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骨巨細胞腫(中間悪性骨腫瘍)闘病記〜その2〜

 

別の大学病院の専門科の初診日。この時が2024年2月で、大学病院の診察から2ヶ月、最初に痛みを自覚してからは約1年が経っていました。

 

激混みの待合室で憂鬱な気分を高めながら3時間ほど待ち、やっと診察室に呼ばれました。

 

「おそらく中間悪性の骨巨細胞腫という骨腫瘍ではないかと思いますが、正確な診断のために生検手術が必要です。」

 

「中間悪性なら腫瘍を取り除いて人工骨で埋めます。」

 

「悪性なら周りの組織ごと取り除き、人工関節になります。」

 

この時、腫瘍のサイズは縦5センチ、横3センチまで大きくなっていました。

手術は早い方がいいとのことで、翌週に生検をすることになり、入院と手術の予定日を決めました。

診察が終わる頃には外来の受付がとっくに終わっている時間でしたが、入院用の採血や心電図、尿検査など一通りの検査を行いました。また、この病気はまれに肺転移するようで、胸のレントゲンも撮りました。

骨巨細胞腫って聞いたことなかったのですが、それもそのはずで、年200例とかのレアな病気みたいです。

www.niigata-cc.jp

 

生検といっても手術に変わりはなく、メスを入れて骨の一部を削り、腫瘍の一部を採取します。手術は全身麻酔で、4〜5日の入院の予定になりました。

 

あっという間に入院当日。入院の受付は朝でしたが、病棟に案内されると早々に昼食を食べて、採血、CTの検査、担当医との面談で1日が終わりました。

 

手術当日の朝6時に起こされて浣腸がありました。お尻の穴にグリセリンを入れるとすぐにお腹がムズムズして出したくなるところを、便意を我慢して我慢して、これでもかと我慢して一気に放出するのです。

最低でも5分、できれば10分は我慢してくださいと言われたのですが、5分も我慢できずにトイレに駆け込みました。あれを10分も我慢できる人は果たしているのでしょうか。

その後は絶飲になり、点滴が始まりました。いつ呼ばれるかわからない不安で身震いしながらただひたすら待ちます。

看護師に呼ばれると、自分で点滴の台を押してエレベーターに乗り、手術室に入り、自分で手術台に乗ります。

手術自体は自分のためでしかないのですが、この時は死刑の執行場に自分で歩いていくような絶望感があり、本当に嫌な瞬間です。

センサー類をペタペタと付けられ、酸素マスクをされ、「麻酔入れていきますよ〜」と言われて2、3秒後には「手術終わりましたよ〜」と呼ばれました。

 

目が覚めると船酔いのような感覚で吐きそうだったので、吐き気どめの薬を入れてもらいました。しばらくは身動きを取れず、酸素マスクも外すことができません。

手術後は手術した部分がずっと保冷剤で冷やされているのと、血栓防止のためフットポンプがプシュプシュ言っています。フットポンプは血圧計のようなものが一定間隔で膨らんだり萎んだりするもので、血栓を防止するものです。

自分でトイレに行けないので尿道カテーテル(バルーン)もついています。╰⋃╯から膀胱までチューブがささっていて、勝手に排尿されるスグレモノ。

尿意を全く感じないのですが、ずっとおしっこを垂れ流している感覚はあり、とても不快です。カテーテルを入れる時は麻酔で寝ているので何も感じないのですが、これを抜く時は当然感覚がある状態です。ヒュンって感じで、特に男性は痛みも強く、これも非常に不快です。

 

結局手術をした日の夜はフットポンプと尿道カテーテルの不快感で一切眠れず、翌朝は気分が悪すぎて朝ごはんを食べられませんでした。

次第に体調が良くなり、お昼にはフットポンプとカテーテルが抜かれ、自分でトイレに行けるようになり、夕方に松葉杖の練習をしました。

 

そして、手術から3日後の朝に退院となりました。退院時に強く言われたのは、絶対に骨折しないこと。もし折れたら人工関節です。以降、右足に体重がかからないように注意し、室内含め全ての移動が松葉杖になります。

 

病院近くのロイヤルホストで豪遊してから帰路につきました。あまり食欲はありませんでしたが、サンドイッチ美味しかったな。パンケーキにするか迷いましたが、パンケーキは次回に持ち越しです。

自宅に帰って久しぶりにシャワーを浴びました。短くも辛い入院生活でしたが、半分乗り切ったと安堵しました。傷口が結構グロテスクですが、退院後は自分で傷口の消毒とパッドの交換をしないといけません。

 

あと、左腕を骨折した時は傷口が吸収性の糸で縫合されていたので抜糸がありませんでしたが、今回は黒い非吸収性の糸で縫われていました。次回の通院で検査結果を聞いて、可能なら抜糸することになります。

次に続く。