大航海時代ブログ時々政治・社会に言いたい放題

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日本人の排他性の変遷について。(完結編)

2017-03-04 | オンラインゲーム
さて、今回は前回に記事に記した私の考察の続編です。
前回の記事を読んでいない方は、今回の記事をきちんと理解して楽しむために、先に前回の記事に目を通される事をお勧めします。

前回の記事で排他性について『深刻な場合では、人種差別や宗教差別などの人権の侵害につながるようなものも残念ながら、現在に至るまで根絶することができていないのが現実です。』と記述しました。
歴史的にこのような人に存する排他性が悪意によって利用された結果、有史以来最も凄惨で大きな人的被害をもたらした事件は、ナチスドイツによる、ユダヤ民族に対する弾圧、いわゆるホロコーストであることが明白です。
さてユダヤ民族虐殺も人の持つ排他性に原因を求める事が可能で、その事象を歴史的にも負の方向で傑出した存在である悪の天才アドルフ・ヒトラーによって利用された結果なのは皆さんご存知のことと思います。
程度の差こそあれドイツの国民の多数派であるゲルマン民族に共通する、ユダヤ人に対する劣等感や嫉妬心を増幅し、国民の不満の矛先をユダヤ人に向けさせ、その不満が国家権力すなわちその最高権力者であるヒトラー自身に向けられないよう国民を扇動し、事実上国民全てを洗脳に近い状態に長期間維持しえたのは驚くべきことで、ヒトラーが一部の歴史家に悪の天才と評される一つの根拠となってます。
ヒトラーによって良識あるドイツ国民を洗脳状態することによって、あの歴史的にみても残虐極まりない民族虐殺に関してほとんど異を唱える人が存在しないという結果が導かれたのは厳然たる事実なのです。
当時のドイツ人は現在ほど開明的ではありませんでしたが、それでもきちんとした良識を備えた人達だったにも関わらずなぜユダヤ人に対して劣等感や嫉妬心を抱き、ヒトラーに操られたとはいえ民族に対する排斥行動をしたりしたのでしょうか?
それは、現在における移民問題と非常に良く似ています。
ちょっとそれに関する説明の前に当時のユダヤ人がおかれた状況についてご説明いたします。
ユダヤ民族は今でこそ、イスラエルという祖国を持っています。
余談ですがイスラエル建国には、アメリカには当時から裕福で政治に大きな影響力を持つユダヤ人グループが存在し、当時のアメリカの権力者達は彼らのご機嫌を取るためになかば強引に、イスラエルを建国し、そのために祖国を失ったアラブ人に対する配慮が全く欠けていたために、現在至るまで解消されないユダヤ教国対イスラム教国の対立構造を形成する原因となりました。
また、エルサレムはユダヤ教、イスラム教、キリスト教の共通の聖地であり、その上、イスラエルの領土の中にそれがあるために、余計に問題を複雑でデリケートなものにしており、この対立構造の解消のための試みと関係者の努力の双方をことごとく頓挫させるのに一役買っています。
ヒトラー統治下のドイツに話を戻しましょう。
すなわち当時のユダヤ人は、ドイツにおけるよそ者であって、また民族特有のまじめで誠実な人柄によって(これは彼らが強い信仰心を持っていたことによる特性と推定されます。)経済的に成功する者が非常に多かったため、多くのドイツ人が彼らに対して嫉妬心や劣等感を持つ原因になったのです。
また、祖国を持たない移民であるユダヤ人の立場は弱く、当時のドイツに限らず世界中でユダヤ人を蔑視の対象とする傾向があったようです。
皆さん既にお分かりかと思いますが、世界中どこでもユダヤ人は成功を収めたために、その国のマジョリティーは彼らに劣等感や嫉妬心を抱く事となり、そのように感じる自分自身をごまかしたい故に蔑視という正反対の方向の解決方法が選択されたのでした。
またドイツ人に取ってもユダヤ人に取っても不幸な事に当時のドイツ庶民の不満がこうじる下記のような事情があったことがそのネガティブな感情が育つ後押しする事になりました。
