「海は、秋幸をつつんだ。秋幸は沖に向かった。波が来て、秋幸はその波を口をあけて飲んだ。海の塩が喉から胃の中に入り、自分が塩と撥ねる光の海そのものに溶ける気がした。空からおちてくる日は透明だった。浄めたかった。自分がすべての種子とは関係なく、また自分も種子をつくりたくない。なにもかもと切れて、いまここに海のように在りたい。透明な日のように在りたかった。それは土方をしている時と一緒だった。沖に向かいながら、泳ぐ自分の呼吸の音をきき、そのままそうやって泳ぎつづけていると、自分が呼吸にすぎなくなり、そのうち呼吸ですらも海に溶けるはずだった。」(『枯木灘』)
文学系ユーチューバーの動画は、今までほとんど観たことがなかったのですが、最近ふと目にした斎藤紳士という、お笑い芸人であり、小説も書いている人物の「笑いと文学」をよく観ています。
ご本人はいくつかの文学賞に公募で応募し、最終選考まで残ったそうで、小説家志望者の思惑やアイデア、日々感じていることなどを、現代小説を題材に、そして笑いも交えながら語っている。新人作家の登竜門という文学賞といえば、どうしても20歳代30歳代の若い人を想像するかもしれないが、本人はもう46歳で、中年男性のペーソスが、動画のあちらこちらから漂い、現代文学はあまり読まないが、文学には関心を持ち続けてきた私には、それが味わい深いように思われ、好感を持って観ています。
中上健次について書くのは初めてです。この作家は1992年に亡くなったのですが、生きていたとしたら、とてもブログになど書けない。
「お前、俺のこと知らないくせに何書いてんだ」
と殴られるような気がするから。勿論私など目もくれないだろうが、私はどのような人物について書くときも、目の前に本人がいると仮定して書くので、私にとって中上は書くのが最も恐ろしい作家になるのです。
実際、多くの人が中上に殴られたそうです。有名なのは芥川賞作家Mでしょう。彼は中上にビール瓶で殴られて、頭から出血し、病院に運ばれたのでした。
そのような人とは付き合いたくない、と多くの人が思うでしょう。私も理由も分からず、すぐ暴力を振るう人は嫌いです。しかし、それにもかかわらず中上は多くの人に愛されました。若い無名時代からの親友柄谷行人をはじめ、歌手の都はるみさん、そして西部邁まで「大好き」な作家だ、と。
最近では、2021年に芥川賞を史上3番目の若さで受賞した宇佐美りんさんが
「中上健次さんが一番好きです。……中上さんは文章に力があって、他では読んだことのない描写の仕方がされていたり、言葉を自分に強く手繰り寄せて書いている感じがすごくします。……息遣いとか匂いとかがリアルに感じられて。文章そのものに揺さぶられて、結果的に自分が回復している、という不思議な感覚です。『十九歳の地図』が最初で、読み終えた瞬間、『ああ、私この人の小説、今までのを飛び越えて好きだ」と思いました。泣けて泣けてしょうがなかった。」(第56回文藝賞受賞記念対談 村田沙耶香-宇佐美りん 「中上健次を愛読し熊野へ」Web河出)
と語っています。
上の『十九歳の地図』を『枯木灘』に替えれば、そっくり私の感想になります。
都はるみさんとのエピソードも紹介しましょう。
都はるみさんが初めて中上健次に会ったとき、中上の最初の言葉が
「よお、来たな。おい、お前、こっち座れ」
だそうです。
そして1984年当時、芸能界から引退宣言をして身を引こうと考えていた都はるみは、中上に
「私は自分のやっていることが恥ずかしいと思うことがある。この仕事がいいものだとは思えない」
と打ち明けたそうです。
そうすると中上はすごく怒って、
「ばかやろう、お前な、お前の歌で心を動かされる人がいっぱいいるんだ。それをなんだ、恥ずかしいなんて」
と言い、その後朝まで飲み続けたといいます。
その後引退後も、中上にいろんなところに連れていかれて、歌ったそうです。
中上は1987年、伝記小説『天の歌 小説 都はるみ』を出版します。
(以上、「私のことを思ってくれる兄のような人」都はるみ 『kotoba』No.22 2016年より)
このエピソードだけでも中上の人柄が伝わってくる気がしませんか。
秋幸が小説の中からそのまま抜け出してきたような気がしませんか。