グローバリズムは新種の「左翼」(2) | 保守と日傘と夏みかん

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このように共産主義とグローバリズムの間には、共通する点がいくつも見られる。
それにも関わらず、現代日本のイデオロギー区分では、両者は水と油の関係にあるとされている。共産主義が「左」であるのに対し、グローバリズムは「右」ないしは保守の立場だと考えられているのだ。
これは冷戦時代のイデオロギー対立が刷新されないまま、現代に引き継がれてしまったためだが、伝統文化を守るはずの保守がグローバリズムと相容れないことなど、子供でも分かる理屈である。
この区分は書き換えなければならない。進歩史観に基づいて社会変革を急進的に進めるのを左翼の特徴とするなら、グローバリズムは左翼イデオロギーの現代版と見なすべきなのである。

これは決して間違った用語法ではない。よく指摘されるように、左翼の始まりはフランス革命に遡る。
国民議会で、改革急進派が議場の左側に座ったのが左翼という名称のはじまりだ。このとき、左翼が主張したのは「旧体制」の打破である。
自由や平等、人民主権などの原理に基づいて新しい秩序を打ち立てるには、歴史的に形成されてきた古い秩序を破壊しなければならない。革命が進展するにつれて、こうした左翼の主張は過激化し、最終的にはジャコバン独裁の下で伝統文化の完全な脱色―キリスト教暦の廃止や、「理性の祭典」など―へと行き着くことになる。

 

したがって左翼を特徴づけるのは、社会主義や共産主義といった特定のイデオロギーではない。
そもそもフランス革命の理念は「自由・平等・友愛」であり、社会主義はその一部(平等)を引き継いだものでしかない。自由主義であれ友愛主義(平和主義)であれ、それが「旧体制」の切断の上に構想されるなら、左翼に分類されるべきだ。現代のグローバリズムは、その新種と見なすことができるだろう。
冷戦が終わり、共産主義という旧種が力を失った後で、今度はグローバリズムという新種が現れたのである。

『表現者 平成27年11月号』  柴山桂太

 


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