英霊が戦った「敵」(1) | 保守と日傘と夏みかん

保守と日傘と夏みかん

政治・経済・保守・反民主主義

私は昭和43年生まれ、高度成長期のど真ん中に、奈良県の生駒市で生まれ育った。
それは田園が続くのどかな町だった。万葉の句に「ちはやぶる神代も聞かず竜田川」と歌われた近くを流れる川には、いつもザリガニやフナを捕まえに入って、暗くなるまで遊んだ。
江戸時代に開かれた宝山寺とその門前町が生駒山の中腹に広がり、自転車で直ぐのところに古墳時代からそこに鎮座し続けている生駒神社(往駒大社)があった。筆者はそんな寺や神社で祭りやら何やらで遊び回っていた。

筆者にしてみれば、そういう風景、風土こそが「当たり前のもの」であり、「本物」のものであり、それ以外のものはおおよそ「偽物」「まがい物」にしか過ぎないと感じ続けてきた。
だからいまでも(日本国内の)都会にいけば、目に映るものが皆、よほどのものでない限り「偽物」「まがい物」に見えてしまう。何もかも、プレハブでできた掘っ建て小屋に見えてしまうのである。

無論、筆者も子供の頃から「ジャンク」なテレビや映画をよく見たし、いろんな本やマンガもよく読んだ。でも、そこで展開されているものも、おおよそが「偽物」だった。なかには面白いものもあったが(筆者は一番古い『天才バカボン』と『ルパン三世』、『マカロニほうれん荘』と馬場さんがいた『全日本プロレス』、そして『俺たちに明日はない』や『スティング』、そして何よりも『太平記』が好きだった)、それ以外のものは何もかも、凡庸でつまらないものだった。
(中略)
幼少の頃、青年の頃の筆者にしてみれば、「大人になる」ということは「偽物」「まがい物」にまみれ、結託しつつ、心のなかで嘔吐感を催しながら、表面的には何もなかったように振る舞うことができる能力を身に付けるということだった。だから筆者は、大人になるということは娼婦、男娼になることと同じようなものだろうと感じ続けていた(なお、そんな感覚を持っていたのは筆者だけではなかったように思う。太宰治の「人間失格」があれだけの共感を得たのは、こうした感覚を持つ日本人が決して少数ではなかったことを証明しているように思う)。

ただし、大人になって気づいたのは、必ずしも娼婦、男娼にならずとも偽物の世の中で生きていくことは決して不可能ではない、ということであった。
無論、ここまでウソで塗り固められた世の中である以上、偽物の全てを無視して生きていくことなどできない。しかし、そんな偽物と結託することなく、己の誇りを彼奴らに捧げずとも、彼等のなかで生きていくことは決して不可能なことではなかったのであった。

ただしそれは、孤独な人生を意味することではあった。ウソで塗り固められた夥しい数の人間同士が織り成す偽物の交友や風潮やシステムに、ほとんど全ての人々が頭の先までどっぷりと浸かりながらヘラヘラと生きているなかで、自身だけが彼等との間に決定的な一線を引き続ける作業を全ての刹那において日々、繰り返し続けるというのは「孤独な作業」とならざるを得ない。
だから、大人になるということは、自身の誇りを捨て去った“ゾンビ”になることを意味するだけではなく、完全なる孤独のなかで逞しく行き続ける力を持つことでもあったのだ。
しかも、前者(ゾンビ)ではなく後者(孤独)の大人となる道を選び、この世の全ては「偽物」にしか過ぎぬと見定めることで純然たる絶望を手に入れた時に初めて、実に「逆説的」にも、この世には幾ばくかの「本物」がかすかに残されているという「事実」を目の当たりにすることが可能となったのであった。

いわば、絶望せぬうちに「この世には本物もあるやも知れぬ」との心持ちでこの世の中を眺めていては、正確に本物を見定めることなどできない。仮に「これは本物やもしれぬ」と感じたとしても多くの場合、それは結局、偽物にしか過ぎず、裏切られることとなる。
しかし、一旦懈怠なく絶望したなら、それでもなお光り輝くものだけが目に飛び込んで来るのであり、その結果、易々と本物と廻り合い、絶望の縁から離脱できることができるという「逆理」が存在しているのである。

そして「本物」を見いだすことができれば、先の「孤独な作業」は孤独なものではなくなっていく。心は休まり、勇気づけられ、結果、ますます偽物、まがい物との日常での不断の戦いに向けた気概が生まれることとなる。

つまり、一旦孤独を決意すれば孤独は和らげられるという逆理もまた(少なくともわが国・日本ではいまのところ)、成立しているのである。

『WiLL 2014年2月号』  藤井聡