第一次大戦の戦勝国はドイツを二流国に転落させ、まともな軍備が持てないようにしようともくろみドイツが再びその牙を戦勝国に向けられないようにすることを願いました。
そのための手段として、過大な賠償金を課して未来永劫ドイツが再び経済的自立が図れないようにもくろみ、また軍隊を弱小化するために全体の規模を制限したのは言うに及ばず、当時の主力兵器である戦艦や戦車の保有も開発研究すらも禁止したのでした。
これらの措置は、彼らのドイツに対する根拠の無い恐怖から生じたものと言って良いでしょう。
それに加えてイギリスやフランスのロマンチシズムとご都合主義によってポーランドという新国家が無理やり建国され、ポーランドの経済的便宜を図るために、ドイツ領を東と西に分断する良港ダンツィヒとポーランド領をつなぐためのダンツィヒ回廊という極めて不自然で歴史的になんの根拠もないドイツ領の没収がなされ、またその一時に代表されるようにドイツ領土に対する戦勝国の過酷な搾取が行われたのでした。
現在に生きる皆さんなら、そのような手法は平和を維持するのに正しくも建設的でもない方法であることがおわかりになると思います。
今でこそ私達は高度な教育を受け、まともな倫理教育を受けているのでそれは自明の事ですが、当時の戦勝国は歴史に学ぶ事もできず、また倫理観も現在と大きく異なったためにそのような過酷で常識はずれな戦後処理がなされたのでした。
この莫大な賠償金のためにドイツ経済は疲弊し、更に折悪しく世界恐慌が起こり、これも過酷な戦後処理の一環としてドイツは全ての海外植民地を没収されていたために、他の先進国のようにブロック経済で国家経済の立て直し図ることすらかなわなかったのです。
このためドイツ経済は破綻寸前にまで追い込まれ、それは庶民の生活を直撃し、ドイツの人々はほぼ例外無く生きていくのがやっとの苦しい生活をよぎなくされたのでした。
また、激しい軍事力の制限のためにドイツ軍は小国相手ですら自国の防衛も満足にできない弱小戦闘集団となってしまい、当時のドイツ人たちのプライドを深く傷つけることになったのでした。
こうして、ドイツ国民に大きな不満が広まってゆくのはある意味当然のできごとだったのです。
この国全体を大きく覆う不満を自身の権力掌握に、後に独裁者となってからは統治に利用したのがアドルフ・ヒトラーでした。
ヒトラーが初めて歴史の表舞台に現れた時には弱小野党ナチス党の党首に過ぎませんでした。
しかし、彼の天才的な扇動の技術、演説や書籍の出筆などで、国民を扇動して正常な判断力を失なわせ、ヒトラーを権力の座に付ければ全ての問題は解決し再びドイツは栄光を取り戻すだろうと言う彼の詭弁を国民の多くに信じ込ませたのでした。
更に政敵への謀略、テロも辞さないヒトラーの手段を択ばない手法と、国民を洗脳状態に近い狂乱に導き、同時に彼に対する無批判の忠誠心を植え付ける事で彼は選挙に勝利し権力の頂点に立ったのでした。
ヒトラーは、最初こそそうして表向きは民主主義のルールを守るふりをしていましたが、権力を掌握するとなりふりかまわず独裁者となる事を一方的に宣言し、彼によって幻惑された国民に支持されてドイツはファシズムと戦争への道を歩み出したのでした。
こうしてドイツ国民は半ば狂気に呑まれ、ユダヤ民族排斥、虐殺という蛮行にも批判の声をあげる事もなく、あるいは徴兵されてその蛮行を自ら実行することになってさえ、大抵の場合、彼らの領袖に疑問を抱く事すらなかったのです。
また、国際ルールを無視して国益を図り、また軍事的にも天才だったヒトラーによってドイツの栄光は彼の公約通り一時的には取り戻されたのでした。
国民の多くは熱狂を持ってヒトラーを称えました。
ヒトラーが戦略・戦術の天才である片鱗を最初に示したのは、スペイン戦争にファシズム勢力の支援のために参戦した時で、やがてヒトラーの軍事的天才はイギリス・スイス・スェーデンを除くヨーロッパ全ての国家を併呑し、ドイツはヨーロッパにおいて歴史上にも稀な広大な版図を得ました。
第二次世界大戦が始まる少し前からドイツ軍が首都モスクワまであとわずかにせまりながら初めての敗北を喫するまで彼の軍事的才能は如何なく発揮されました。
