きる為、もしくは、
生命活動を継続して行く為の行為、
全てが含まれてくるのであれば、
それは、
健康体な人々にとっては、
その全てが、
「生きているだけで丸儲け。」であるとも、
言えてしまうもんではある事でしょう。
・・・・・・が、
確かに、
健康体な人々その全てが、
そこに含まれてくるのであったとしても、
それを、
実際に、宣言するって事には、
ある一定の、
敷居も存在する事にはなりますね・・・・・・・・??
即ち、
それを宣言する為には、
ある一定以上の、
人生経験が必要となるものでもあり・・・・・・・、
仕事は勿論でもありますし、
それ以外の、
衣・住・食を踏まえた上で、
生命活動が、滞り無く促進されて行くような、
環境でもあり、習慣が成り立っていてこそ、
その、
「生きているだけで丸儲け。」な状態が、
当たり前な状態になり、
尚且つ、
それを人に宣言する事が可能にはなってくるものではありますし、
むしろ、
宣言したからには、
人に対して表現する義務感が生じて行くものでもあり、
その義務感に、応える事が出来て初めて、
人からもまた、
あの人は、
「生きているだけで丸儲け。」な人なんだと、
認められて行くものとはなる事でしょう・・・・・・!!
即ち、
客観的視点、
もしくは、
人から見た視点で、
如何に、
「生きてるだけで丸儲けか??」って事を、
体現し、表現し続けて行かない事には、
その、
「生きているだけで丸儲け。」状態が、
ただの口だけとか、
一時の気の迷いだと、
言われてしまっても、
仕方が無い側面がある、
概念でもあり、言葉にはなる事でしょう・・・・・・・・。
し、
それは結局は、
客観的視点、
もしくは、
人から見た視点でとは言いましたが、
自分自身の主観的視点でもあり、
自分自身から見た、
客観的視点の上で、
「生きているだけで丸儲け状態。」ってものを、
体現でもあり、表現し続ける必要性があるものなのです・・・・・・・!!
それは即ち、
勿論、
仲の良い人達や、
長い付き合いの人達から、
あの人は、
「生きているだけで丸儲けだ。」と、
言われる事は良い事なのでしょうが、
それも含めた上で、
自分自身のスタンス的に、
問われ続けるものとなると同時に、
時には、
喩え、欺瞞的に感じてしまったとしても、
自分自身の納得を勝ち取る事によって、
その、
「生きてるだけで丸儲け状態。」を、
維持し続けなければならないものとはなる事でしょう・・・・・・・!!
それはある種の、
自己、他者に対する、
愛情がなければ、出来ないものでもあり、
人からの評価を得る為に、
その評価を、
クレクレ星人のように、
強要したりするんじゃあ無くて、
自然と、受けないといけないものでもあり・・・・・・、
結局は、
自分自身の主観的、もしくは、
自分自身から見た客観的視点が、
キーポイントとなるものでもあり、
それじゃあ無いと、
全て、
人に言わせている状態になっちゃうとも言えるだろうし、
もしくは、
人に操作されているような・・・・・・・、
所謂、
他人軸視点に、
陥ってしまう事になってしまう事でしょう・・・・・・・・。
他人軸視点ってものは、
勿論、
自分自身にとって、
畑違いの分野においては、
その他人軸視点が無い事には、
物事の、
概要を掴む事が、難しくなってしまうものでもあり、
何かのアドバイスを得る時や、
新しい分野を学ぶ際には、
必ず、
それが必要、不必要に関わらずに、
それは存在しているものでもありますし、
また、
自分自身の世界観に、存在してくるものではあります。
・・・・・・・が、
それを実際に、
行って行く内に、
最初は、
一握りの範囲程しか存在していなかったであろう、
自分軸的視点ってものが、
展開していき、
どんどん、
自分軸的視点の世界観ってものを、
拡張して、より、深みが存在するであろう・・・・・・、
自分自身の経験でもあり、スキルを通した、
血の通った世界観によって、
更新されて行くものとはなりますが、
まぁ、
だからとは言っても、
人からアドバイスを受ける、
もしくは、
人からアドバイスを受け入れる体制を作る為には、
ある意味、
畑違いの専門性ってものが、
必要不可欠な要素にはなるだろうし、
その、
畑違いの専門性が存在するからこその、
適切な距離感での、
人の意見ってものを、
受け取る事が、可能にはなります。
結局は、
全ての事柄の、
深い領域の理解でもあり、知見を広げて行く為に必要となるのは、
実際の行動でもあり、
実際の、スキルでもあり、技術的なものとなるだろうし・・・・・・、
それは勿論、
言葉だけ、口だけで物事を済ます、
即ち、
自分自身が、逃げる為だけの、
物事の推し進め方だけじゃあ、
理解に繋がる事が無いものでもあり、
尚且つ、
そのスタンスだと、
枝葉末端の、
ど〜〜でも良い事や、
ど〜〜とでもなる事に、
フォーカスが集まりガチになっちゃい、
どちらかと言えば・・・・・・、
本質に近づくんじゃあ無くて、
ただただ、
迷子になる為の、物事の推し進め方に、
なりガチではある事でしょう・・・・・・・・。
これが、
本質的な物事の推し進め方の場合においては、
明らかな答えでもあり、
ゴールへの道筋は、
明確に見える上での、
そのゴールを、
より、素晴らしいゴールへとビルドアップする為にこそ、
試行錯誤という、枝葉末端を、
模索して行く事にはなる事でしょう・・・・・・・・!!
