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牡猫タマの人生観 (四季30回目)

2024-04-02 22:22:22 | Weblog
現世に生きているというのは、とにかくなにかしら美しく、素晴らしく、崇高なことである!

ー引用『ホフマン全集 7 牡猫ムルの人生観   深田 甫/訳(創土社)』ー



『牡猫ムルの人生観』第一節の冒頭を引用して、始めてみました。
(ドイツ作家E・T・A・ホフマンの人間の言葉を理解する猫ムルの回想録という形をとった作品で、夏目漱石の『吾輩は猫である』を書く際に参照した作品と言われていますが、夏目漱石本人はやんわりと否定しています。)


今回は『吾輩は猫である』や『牡猫ムルの人生観』を意識して、書き進めていきたいと思います。


僕は今年、人間の年齢で30歳になりました。
僕が今まで生きてきた中で気づいたことと、僕によく訊かれることに対する答えについて書いていきたいと思います。
今回文字のみで長々と書きますが、今までの僕の人生観で救われる人が一人でもいれば幸いです。





純理系
極端に学校の教科でいう、国語社会が得意な人は「文系」、数学理科が得意な人は「理系」と呼ばれています。
しかし、僕は自分を「純理系」と呼んでいます。
得意不得意は誰にでもあるとよく言われましたが、僕の場合「理系科目が9割以上と満点近く取れるのに、文系科目は学年平均よりはるかに下で赤点近く」でした。
しかも何回教えられても理解できなくて、中々点が上がりませんでした。


長くなるので詳しくは省きますが、とある恩師の解法のおかげで最終的には文系科目も満点近く取れるようになりました。
しかし、おそらく僕は感性が皆無で理性だけで生きているんだと思います。



「猫好き」になった経緯
両親があまり動物が好きでなかったことから、元々猫に対して恐怖心がありました。
しかし小学校高学年の時に、昭和に流行したものを紹介するテレビ番組で「なめ猫」を見て、その可愛さとカッコ良さに心を射抜かれました。
それ以来、猫に関する本を読むようになり、特に飼育本や行動学の本を読んで、猫の行動心理に共感できる点が多く、猫に親近感を持つようになりました。

僕は最近、他人から「猫のどこが好きなの?」と訊かれると「全部」「存在そのもの」と答えます。
僕にとって、猫には不快と思える体の特徴が無い、不快と思える行動が無い、人に対してどこか必ずある不快で嫌な部分が、猫には全く存在しないからです。



努力信者が『運』を信じ出した。
元々僕は超真面目で「努力は必ず報われる」を100%信じていました。
しかし、年が上がるにつれて失敗が増えてくるように感じました。

これも長くなるので詳しくは省きますが、高校受験の時「成功には運も必要」と気づかされた出来事が起こります。
努力は誰にでもできるし、成功しない方法で努力だけしているのは「諦めの悪い人」と思うようになりました。
目標達成に対して、自分個人にとって詳細に具体的に100%確実な方法を考え、
他人が言う「努力しろ」は、具体的な本音としては「短時間で成功の結果を出せ」という意味だと、僕は理解し直しています。


さらに、2022年のイグノーベル経済学賞が「才能がある人より、幸運な人の方が成功しやすい数学的説明」であり、感覚的な問題ではなく、理論的にも「成功には運も必要」ということです。



善とは何か。悪とは何か。
「他人を守ろうとする」のが『善』、「自分を守ろうとする」のが『悪』。
多くのヒーローものの特撮やアニメを見ていると「善側は恵まれて過ぎていて、悪側は恵まれ無さ過ぎている。」という印象があります。
他人に守られているから自分もさらに他人を助けようとして、誰からも助けられていない人は自分で自分を守ろうとする。
それが善と悪の根底ではないかと思います。

ちなみに僕は「好きなヒーローは何か」と問われると、メジャーだと『アンパンマン』、マイナーだと『ニャンダーかめん』と答えます。
要は、やなせたかしの正義観に近いです。
「アンパンマンというキャラクター」について『本当のヒーローはウルトラマンや仮面ライダーみたいにそんなにカッコいいものではない。誰かを救うことは同時に自分は傷つくもの。』
「しょくぱんまんとドキンちゃんの恋の行方」について『パンと菌なので、絶対に結ばれない。しかし、叶わなくても恋はするもの。』
ニャンダーかめんにも、「正義」とは『困っている人を助けること』なのか『悪い敵を倒すこと』なのかと葛藤するシーンがあります。



失敗による二次被害を恐れない。運も受け入れて、短時間で確実に成功する自分独自の方法を見つけ出す。
これが、今の僕のモットーです。
僕もそうなんですが、多くの人は「失敗そのものを恐れているのではなく、失敗によって他人に迷惑をかけることと、自分が怒鳴られる等非難されることを恐れている」のではないかと思います。要は「失敗による二次被害」を恐れていると言うことです。
少し前述しましたが「成功には運も必要」であり、失敗は起こる時はどうしても起こってしまう。
被害の大きさにもよりますが、失敗とは「成功しない方法が判明した」ことであり、そんなに恐れるものではないと思います。


長々と書きましたが、この考え方が多くの人達を救えるとは思っていません。でも、少なくとも誰か一人確実に救われる人がいることは確かだと思っています。
コメント (1)
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