無論ドイツの連戦連勝の背景には、ドイツ国民の優秀さ、進んだドイツの科学技術と優れた経済力に裏付けられた強力な軍事力などがあるのは疑問の余地がありません。
しかし、ドイツが第二次世界大戦初期において極めて少ない人的被害でもって、数々の戦場で連戦連勝できたのは、ヒトラーが軍事的天才であることに最も依存している事も間違い無い事実だと思います。
ヒトラーの軍事的天才を如実に示すのがブリッツクリークの立案とその戦術を軍事的に運用可能にしたのみならず、更に最終的勝利を得る手段として戦略的に最大限に利用して、その軍事的優位を最大に活かした事があげられます。
ちなみに戦後長い事、ヒトラーを否定したい連合国側の高級軍人や歴史家は、ブリッツクリークを考案して実用化したのはドイツの有能な将軍であるグーデリアンだと宣伝し、また自分達も信じようとしたのでした。
ヒトラーが諸悪の根源である事と、彼が軍事的素人であることが、彼ら軍事専門家達にとってヒトラーが軍事的天才だった事は受け入れ難い事実だったためことさらそう強調したのでした。
確かに、グーデリアン将軍にブリッツクリークの発想が当時既にあったのは事実ですが、戦後グーデリアンはその考えがヒトラーのインスピレーションを刺激した事実は無く、ブリッツクリークの戦術を編み出し実用化したのは紛れもなくヒトラーであろうことを証言していますが、その証言はそれが公になると都合が悪い人達に闇に葬られ、長い事日の目を見る事がありませんでした。
話は変わってブリッツクリークの概要を説明致します。
それまでの軍事的正攻法は、砲兵の射程内で砲撃の掩護受けながら歩兵が主戦力として前線で敵と戦うというものでした。
第一次世界大戦で大きな戦闘力を示した戦車は、所詮わき役と認識され、それを効果的に運用しようとした軍人はごくわずかでしたし、そういった軍人は概ね若く、そして軍の戦略を左右するほどの高級軍人でなかったためにそれを実践する国は皆無でした。
ヒトラーは軍事的には素人でしたが、それが彼に自由な発想を与え軍事の専門家より正しい結論へと彼を導いたのでした。
ヒトラーは戦車の最大の軍事的利点は、その高い機動性と高い戦闘力の融合にある事にいち早く着目しています。
そこで、彼は従来の主戦力であった歩兵を戦車に取って変わらせる事を思いたったのです。
従来の単独もしくは少数の戦車の同時運用では、戦車を主戦力にするのは不可能ですし、戦車の軍事的優位性を最大限発揮するには戦車の大量生産と集団使用が不可欠であることをヒトラーはいち早く見抜きました。
この発想で軍が編成された例はその時点では皆無でヒトラーがその戦法の生みの親であることは今日においてはかなり周知されてきているようです。
ただし、ヒトラーが歴史上稀に見る大悪人であることから、全否定したい決して少なくない人達が存在し、ヒトラーが優れた才能を有していた事を頑なに認めようとしないためにヒトラーが軍事的天才であった事実はあまり一般には知られていないようです。
そして、従来の砲兵の支援下で戦車を戦わせると、戦車最大の軍事的優位性である機動性を損なってしまうので、支援火力を提供するのを砲兵から当時の最新兵器であり砲兵よりはるかに高い攻撃力と精度を有する急降下爆撃機に置き換える事で戦車の行動範囲は大幅に延長されるだろうという発想でブリッツクリークの根幹の部分が完成しました。
ヒトラーは、更にその戦術的優位を持って得られるであろう限定的勝利を全体的勝利に結びつける戦略を考え出しました。
俗に鉄の金床とよばれる戦略で、戦車と同等の機動力を有する機械化歩兵で構成される機甲師団は、その高い突破力と機動力を利用して主力である多数の歩兵師団に先行して敵の背後に回り込み敵軍を包囲し、更に一歩進んで主力歩兵部隊が形成する前線を金床に見立て、機甲師団の槌を振り下ろし、すなわちこちらの包囲下で補給も援軍も受けられない弱体化した敵軍を敵後方に回った機甲師団と主力の歩兵部隊で挟撃して更なる戦術的優位性を確保してたやすく殲滅するという戦略だったのですが、精強なドイツ軍と異なりフランス軍兵士の士気は概ね低く包囲された時点で退路を断たれた絶望感からほとんどの部隊が降伏するかあるいは脱走者と逃亡者が頻出した結果部隊は雲散霧消してしまい戦闘によらずして戦闘集団として機能しなくなってしまいヒトラーの戦略の仕上げである機甲師団の槌を打ち降ろすまでもなくドイツの完全勝利になってしまったのでした。