し、
その枝葉末端ってものもまた、
それだけで、
成長とか楽しみを感じるような部品ってものを、
当てはめて行くものとなり、
枝葉末端とは言っても、
それだけで、
ある種の、
価値観ってものが、存在するものには、
なってくるのでしょうね。
それって言うのは・・・・・・、
結局は、
未来を見通せる人なんて、
何処にも存在しないって事ではありますが・・・・・・、
まぁ、
とは言っても、
未来を、完全に見通せる人は、
存在しないでしょうが、
未来を、一部分だけ、見通せる人って言うのは、
多数存在するだろうし、
ほぼほぼ、
誰でも出来得る事なのかも知れませんね。
その未来の見通しの、
部分、部分の、
部品を集める事によって、
未来の時代感ってものが、出来上がるとは言えますが・・・・・・・、
個人的見解においては、
未来の時代感ってものさえも、
別に、
解る必要性も無いものかも知れませんし、
どちらかと言えば、
自分自身の未来の世界観でもあり、
自分自身の大事にして行きたい世界観でもあり、
それを保持する仲間が、いれば良いものでもあり・・・・・・、
その仲間たる所以ってものが、
未来の部品となりうる、
自分とは、畑違いの専門性を持ってして、
保持しているであろう、
体現しているであろう、
表現し続けているであろう・・・・・・・、
それだけで、
成長や、楽しさが存在するような、
部品を持っている人達にはなってくるのでしょう・・・・・・!!
それは、
勿論、
手軽、もしくは、
足軽な、スキルを通す事によって、
その、
未来の部品の共有が出来得るものではありますが、
その、
未来の部品ってものの、
成長や、楽しさってものには、
勿論、
個人差ってものが存在するが故に、
如実に成長したり、楽しみつくす人が存在する一方で、
思った程、成長を感じなかったり、
期待した程、楽しくなかったりする人もまた、
存在するのが当たり前なものなのかも知れません・・・・・・。
だからこそ、
その成長を、
環境的に、補完する必要性もあり、
バーチャルリアリティ的に、
成長要素ってものを、
誰しもが実感出来得るようにデザインし、
嘘でも良いから、
環境的に、マネジメントする必要性が出てくるものでもあり、
思った程、成長を感じない人の、
少なくとも、
楽しさや、充実感ってものを、
補う必要性もあるのです・・・・・・・・・!!
それによって、
行動、スキルの行使ってものを、
促進して行くものでもあり、
これまた、
喩え、
如実に成長を感じる人であったとしても、
いずれは陥る心配性を、
ぬぐい切れないであろう・・・・・・・、
マンネリ感とか、成長速度の遅延を、
乗り切る術とし、
それによってまた、
その成長段階において、
成長の細分化を計り、
健常状態で、生きている限りは、
そのサイクルを繰り返す事によって、
常に、
右肩上がりの成長を、期待出来るように、
人生・・・・・・っていうよりかは、
生活をデザインして行くものとはなる事でしょう・・・・・・・・!!
その為には、
サイクルと言うくらいですから、
一つの事柄にだけに、
集中し尽くす必要性はありませんし、
むしろ、
人の未来の部品を頼って、
他の分野にも、
成長要素ってものを、模索する必要性もあり、
そのようにして、
サイクルと呼べるくらいには、
成長要素が存在しうる行動やスキルってものを、
増やした上で、
循環させ続ける必要性があるものとなる事でしょう。
し、
もし、
その循環によって、
ある一定の専門性が、
その順番がくる度に、
「また、同じ事の繰り返しか・・・・・・。」とは感じても、
それを繰り返す事自体に、
喩え、
バーチャルリアリティ的であったとしても、
環境的に、補完された成長要素が存在する事によって、
楽しさや、充実感ってものは、
再現されて行くものとなり・・・・・・、
逆に、
「また、同じ事の繰り返しか・・・・・・。」って想いが、
強ければ強い程、
ある種の、
奇跡的な成長もまた、
見込める可能性が、存在するものとはなる事でしょう・・・・・・・!!
