やっと

 

やっと

 

もう一回言いますけど

 

やっと、終わりました。

 

何がって?

 

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この冬に天上に旅立った我が友、姉さんのお家のお片付けよ。

とうとう、家の中はすっからかんになり、原状回復完了。

 

我らの冬季オリンピックが終わりました。

(あの当時からまだ続いておったのよ)

感無量の達成感でござんす。

今回はほとんどオットが頑張ってくれたので金メダルをあげたいくらいざます。

 

 

姉さんの家はうちから50kmほど離れたところにあったので、

仕事の合間に親戚や友人たちに手伝ってもらいながらトラック借りて荷物を仕分けしてゴミに出したりエマウスに引き取りに来てもらったり、

片付けを手伝ってくれた友人達の希望があれば引き取ってもらったり、

始末に迷うものは一旦我が家のガレージに全部持ち込み、再び整理と仕分け

これはもう完全にお引っ越し作業ざます。

(こっちに来た荷物の整理は、まだまだ終わってないけどね(号泣))

 

 

女一人暮らし、

そんなに遺品整理に時間がかかるなんて〜(どうせチンタラやってるんちゃうの)

って、思いまっしゃろ?

 

言うとくわ。

そうなんよ、(そうなんかい!)

 

そうでもないかも知れへん理由もあるけどね。

 

 

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どこのオタクでもそうですけれども、人が亡くなると言うことは遺品が出てくるわけですよ、大なり小なり。

それはもちろん事前にある程度わかっておるつもりでしたけれどもね、

彼女の家にお邪魔した事がある者は全員ため息をついておりました。

これは間違いなく苦痛を伴う長丁場になるであろう最後の山場やな、と。

(姉さんの終末緩和ケアがエベレスト登頂もといマッターホルン登山としたら、そうやねえ、ナンガパルバットかK2登頂級)

 

姉さんが我が家にて緩和ケアが始まった時点で、大家さんに連絡をしてこの先もう長くないであろう事も伝えたところ、なんとこの持ち主のマダムも末期癌でパリの病院に入院していて先が長くないことをご主人から伝えられたざます。

そして、ご主人はもうこれから先お家賃は請求しないので(亡くなられた後の)家の片付けはゆっくりとやって下さいとありがたいお声がけを下さった。

元々姉さんがこの家を出た時に家は売りに出すつもりでいたので、もしそちらがご興味あればご検討くださいと、然りげ無くアピールもされましたけれども。

 

 

姉さんのお家は引っ越してから20年で増えた道具とそれまで彼女の日仏で生きてきた人生全てが詰まった一軒家でした。

例えば

ジャポンの今は無き実家の家財道具(ママ上の嫁入り道具一式な)やらアルバム

コレクション級の節句人形一式とか名人作日本人形たち、

パパ上のコレクションは堆く本棚にびっしり詰まった古書

(夏目漱石などジャポンの文豪の初版、揃いで全書とか、そういうレベルの)

最初のパートナーの仕事道具一式(何でまだあるねん)

ご本人の趣味のお道具(習字とか洋裁とか刺繍とか絵画とかなんやかんや)

ジャポンと欧州の皿コレクションとか、あとは記憶がない(今は思い出したくない)

 

これらが、きちんと整頓されておるとはいえ

日常生活道具たちと共に三階建の家+ガレージを所狭しと埋め尽くしておりました。

もう何人家族やねん。

と言う感じでございましたよ。

 

彼女より先に天上へ行ってしまった人たちの荷物と彼女は、そこでまだ彼らと共に生きていた感覚かもしれまへん。

自分のものは思い切って捨てられるけれども、先に逝ってしまった者たちの思い入れのある道具はどうしても自分が捨てることができないと仰っておられたわ。

 

 

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遺品を整理するにあたって

考えてみたら、ワタクシたちは最もそれにふさわしい存在やったのかも知れまへん。

彼女の親友とかが手伝ったら、思い出に溢れた物の処分や整理はもっと辛かったと思うし、もっと作業は進まへんかったと思います。

ワタクシたちは親族でもなければ昔からの親友でもないんで

お片付けは感傷的になり過ぎずに済んだ、というより、

これらをどう処分していくか考えたら呆然とし、思い切りは良かった方ですけれども

簡単に仕分けするには物が多過ぎて、混乱しましたとも。

そして、終わりが見えた頃に新たに現れた開かずの間の存在(笑)

これだけで、一本のドラマが出来るほど発掘作業はネタ満載でござんした。

 

姉さんの名誉のために言うときますけど、

これでも随分自分の荷物は処分されていたのですよ。

決してゴミが散らかった汚部屋ではなく、それはもうきちんと整理された丁寧な暮らしをなさっていた方でござんした。

 

整理整頓は完璧な方でしたが、如何せん、うちの亡き母みたいに何でも捨て過ぎる人と真逆で、包装紙とかもまとめて取っておくコレクターの域な。

(気持ちはすごくわかる、が、我が母がやり切った捨て活には今ではもう感謝と感動しか覚えへんわ)

 

 

 

 

 

終活を始めた姉さんから生前に直接譲り受けたものも少なくないんですけれども

例えば、お猫たちのお気に入りスポットになった総桐箪笥。

生前に一棹。

そして遺品整理でうちにやって来た残りの方々。

こちらだけでもデザイン違いで四棹。

引き出しの裏には職人さんの墨字で手書きの名前入りで、一点もの。

うち一棹は仏人の親友にあげたがっていたのですが、パリの家にはスペースがないからと辞退。

 