の集団使用に踏み切っていれば、戦争の勝者は変わっていたかもしれないと考える軍事関係者や歴史家は現在でこそ多数いますが、フランスの敗北から戦後かなり長い期間に渡ってフランス戦当時フランス軍とイギリスの大陸派遣軍の保有戦車はドイツ軍の保有戦車数にはるかに及ばず戦車性能でもドイツ軍戦車が圧倒的に優れていたと広く信じられてきました。
実際にはフランス軍とドイツ軍の保有戦車数に大差は無く、フランス軍戦車は速度にやや劣るのみで火力も装甲は当時のドイツ最新型のⅣ号戦車より優れていたことが広く知られるようになったのは戦後かなり経っての事だったようです。
連合国、特に敗北したフランス軍関係者にとってあまりにもあっさり敗北してしまったために、負けるべくして負けた理由が欲しかったのでしょう。
ちなみに当時のドイツ機甲師団内の戦車配備数は最新型のⅣ号戦車はごく少数で、大多数がそれ以前に開発された旧式戦車でその中には、主砲が戦車砲ですら無く機関砲で重機関砲にも耐えられない薄い装甲しか持たない、もはや戦車か装甲車かどちらに分類するかは個人的主観の結果みたいなⅠ号戦車も数多く含まれていたのは大戦後明らかになった事実です。
何が言いたいかというとドイツ軍を圧勝に導いたのは、戦車の運用法の違いであり、戦争初期に数々の戦場でドイツ軍に勝利をもたらしドイツをヨーロッパの覇者にしたのはヒトラーの軍事的天才であると言っても過言では無いのです。
そしてヨーロッパに最後に残った最強の敵、イギリスは海軍力こそドイツを圧倒していたものの、空軍力と陸軍力はドイツが圧倒しており、ヨーロッパのほぼ全土を併呑したドイツの国力は絶頂期を迎えており勝敗は既に決したと言っても良い状態にありました。
ヒトラーはドーバー海峡を渡ってイギリスを直接屈服させるのに、イギリス海軍の優位性を過大な障害と見なしていたようで、彼ほどの軍事的天才をもってしても制海権は海軍力のみで決する訳では無く空軍力と合算で決まる事とドーバー海峡のような狭隘な地形では強大なイギリス海軍も数多くの艦隊を縦横無尽に活躍させるのは不可能で、むしろそのような狭い海峡に艦艇が集結したならドイツ空軍の好餌と化して容易く制海権と巨大な戦果を手中にできるという事実に気づかなかったようです。
これが後に彼の初めてにして致命的な戦略的判断の間違いを犯す遠因になったのでした。
孤立無援なイギリスは、ドイツ空軍の猛攻によって青息吐息なのにも関わらず、降伏しないのはなぜかと考えた時、それはイギリスにとって潜在的味方であるソ連が無傷であるからに違いないという後に致命的な判断ミスを抱くに至る一連の事実誤認の最初のものが何の客観的根拠を持たず彼の頭の中でのみ真実となったのです。
ヒトラーはソ連の軍事力を極端に過小評価しており、数々のヨーロッパの覇者がソ連の冬に阻まれてことごとく敗北した歴史も自分とは関わりないと楽観視していたようです。
そもそも、スターリンはドイツの勝利の余禄にあずかる気は満々でしたが、相互不可侵条約を締結しているドイツと戦う気は全くなかったにも関わらず、ソ連に対して深い猜疑心を抱いていたヒトラーはいつ裏切るかしれたものでは無いと考えていたことが判断を誤った一因になったのです。
これらの何ら客観的証拠を持たないヒトラーの主観に基づく事実誤認が多数重なった結果、ソ連に対して宣戦布告というヒトラー初めての戦略的判断の誤りを生み、そしてそれは彼とドイツにとって致命的な事態を招く事になりました。
ヒトラーがそれまで軍事的成功を収めて来たのは、つまり彼を軍事的天才たらしめたのは彼の軍事に対する病的な執着と彼が徹底的な懐疑主義者で確証がなければどんな情報も信じる事が無く、納得がいくまで客観的証拠を負い求めあるいは繰り返し思索を積み重ねた結果だといえるでしょう。
にもかかわらず、その決定的場面でなんら証拠を持たない主観的判断の積み重ねで判断を誤ったのは何故でしょうか。