それは勿論、
前回のサイクルを経た上での、
マンネリ感でもあり、成長速度の遅延があったが故ではありますが、
そのような・・・・・・、
ある種の、
現状の限界突破を果たす為には、
勘違いとか、欺瞞とかを踏まえた上での、
「奇跡を起こして行く。」しか、
道は存在しないものとなるだろうし・・・・・・、
それこそ、
自分自身の主観的、もしくは、
自分自身の客観的に言っても、
奇跡としか、言いようが無いような、
成長を経ていくものとはなる事でしょうね。
それはある意味、
「なんか知らんけど、上手く行った。」とか、
「なんか知らんけど、上手くなった。」とか、
言えるものではありますが・・・・・・、
それはそれで、
ビフォアーの、限界でもあり、
成長の頭打ちが存在していてこそ、
「上手く行った。」とか、
「上手くなった。」って事が、
理解可能なものでもあり・・・・・・、
初めて行う際には、
上手く行ったかどうかさえも、自分では解らないって事が、
多々あるものでもあり・・・・・・・、
それこそ、
他人軸頼りの状態だと、
それこそ、
ブラック企業的な奴隷のように、
上手く操作されガチにはなってしまう事でしょうよ・・・・・・。
まぁ、
結局は、
自分自身で、
そのサイクルをマネジメントする視点が足らないとも言えますし、
それはそれで、
良い成長の材料ともなるのでしょうし、
自分自身で、
主観的にも客観的にも、
「上手く行くとはどういう事か??」って事を、
掘り下げておく必要性もあるのでしょうね。
まぁ、
それはある種の、
哲学的な事でもあり、美学的な事でもあり、
ビジネス的な事でありつつも・・・・・・、
もっと単純明快に言えば、
自分自身の趣向を知るって事なのでしょう・・・・・・!!
ビジネス的な事っていうのは、
どちらかと言えば、
俯瞰的な視点によって、
上手く行く、上手く行かないって事が、
判断されガチではありますが・・・・・・・、
俯瞰的であるが故に、
環境、もしくは、
新たな情報が入ってくる度に、
どんどん更新されていってしまうもんでもあり、
ある種の、
誰一人、到達出来ない領域に、
その、
上手く行くって事が、
適応されガチなものにはなってしまうものではありますね・・・・・・。
だからが故に、
哲学とか、美学ってものや、
もっと、地に足の着いた、
自分自身の趣向ってものが、
大切になるとも言えますし、
その趣向から外れるなら尚更、
バーチャルリアリティ的な、
環境的に補完された、成長要素ってものが、
重要にはなる事でしょうし・・・・・・、
そのバーチャルリアリティ的な、
環境的に補完された、成長要素ってものこそ、
ゲームで言えば、
RPG要素ってものに、
当てはまってくるものではありますし、
そこに手軽、足軽な行動でもあり、スキルの行使が存在していれば、
それによって、
喩え、
擬似的、欺瞞的であったとしても、
そこに、成長を感じる事が可能になり、
その行為自体を楽しむ事が、可能になり、
充実感を得る事もまた、
可能にはなる事でしょう・・・・・・・・!!
まぁ、
それもまた、
自分自身の、実際に、
手足を使った上での、スキルの行使ってものが、
他の物事でもあり、他のスキルの行使に、
関連しやすいからでもあり、
それによって、
応用性・流用性を実感しやすくなり、
その、
喩え、
擬似的、欺瞞的な成長要素自体に、
「実際の使い所を発見出来得るお陰様。」かも知れないですが。
以上が、
僕自身にとっての、
「生きてるだけで丸儲け。」って事ですね。
まぁ、
実際は、
スキルを行使し続けて、
そのサイクルを循環させ続けていく事によって、
「自然と、丸儲けにも繋がる事も、無い事は無い。」って事ですし・・・・・(苦笑)、
勿論、
ただ単に、
心臓が動いているからとか、
生命反応によって、お金と富が、
どんどん吸い寄せられるって事じゃあありませんが・・・・・・・・(笑)。
ま、少なくとも、
スキルの行使には、
愛と調和ってものが、必須なのかも知れないですが・・・・・・・・、
主観的に言えば、
スキルの行使は、
すべからく、戦いの意識の元に、
行っているものではありますが、
「敵を殺す。」じゃあ無くて、
「敵を倒す。」、もしくは、
「敵を滅する。」意識の元に、行っている次第ではありますね。
全てが戦いですから、
もう、
人と人とかじゃあ無くて、
天使と悪魔の戦いかも知れないですし、
なんか、ファンタジー的な戦いを、
日々、繰り広げている感覚ではありますね・・・・・・・(笑)。
その戦いは、
勿論、
暴力的な戦いじゃあ無いし、
スキルの戦いだからこそ、
異種格闘技戦の如く、
あらゆる相手が、存在する訳ではありますが・・・・・・・、
戦い自体の概念に、
悲観的になるんじゃあ無くて、
その、
スキルの戦いが存在してこその、
人との良好な関係性だと思うし、
その、
スキルの戦いがありきでこその、
愛と調和でもあるのでしょう・・・・・・・!!
それらを踏まえて、
実は、
過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・・。
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