それにしても、強烈な寒の戻りからの春到来の4月でござんすよ。
雪は降るわ、マイナス7度とか、
寒気が去れば外気温28度とな
(まあ1日の寒暖の差の激しさはいつもと変わりませんけれども)
4月の三寒四温は仏国のことわざにもある通りで
舐めたらあかんのは知っているつもりでも、油断なりまへん。
またしても、リンゴや桃の花咲く頃のこの氷点下
農家さんの被害がチラホラ聞こえてきます。
南の方の芽吹き出した葡萄畑もえらいこっちゃ(甚大な被害では「まだ」ない)
昨年大打撃を受けた我が地域ですけんど、このまま逃げ切ってほしい限りよ。
(これはもう4月初めの話ですけど、下書き記事のなせる技よ)
エライこっちゃといえば
ワタクシ自身もまだエライこっちゃからまったく開放されておりません。
怒涛の日々の最終章のゴールがまだ見えませんの。
本当の怒涛の日々はどっち?
と言う感じですよ。
そんなワタクシの癒しといえば
近所のバラ科のサクラ属を眺めたり、旬が終わるまでのチューリップ祭り
チューリップが花屋に並び出して、その時から今に至るまで常に飾っとります。
目は殆ど見えなくても花があるとその存在だけでもシヤワセちゃうかなと思ったので
ミモザを最初に飾ったんですけど、
病人には香りがちょいとキツくてすぐ差し替えたん。
ホンマは、あの時のこと、
癌患者の食事事情についてとか
終末期ケアについて体験して思ったこととか
そう言う時節の自分達の日常生活のこと
いっぱい書き残したいことだらけなんですけど
その時間はどこにあるんよ?という体たらく。
何度も言うときたいと思いますが
ワタクシだけが忙しいというわけでは無いし
忙しいという言葉を使って雑になるのも好きでない。
ただ、時間が足らへん(ペース配分が悪いんだな)、それだけです。
それでも、ブログとかこう言う感じで
自分の気持ちやら体験を言葉に変換して気持ちを昇華させて、
ついでに書き残しておくことは
ある種心身ともにリハビリになると思えるので、誰のためでもござーせんけど
隙あらばツラツラ書いていこうと思っとります。
とりあえず
振り返る前に、現在進行形で切実に思っている事から行っとこか。
ワタクシの友人は仏国に親族はいなくて、
(正確には亡くなったパートナーの家族は近くに住んでいたものの、85歳という高齢者であったり
そもそも気心が許せる間柄というわけでも無かったっぽいのでアテにならんかったんやけれども)
それに匹敵する30年来の近しい付き合いの仲間達は月日の経過とともにお互いみんな遠方に散らばっていて、おいそれと頻繁には来られない環境やったんよね。
んで
癌末期の頃のサポートは医療関係者及び緩和ケアチーム以外は、友人やけど家族枠的に、ほぼワタクシ(必然的にオットもな)だけ、という状況からの
終末期には近所の友によるサポートチームが結成されてずいぶん助かりましたけんど
葬儀社の手配、死亡届(役所手続き日仏両方)火葬〜散骨手続き
賃貸(一軒家)の解約手続きから一切合切の家財道具類の片付け、仕分け、処分
(最終的には一人暮らしやけど、パートナーと暮らし始めて20年近く生活したガレージ付きの三階建、
しかも日本の実家を処分した家財道具が殆ど運び込まれておりんしたので、おまいさんの想像の斜め上を軽く超えられる状況やと思われます)
銀行口座当(光熱費の引き落とし、ネット、携帯電話、Amazonプライムetc)の全ての解約手続き、
ついでに言うとジャポンの友人、親族への連絡一切も
全部まるっと引き受けている状態ざます。
もちろん、多くの人たちが今尚多大なる力を貸してくれておりますので
激しい負担というわけではく諸々ありがたい限りやけれども、
もうね、
友を見送った日からの方が雪崩のようにやるべき事のお祭り騒ぎで
悲しみに浸る間もおまへん。
日本の親族は一体どないしとんねん
と思ったおまいさん、
現実的に言えば、残念ながらどないも出来ませんでした。
複雑で長い話になるんでこれはまた別の段で
彼女がワタクシたちと出会っておらねば
人生の結末にはこれらのシナリオはなかったので、その場合はどうなってたんやろうって考えただけでなんとも言えぬ気持ちになる。
彼女には身近に親しくしている日本人の友はおりませんでした、と言うのは
う〜ん、ちょっと違うかもな
人生後期に人間関係の精算も思い切っていた、に近いかも知れません。
ステージ4になって、
煩わしい人間関係で心がザワザワするのはゴメンだわ
もう出来るだけ心静かに穏やかに
心地よい距離で付き合える人たちだけが残ればいいし残らなければそれもいい
そんな感じでござんした。
彼女に帰国して日本で最期を迎える様に助言した友人家族は勿論おったんですけど
色々な柵や彼女自身のコダワリも強くて
決断を先延ばししているうちにとうとう体力も気力も無くなって
タイミングを永久に失ったとも言えるかな
でも、突き詰めて自分が帰れる場所、を考えたらそうなったんやなと
同じく実家のないワタクシには痛いほどその気持ちがわかる気もします。
どんな結果であれ
それも自分が選んだ道なので彼女は一言も後悔の念を表すことはありませんでした。
せやけど
側にいる身としては切ないくらい、望郷の念で心は溺れておったと感じます。
昔からブログにも書いとりますが、
ワタクシはこの地で骨を埋める気持ち満々ですし
長年自分が愛し住まうてきた場所で最期を迎える覚悟をしていた友人とは
まるでこの地方の魔女の魔法か多生の縁に引き寄せられたかの様に
絶妙なタイミングで再会し
必然的に一緒に修羅場と極楽に向かって行く感じに導かれていったわけざます。