おそらく、彼自身も想像していなかった軍事的成功の連続に我を忘れて酔ってしまったのではないかと私は思っています。
あまりにも巨大な成果を収めた故に彼はちょっといい気になっていたのでしょう。
ちなみに二正面作戦を展開するのは、戦力分散を招き軍事上絶対避けねばならない常識であり、ましてや増やす必要の無い強敵を自ら作ってしまい、最後に残っていた別の強敵を喜ばせたのみならず、ロシアの気候的特性、歴史上の数々のヨーロッパの英雄達の勝利を阻んできたロシアの寒さと深く降り積もる雪に対する備えを全くせずに軍隊を送り出すという救い難い判断ミスまで犯すことになります。
しかしドイツ軍は今まで通り最大の強敵相手にもひるまず連戦連勝を続けてソ連の奥地まで攻め込みました。
とうとう首都モスクワまであとわずかという地まで侵攻した時に、決定的勝利を目前にしてドイツ軍は数多くの歴史上の英雄と同様に雪と寒さに阻まれて始めての敗北を経験をすることになりました。
これ以降、ドイツはソ連を屈服させるチャンスを失い、戦線は膠着して両軍兵士の命を大量に飲み込むことになります。
こうしてドイツは人的資源に質的に恵まれていることがこれまでの勝利の方程式の一角を占めていましたが、人的資源の量的にはるかにドイツに優るソ連を相手にする事で、その優位性も果てることの無い消耗戦の末に徐々に失われてゆき、それはヒトラーの天才を持ってしても覆す事ができなかったのです。
こののち、ドイツ軍は緩やかな後退を続け、その敗勢がヒトラーの冷静さを失わせ、ついには恒常的に軍事的な判断を狂わせる原因となったのでした。
更に後年アメリカが参戦して数的劣勢から敗色が濃厚になると、ヒトラ-は独裁者としての最低限必要な資質、自己の無謬性を信じる事に危機を招くことになりました。
無謬性を信じる事とは簡単に言うと、どんな場面にあってもいつでもどこでも自分は正しい選択、正しい判断をくだすことができるという幻想であって、多かれ少なかれ独裁者の心を侵食する原因となっているようです。
こうして独裁者としての心理的危機を迎えたヒトラーは極めて安易な方法、連続する敗戦の責任を部下である将軍達に転嫁することで自己の心の一時的安寧を図ったのでした。
こうして、罪のない将軍達を軍法会議にかけることすらせずに、彼の恣意によって死を強要したことが、やがて彼の心を蝕み、狂気へとまっしぐらに突き進む事になるのです。
一般に誤解されている事に、ヒトラーがもっと以前、権力掌握する頃には既に発狂していたという内容がありますが、ヒトラーが歴史上稀に見る大悪人であるがゆえに無意識に彼を貶めたい心理が働いた結果であって、彼が狂気を宿すのは、晩年大戦終盤以降の事であって、どれほど狂気に満ちている行動、その最大のものはユダヤ民族の抹殺と組織的虐殺ですがそれさえも彼が狂っていたからの行動では無く、正気で計算づくで行った行為であるのは数々の歴史的証拠に裏付けられた事実です。
そのような事実誤認が抵抗なく広く受け入れられたのは多くの人が、正気の人間に彼の行った一連の残虐な行為が可能な事実を認めたくないあまりに生まれた逃げ道であるとも言えると思います。
長々とヒトラーについて語ってきましたが、何が言いたいかというと、ツボを得た扇動者がいれば正気の人間も蚕食されて狂気でなければ行えないような残虐な排斥行動に走らせる事が可能であって、それは誰の心にも存在するささやかなネガティブな感情を利用された結果ということです。
つまり、このような事は条件さえ揃えば誰にでも起こりうるという事実が示す恐ろしさを知って欲しかったのです。
たとえどんなに強い倫理観持つ人であろうが、心の全ての感情が思いやりに由来するような人でさえ例外なく狂気のふちに誘われる可能性があり、それを確実に防ぐ方法は残念ながら存在しないのです。
強いていうなら個人個人が安易に風評を信じず、決して多数に流される事無く、ひとつひとつの事の真偽を確認していくことが最大の防衛策でしょうが、それさえも確実な方法ではない上に、言うは易し・・・で実行するのは極めて困難な事は言うまでも無いでしょう。
