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『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

仏教を判り易く知る資料(31)

2023年02月03日 | 仏教・親鸞聖人

 (10)入正定聚(にゅうしょうじょうじゅ)の益

現世(現生)で「正定聚の菩薩」になる

さて現生十種の益の最後は、「入正定聚(にゅうしょうじょうじゅ)」といわれる大益です。
なぜ大益と言うのか、理由は以下です。

「入正定聚」とは「正定聚に入る」と読み、現世(現生)で「正定聚の菩薩」になることです。なぜそれが大益と言われるのか。
それは「正定聚の菩薩」を正しく理解すれば、自ずと知られましょう。

「正定聚の菩薩」とは、あの有名な弥勒菩薩と同じになることです。

一体、弥勒菩薩とは、どんな存在なのか、簡略に触れておきたいと思います。仏教では、凡夫が仏の覚りを開くまでに、五十二の悟(覚)りの階梯があると説かれます。地球上で最高位の仏覚(五十二位)まで悟ったのは、釈迦の外にはありません。

弥勒菩薩については、『菩薩処胎経』などに釈迦は次のように説かれています。

私の次に現れる仏は、弥勒である。
いま五十一位(等覚)の菩薩として修行中である。56億7千万年後に、婆意多利耶如来となって出世するであろう。

このように弥勒菩薩は、仏覚に最も近い、五十一位の「等覚」という悟りを得ている菩薩なのです。
これだけ知っても、現世で弥勒菩薩と同じになることが、いかに驚天動地のことか推察されましょう。

ところが親鸞聖人は、どんな人も、大悲の願船に乗じた一念に、五十一の悟りを飛び越えて「正定聚の菩薩」となり、弥勒菩薩と同じになれると随所に断言されるのです。『愚禿鈔』にも、大悲の願船に乗じた一念に、弥勒菩薩と同格になると明言されています

本願を信受するは、前念命終なり、
即ち、正定聚のかずに入る。
即得往生は、後念即生なり、
即時に、必定に入る。
又、必定の菩薩と名くるなり。
他力金剛心なりと、まさに知るべし。
便ち、弥勒菩薩に同じ
(『愚禿鈔』上)

『和讃』にも、重ねて力を込められています。

真実信心うるゆえに
即ち定聚にいりぬれば
補処の 弥勒に同じくて
無上覚をさとるなり
(正像末和讃)

驚くべき親鸞聖人の断言は、これだけではありません。
大悲の願船に乗じた者は、弥勒菩薩より幸せ者だと慶喜されているのです。
どうしてでしょうか。

それは大悲の願船に乗ずれば、この世は弥勒菩薩と同じでも、仏覚を得るのは弥勒菩薩の先なのです。

弥勒菩薩は56億7千万年後でなければ仏になれませんが、大悲の願船に乗じて正定聚の者は、命終わると同時に、無量光明土(弥陀の浄土)に往き、仏になるのです。
だから弥勒菩薩より幸せ者であると、親鸞聖人は言われるのです。

真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心をきわむるがゆえに、龍華三会の暁、まさに無上覚位をきわむべし。念仏の衆生は、横超の金剛心をきわむるがゆえに、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す
(『教行信証』信巻・末)

"本当に、そうだった! あの弥勒菩薩と同格になれたのだ。まったく弥陀の誓願不思議のほかはない。
しかも弥勒菩薩は、56億7千万年後でなければ仏のさとりが得られないというのに、いま弥陀に救われた者は、この世、終わると同時に弥陀の浄土へ往って弥勒菩薩の先に仏のさとりが得られるのだ。こんな幸せ者があろうか"

「真に知んぬ」とは、「あまりにも明らかに知らされた」聖人の驚嘆です。
「今は弥勒と肩を並べるけれども、死ねば先に仏のさとりを得るのだ」
「入正定聚の大益」を讃える、聖人の大慶喜です。
 それを『和讃』にもされています。

五十六億七千万
弥勒菩薩は年をへん
まことの信心うる人は
この度さとりをひらくべし
(正像末和讃)

蓮如上人も分かり易い問答形式で、聖人の教えを継がれています。

「弥陀の救いは一度でしょうか、二度でしょうか」の問いに対して、「この世は弥勒菩薩と同格の正定聚の菩薩に救われ、死ぬと同時に弥陀の浄土で仏の覚り(滅度)が得られるから、弥陀の救いは二度(二益)である」
と快答されています。
以下は、その文証です。

問うていわく、「正定と滅度とは、一益と心得べきか、また二益と心得べきや」。
答えていわく、「一念発起のかたは正定聚なり。これは穢土の益なり。
つぎに滅度は浄土にて得べき益にてあるなりと心得べきなり。されば、二益なりと思うべきものなり」
(『御文章』一帖目四通)

その他『御文章』の各所に、「現生正定聚」の教えを明らかにされています。

大悲の願船に乗ずれば、どんな人もこの世で「正定聚の菩薩」に救われるとは、親鸞聖人の教えの真骨頂なのです。
これを「平生業成」(へいぜいごうじょう)と言い、多生の目的が現在達成できるという、親鸞聖人の一大宣言なのです。

ゆえに十種の利益の中でも「前の九益」を別益といい、最後の「入正定聚の益」は総益といわれます。
「入正定聚の大益」から「他の九益」が流出するからなのです。

不可説、不可称、不可思議の南無阿弥陀仏の利益を親鸞聖人が敢て説かれた10種の益(終わり)


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