桐箪笥の中に入っていたのは、全部着物と反物(未使用多数)で、姉さん自身も(ママ上よりはるかに長身だったため)一度も袖を通していないもの。

呉服問屋のお嬢の嫁入りか、と言うレベルですけんどそれらは全部三越など百貨店の外商での注文品。

少なく見積もって着物だけでも100枚以上あったかな。

これらも形見分けで欲しがる仏人に持って帰ってもらった後に、大半を友人のクチュリエールにリメイクしたってと段ボール三箱くらい差し上げた。

(それで儲けたお金の一部は出来たら乳がんの慈善団体に寄付して欲しいとも言い添えて)

 

他にはママ上殿の嫁入り道具一式(↓こんな箱が中身未使用で大小合わせて30箱近く)

 

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お茶会のお道具やら祝い事の会席道具とか、これらもそれぞれ全部宮内庁御用達職人の一点もので

どんなセレブやねん、と思ったら添えられておった贈り主の名前に公爵とか子爵とか付いておりんした。

まあ、なんというかママ上の家系はそういうやんごとなき身分の出身らしいわ。

(姉さんは一度たりともそう言う系の自慢話もしたことがおません。むしろ下町の江戸っ子と自称されておりんしたので)

確かにね、砕けた日本語で会話していましたけれども、いつも美しい日本語で嫌味のかけらもない独特の上品な江戸言葉を然りげ無く自然に使っている方でした。

意識朦朧としている時ですら彼女の日本語、そして仏語も大変優雅でござんした。

ワタクシはこんな気品のある日本語を話す人にはもう会われへんと思います。

 

まあ、それはええとして

 

当然ですけど、陶器磁器もべらぼうな量でございました。

料亭かよ、です。

それにプラスしてご自身の欧州陶器磁器のコレクション。

うちで全部引き取り切れぬので、新しくシャンブルドットを始める友人に絵画やら台所道具、も含めてなんやかんや、ほとんど引き取ってもらいました。

エマウスにも四トントラック一台分は引き取ってもらいましたし、エマウスでは引き取れない物置のガラクタ(年代ものすぎて使えない家電や家財)は御百度参りの如くゴミ捨て場に通いましたとも。

 

 

 

 

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それだけ処分しても、まだ処分に迷うものもあるわけで

うちのガレージと三つある地下セラーの一室は全部持ち帰った荷物で埋まっておりますのよ、おまいさん。

この遺品処分登頂でどんだけ何度も遭難しそうになったかお分かり頂けようか。

死に逝く人を看取った日々よりキツい、とワタクシが思った理由は

きっと、そこにあるのは永遠に過去だけで温かみがもうないからやわ。

ゴールもなければ希望もない作業とでもいうか

生きて出て行った人の荷物整理のノスタルジーとは明らかに異なるのな。

 

家を原状回復することは空っぽにして持ち主にお返しすると言う事であって、遺品整理のゴールではないのよ。

家から追い出されて我が家に避難して来た荷物の整理は、続くんざますけど

今は急いで仕分けしたり、片付けに出向く日程調整とかトラックの手配などの全てのストレスから解放されて、やっと自分達の日常に戻れた気がしております。

今暫くは、我が家にやってきた荷物たちを再び整理する作業も中断して自分達のために時間を使うことを楽しもう思います。

 

 

ちなみに、ジャポンの御兄妹は遺品は不要とのことざました。

送るのも受け取るのもお互い大変やもんね、ホンマそれでええ思います。

(とりあえず、いつ誰の気が変わるかも知れへんから気になった物はうちに持ち帰っとるけどね)

 

 

 

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最初に、姉さんの愛する人たちの遺品で詰まった家を見た時に

ひょっとしてこれは彼女が日本へ本帰国する決心とタイミングを逃してしまった要因の一つかも知れへんな、と思いました。

なんせ、仏国にコンテナで持ち込むほど思い入れいっぱいの荷物をもう一回日本に持ち帰るなんてそもそも実家もないのに無理な話です。

一人になって心機一転して仏国内の引っ越しすら難しい荷物の量ともいえるし

どこかのタイミングで手放す勇気も必要かも知れへんなと他人は思いますが、

それやったらその荷物と一緒に、もうこの地で果ててもええわ、とさえ思えるほど大事にしたかったモノやったらそれも本望かと思います。

 

ワタクシは余程のことがない限りフランスで死んでいくんやろうと思いますけれども、死後の自分の荷物に関しては今から真剣に考えんとあかんなと切実に考え始めております。(捨てられない溢れかえり系なんで)

遺言作って、自分の遺志を残すだけであきまへん。

 

 

自分に何回も言い聞かせたいこと、

遺品整理をして痛感し心を入れ替えたこと、

残されて整理や処分する者たちの心が折れるほどモノを残してはいけません。

(業者は別とはいえこの国ではその可能性は極めて低い)

 

 

 

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旬の果物がかすかなタイミングで重なる時期も見逃してはなりまへん。

 

姉さんが今際の際で

最後に欲した桃だけは真冬という事情でどうしてあげることもできませんでした。

これでやっと見つけた仏国産の初物をお供えすることができましたわ。

一緒に食べまくろな、姉さん。

 

この赤い果物たち、

そういえば姉さんが好きやったロゼワインの風味に全部あるやん

って事で、今日はこれまで支えてくれた仲間呼んでワイン開けて、

姉さんから託された仏国での全ての残り仕事がひとまず終わったご報告でもしよう。

 

 

 

 

 

とうがらし

 

 

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