私が誹謗中傷スレッドの存在とその狂熱を恐れる所以で、このテーマで考察を書こうと思った理由でもあります。
この考察の折々に自己欺瞞や集団心理を取り上げているのは人間は弱い生き物である事を、たとえ虚偽であっても自分の信じたい事を信じてしまう実例をあげて理解して頂くためであり、それゆえに悪意のある扇動者に付け込まれて恐ろしい排斥行動に走らされることもあり、これらの事は決して他人事ではなくて現代日本にも起こりうる現実を直視して頂きたかったからに他なりません。
私がデマゴーグ、元々は民衆の指導者を意味した単語がローマ時代に多く見られた扇動政治家の影響で意味が変質してしまい現在では扇動者を意味する単語を名乗りに使っているのは、恐ろしいのは悪意に基づく扇動者であって、自分は善意のデマゴーグとしてその人類の脅威に対抗したいというはなはだ私の能力と人間的器から考えて荷が勝ちすぎている思いゆえですが、笑いたい奴は笑えばいい、僕は僕に害成す悪意の扇動者をただ叩き潰すのみと開き直っているのでした。
今まで、脱線と寄り道を繰り返したために、この考察は私自身に取っても想定外のボリュームになってしまいましたが、やっとここからテーマのそのものの記述となります。
それで、しりすぼみもよいところで恐縮ですが、ここまでの関連事項で思いっきり話を膨らませた結果、この考察でご紹介したいと思っていた内容は既にほとんど網羅してしまったので、この結論の段落に書き込む内容は、まさしく排他性の変遷の歴史を記述するのみになってしまったので、まとめの段落にも関わらず既出の章に比べて極めて少ないボリュームになってしまうのが確実で、なんとも申し訳無い限りです。
私の悪癖は、一たび興が乗ると己の知識やそれに関する考察を論説の展開上適切とは言えない段落でも私の全知全能を挙げて、私がそれまで重ねた考察やそれに関する知識など皆さんにご紹介したい内容を力の限り脱線しながら、前倒しして紹介してしまうために、本来であれば結論に当たる最終の段落でご紹介して、その私が導いた結論を裏付けるために、取っておくべき内容まで既に記載済みになっており、最も重要であるべき最終章に既に書く事が無くなってしまっているという自分の計画性の無さに、またやっちゃったよ、おい・・・ようにあたかも他人事のような気楽さでもってその笑えない事実に対峙して、当然深く反省することもないですから同じ失敗をまた繰り返す学習能力が無いというより、学習意欲が無いと言って良い私なのでしたw
さて中世、戦国時代以前の日本におけるコミュニティーは村や集落などの地域共同体である。
極めて近しい人、すなわち構成員全員が顔見知りであり、どういう人物なのかまで把握していて、この集落では、未知のアクシデントなど発生する余地がないことが構成員全員のコンセンサスである事、安心して暮らせる事が最優先事項であったため、これらの性格を有する地域共同体すなわち同じ土地に住んでいるということがコミュニティーに所属する条件となったのでした。
彼らのような土地に縛れらたコミュニティーの構成員が、嫌うのは相手について何も知らない人物であり、つまるところよそ者に対して、そのコミュニティーの排他性が働いたのは、交通に利便性が無い事はもちろん、その当時の歴史的背景のために未だ商業などが未発達なため、人の交流は極めて限られていて、訪問者などはめったに存在しなかったためによそ者慣れしていない人々が構成したコミュニティーであるために、よそ者に対する理解が極めて不足しており、それが負の感情となってコミュニティーを覆い、結果よそ者に対する排斥行動が存在したと推定されます。
この後、戦国時代中期となると戦国大名は領地を豊かにするために商業を奨励し、特産物などの高い付加価値があるものの栽培を奨励したりといった様々な手を打ちました。
これらの事実は、それまで見られなかった人々の流動性を高める事になり、人びとの地域を超えた交流が活発になることで、よそ者の訪問は珍しいものでは無くなり、それによりよそ者もむやみに恐れる必要がないことを経験的に学んだため、コミュニティーの排他性は、今度はコミュニティー内の多数派と異なる少数派の弱者に向かう事になりました。
それは、今までのようによそ者に排他性を向ければ、彼らが持ち込む様々な商品が手に入らなくなるばかりでは無く、年貢に含まれなかった自家生産の余剰作物を換金する貴重な機会を失う事を意味したので、実利の点からも賢い選択ではなくなってしまったために、副次的に派生した事象だと思われます。
例えば、はやり病に罹患したため、他人との接触を極めて制限されてしまった不幸な人物であったり。
あるいは、年貢が納められられなくて自分の田畑を買い取って貰って年貢を支払ったために小作農に転落した家族などがその標的となったのでした。
なぜ、かってはコミュニティーの一員と見なされていた身内である彼らに排他性の矛先が向いたのかといえば、先述の理由でコミュニティーの排他性の矛先をよそ者に向ける事は、コミュニティー全体の利益を損なう行動となり、しかし、まだこのようなコミュニティーには、自治のための構成員が守るべき掟やその土地の支配者から統治のため課された条文など明確なコミュニティー全員のコンセンサスを得た個々のルールが存在しないため、そのようなコミュニティーを維持するためには構成員の団結が必須で、且つ構成員どうしの結びつきを強固にする必然性があったので、その目的にかなった手段が取られたのですが、こういう場合、最も手っ取り早い方法はコミュニティー全体の敵を設定する事であったため、先述のような洗練には程遠く、正しくも、美しくも無い選択がなされたのでした。
やがて、時代が進む毎に交通の発達と人的交流が活発になってゆくことから、日本のコミュニティーは、拡大の一途をたどり大国ロシアに対して勝利を収めたあたりで国民の愛国心は揺るぎないものとなったために、日本人であることがコミュニティーの構成員の条件となったのでした。
そして、更にドイツに似て、国民は帝国陸軍上層部によってなされた好戦的思想の宣伝工作に扇動されてゴールの見えない戦争へと日本は突き進み歴史上稀にみる惨敗を喫するまで不毛な戦いを続けたのです。
ドイツと日本が根本的に異なるのは、戦後戦争責任者として裁かれた、帝国陸軍上層部の面々は、戦争を望んでいなかったことに尽きます。
陸軍はソ連との戦争を望んだという一般的に共通の認識は、彼ら国家の中枢を占めた高級軍人の考えでは無く、もう少し階級が低くてより血気に富む佐官級の上級士官達の総意だったようです。
それに、国力が30倍のアメリカと戦争して万が一にも勝ち目があるとは思っていなかったようで、日本は神国で、鬼畜米英に負けたりしないのような不敗神話と言う名の思考停止を根付かせたのは他ならぬ彼らであるから、彼ら自身は彼らが吐いた毒に染まらずにいることができたので、国力が日本の30倍あるアメリカ相手に戦争に勝つ可能性が全く無い事を理解していたにもかかわらず、陸軍内部の急進的思想の温床となったのは若い下級士官たちであったが、彼らは権力の座にあるものがすこしでも彼らの思想をないがしろにするそぶりをみせようものなら、それは国を辱める行為という自己正当化の錦の御旗と共にただちに決起して粛清しかねない風土がかもしだされた。
すなわち、陸軍部内で一定以上の階級のものは、彼自身信じていない思想の持主に見せかけなければ生命すら保てない状況にあり、彼が変であるが故に人気が上昇すれば、他の高級士官は対抗上もっと変にならねばならい奇妙な事態が発生し、戦争責任を問われた、当時の陸軍上層部において戦争がしたい者は無く、ただただ己の命を守る行為がのちの東京裁判で裁かれて死んでしまった彼らには気の毒であるが元々自分がまいたたねがブーメランのように戻ってきてかれらを自縄自縛に追い込んだ結果であるからわたしには同情の余地無しと思えたりします。
さて、今日の日本の排他性はどう変わったでしょうか、わたしには良い方向へ向かっていると感じられています、世の中は自然に他者に寛容な社会をつくりつつあるように私には感じられる事それ自体がこの考察の救済だと思っています。


次回も読んで下さいね。

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